a-ha結成前

◆マグスの家の地下室を借りて音楽に夢中になった。
◆ベースはHarald OdegardからViggo Andreas Bondiに替わった。Viggoの参加により、音楽にさらにのめり込み、誰もポールとマグスの情熱を止めることは出来なかった。ある日、Jan Erik Odegardがドラムセットと共に去り、代わりにViggoの友人のErik Hagelienが入った。
◆バンド名を「Bridges」とし、2本のギターとベース、ドラムだけではドアーズのような音楽を作れないため、キーボードプレイヤーを必要とした。
◆誰がグループを引っぱっていくか、マグスとポールの間の緊張は頂点に達した。マグスは長い間フロントマンであったが、マグスの声変わりを機に、もっと深くより豊かな声を持っていたポールはどんどんとヴォーカルを引き継いでいった。そしてついにマグスをヴォーカルのマイクから引き離し、ジャンボオルガンの奥へと追いやった。マグスは新しい楽器を驚くべき速さでマスターし、マグスの家の地下からは、典型的なBridgesのサウンドが流れた。
◆マグスの隣人だったSvien Erichsenは1970年にドアーズの公演を見た熱狂的な音楽愛好家で、Bridgesの音楽を初めから気に入り、レコーディングの機材を地下室に運び込んだ。
◆学校の勉強よりも音楽が生活の大半を占めていた。
◆マグスは資金調達のため、Nora Breweriesの労働者として夜の仕事をした。疲れ果てて教室の床で眠ると、友人がコートをかけてくれた。何人かの先生はマグスに同情し、マグスのカリスマは起こるだろう問題から最悪の事態になることを避けてくれた。しかし初めてのガールフレンドだったMargretheは悩み、去ってしまった。
◆1978〜79年の冬、アマチュアバンドのためにNeuf城の地下とDovrehallen(オスロの小さいコンサートホール)がコンサート会場として解放された。BridgesはDovrehallenで演奏し、自分たちの音楽を外の世界に試し始めた。
◆Erik Haglienが去り、Aftenpostenに新しいドラマーの募集を出して、Oystein Jevanordが参加した。そしてついに、アルバムという夢を実現する時がくる。レコード会社が興味を持つとは頭から思っていなかったので、バイトで稼いだお金で安いスタジオを借りた。1980年の夏、オスロのNydalen、捨てられた工場の湿っぽい地下室に作られたOctoconと呼ばれるスタジオを、Bridgesは1日500クローネで使った。
◆BridgesはVakenattという自分たちのレコード会社を作りあげ、LPは『Fakkeltog』と命名された。アマチュアバンドが自己資金でLPをリリースするというのは、それだけでセンセーションであった。さらに変わっていたのは、2つの面を、The Oncoming of Night、The Oncoming of Day、The Oncomingの3つに分けたことだった。1000枚プレスされたが、アルバムは石のように沈んだ。ノルウェーの音楽関係者は自分たちの理解できないモノには冷たく、ほとんどのロック・ジャーナリストが「Bridges」の才能を理解できなかった。
◆アルバムに興味を持ってもらうため、オスロ中に自分たちのポスターを貼った。それは余りに強いのりを使ったために、数年後まで残っていたほどだった。販売方法もまた狡猾で、あるメンバーは店に行き、積極的に店主に尋ねた。「何故あの素晴らしいBridgesのアルバムを置いてないんだい?」その10分後に、父親から借りたスーツを着た販売担当が現れ、Vakenatt社の最新リリースLP、Bridegesの『Fakkeltog』を10枚差し出す。いくつかの店が実際に騙され、その数ヶ月後にLPはセール用の大箱に入れられた。
※参考『Så blåser det på jorden』『Boken om A-ha』他

a-ha結成

◆1982年の秋にオスロのいくつかのクラブに出入りしていれば、遅かれ早かれSouldier Blueを聞くことになったろう。そして注意深く観客を見れば、いつもステージ近くのテーブルに座り、熱心に聞いている2人の若者(ポールとマグス)を見付けることが出来たろう。2人はロンドンでの6ヶ月の滞在から、失望によって出来た心の傷を癒すため、泣く泣く帰ってきたのだ。
◆2人は初めてロンドンに行く時、モートンを誘った。モートンはマグスの家の地下室にマイクを置き、一緒に行くかどうかの気持ちが決まったら取りに来る、と告げた。しかしそれはモートンのマイクではなかったので、本当の持ち主が来て持って帰ってしまった。これは手違いだったのだが、マグスとポールはひどく失礼な断り方だと思い、その後モートンに連絡を取ることなく、ロンドンに出発してしまったのだ。
◆モートンがエーゲ海で陽に焼いていた間、ポールとマグスはオスロではつらい時を過ごしていた。ロンドンからの帰国は、ポールのプライドをいたく傷つけた。出発する前、すぐにしっぽを巻いて帰ってくるさ、とさんざん聞かされていたのだ。その通りだった。祖国の土を踏んだ時、ロンドンに帰りたいと思った。しかしマグスがそれを止めた。マグスも失望したが、ポールほどにはショックを受けていなかった。しばらくHeidiと一緒にいたかったし、マグスの楽観的本能は、モートンが遅かれ早かれ一緒にやるようになると告げていた。マグスはポールにもう少し待とうと説得した。マグスの直感は正しかった。1982年の9月14日、モートンの誕生日に、2人はモートンの誕生日を祝うため、ハルケット一家の元にやって来た。そして、新しいシンガーを歓迎した。
◆バンドに持っているものの全てを注ぎ込んだ。最初のロンドンでの失敗を繰り返さないためには、良いデモテープが必要だという結論に達した。しかしロンドンへ行く前に高いスタジオを借りて、なけなしのお金を使ってしまうのは、良い考えとは言えない。自分たちが今持っているもので、何とかしなくてはならない。
レコーディングの場所はすぐに見付かった。ポールの両親がDrammenから遠くないNærsnesの森に小さな小屋を買っていた。そこに3人は家とスタジオを準備した。モートンが古い4トラックTeac(※レコーディング用の機械?)を持ち込み、マグスはどうにかしてジュピター・シンセサイザーを借りてきた。これ以外は、ポールのギター・シンセサイザーといくつかのアコースティック・ギターだけだった。ドラムはDr. Rhythmというドラム・マシーンに任せた−唯一の利点は、本物のドラマーよりも食費が安上がりということだけだったが。
こうして録音された歌は、以前ポール、マグスそしてモートンがやっていたものとは異なっていた。キャッチーなメロディーで親しみやすく、しかし独創的な歌詞を持った純粋なポップス。Bridgesの混沌としたミニ・シンフォニーと詞は姿を消し、モートンのソウル・サウンドももうなかった。この新しいミュージックを直感的にお互いに見つけだした3人の喜びは、デモ・テープに素晴らしい力を与えた。ポール、マグス、モートンが一緒に作った曲は、予言的なタイトルの『Så blåser det på jorden(※だから地球に風は吹く)』である。
◆3人はとても上手くやっていたが、実世界に向き合わなければならない時、意欲的な音楽のアイデアはひどく妥協されていた。ある日、ポールとモートンが『Presenting Lily Mars』という悲劇的なバラードに取り組んでいた時、ポールは突然素晴らしいアレンジを思いついた。モートンがバイオリン奏者を探しに出掛けている間、ポールは熱心に自分のアイデアを紙に書き留めた。ところがモートンが連れてきたアマチュア・ミュージシャンたちは、ポールのなぐり書きを何も理解することが出来なかった。バイオリンは酢のように酸っぱい音を奏でた。ポールは自分の美しいアレンジが全く理解されないのを見て、すっかり落ち込み、部屋の隅に引きこもった。しかしモートンは方法を見付けた。自分の耳と感覚を使って、バイオリン奏者たちの正しい右の指ポジションをみつけ、フェルトペンで印をつけたのだ。もしこれで上手く出来なかったら、指を印に糊付けしてしまうぞ、とまでミュージシャンたちは言われた。それは悪ふざけだったが。
◆秋、a-haというグループ名が決まった。3人は誰もが簡単に分かってくれる国際的な名前が欲しかった。モートンがahaというまで、全く良い名前を思いつかなかった。モートンはポールのノートでこの言葉を見付け、バンド名に提案した。実際、これは歌詞の1部だったのだが、これは誰もが探していた名前だった。それでahaと決めた、発音問題の心配から、最終的な書き方は後で決めた。「モートンが僕のノートをあさっていたとは知らなかったな」ポールは名前の選択について、こんなドライなコメントをしている。
◆ロンドンへの旅費をかき集めるため、マグスは既に学校で働いていた。Heggedal小学校で代用教員をし、Drammenの学校では木工を教えた。モートンはDikemark病院で看護人としてシフト制で働いた。一方、ポールは自分の音楽と本に没頭し、Nærsnesの森の小屋でほとんど世捨て人のような生活をしていた。どんな家事1つするのも嫌悪した。もしあなたがそこで1杯のミルクを飲んだなら、1週間後に戻って来たとき、それは手つかずのまま置いてあったろう。皿を洗うことが絶対的に必要なことではないのに、何故洗うのか?
◆旅立ちの時が来た。8つの曲が最終的にレコーディングされていた。その中の1つは『Lesson One』で、3年後には『Take on Me』で世界中のチャートでトップとなる曲だった。
※参考『Så blåser det på jorden』『Boken om A-ha』他

a-haデビュー前ロンドンにて

◆3人の精神は高揚していた。3人はロンドンに住み、彼らの横にあるアパートは、夜明けまで一晩中大きな音でファンクを演奏する人々でいっぱいであった。3人の名前はすぐに主要都市で日の目を見ることになろうだろう。人生は自由で美しかった!
◆しかしマグスにとっては、物事はいつも喜びに満ちているワケではなかった。時折、生活を思い出させる全てのモノを避けて、全ての美醜を備えたこの都市をののしった。それはマグスが恋人のHeidi Rydjordを恋しく想い、孤独を感じた時だった。
◆Heidiとマグスは高校で同じクラスだった。全く異なったバックグラウンドと見たところ共通の興味がなかったので、2人がお互いに惹かれ合っていると気付くには、ちょっと時間が必要だった。マグスの18回目の誕生日、1980年11月1日に、お互いをより近づける不器用な試みがなされ、最終的に2人の仲を具体的なものへと変えた。マグスをけして裏切らないだろう、美と愛そして心地よさの源である彼女Heidiは、マグスの人生に根を下ろした。エキゾチックで、魅惑的なHeidi、彼女のグリーンの目、悲しげで、ほがらかで、気難しくて、つつましやか、とても優しく、いたずら好き。ノルウェーに残してきたことをマグスは悲しみ、彼女に想いを馳せた。
◆HENNING KRAMER DAHLの日記より。1984年3月23日金曜日。
マグスとポールがロンドンから帰ってきている。昼前にマグスがバナナ・チップとVorterol(※ビールのようなノン・アルコールの飲み物)を持って立ち寄った。僕がドアを開けると、マグスは僕の青白い顔を見て、暗い顔をした。
「こいつは驚いた、Kramut!今年もミスター・ユニバースには選ばれないぞ」マグスの口から最初に出た言葉がこれだ。いつでも元気付けようとする言葉、いつでも優しい気持ちのマグス。
「病気なんだ。目が感染してね、無期限隔離状態さ。ところで、きみは前より良さそうだね。中に入るかい?」
僕が言ったことは本当だ。マグスは今、かなりやつれて見える。とても疲れている。彼の目の下のクマと脂ぎった髪。彼が言うには、ここ数ヶ月のロンドンでの生活は、ひどく不安定だ。ジョン・ラトクリフは、ワーナー・ブラザーズの期待の星たちを、自らの少ない資産で養い続けている。家と車を売ったと僕は聞いた。彼らが皆に強い印象を与えたことで得た前払い金は、随分と前に革の服とビーチでのバケーションに使われた。それ以外に、マグスは自分のお金で車を買った−スタイリッシュなシルバーグレイのローバー、実に印象的な車だ。
マグスとこんなに久しぶりに再会出来たのがとても嬉しい。ジョンはしばらくの間決してロンドンには帰ってこないように、という厳しい命令で3人を家に帰した。彼は、ラグビーをしていて親指を折り、ひどく悪い状態にいる。極度の高血圧と極度の疲労。明らかに休養が必要だ。
僕らは座って、あらゆることを話していた。ふとマグスは、余りうまく調律されていない僕のピアノへと進み、静かに、深く集中しながら、穏やかで悲しそうなメロディーを演奏し始めた。トーンは冷たい秋の空を飛ぶカモメの翼のように上昇したり下降したりしている。
「何て言う曲?」
長い沈黙。僕らがよく知っている静かな言語だ。
「ポールが書いた新曲。ローレンのためにね。Hunting High and Lowって言うんだ。来週にはこれのデモを作るつもり」
「こっちで?」
「いや、Rendezvous(ロンドンにあるジョン・ラトクリフのレコーディング・スタジオ)で。ポールは今晩には立とうと言うんだ。ローレンが恋しいんだと思う」
「ジョンは何て言うかな?」
「まだ知らないんだ。激怒するだろうね。ところで、車にはまだ余裕があるんだ。一緒に来ないか?きみにはちょっとした外国旅行が必要だと思うよ」
「何言ってるんだよ?外に出るなって医者に言われたって言っただろう?少なくとも2週間はね。それに準備する時間がないよ」
「OK、じゃあ、今晩1時くらいに車で迎えに来るよ」
◆HENNING KRAMER DAHLの日記より。1984年3月24日土曜日。
もちろん僕は結局、スーツケースに荷物を詰め終えていた。「明日生きるためよりも今日を楽しく過ごす方が良い」マグスが好んで言う言葉だ。
真夜中の1〜2時頃、シルバーグレイのローバーが僕の家の前でブレーキの金切り声をあげた。いつものフルホルメン速度ですっ飛ばしたので、すぐに僕たちは町の外にでた。僕は50年代、ビートニク小説の中に入り込んだような気がした。ポールと彼のギターは、快適なバックシート全体を占領して、既にいびきをかいて寝ている。モートンはいない、何故なら哲学の学生をしている弟のHåkon(形而上学とシャンパンを専攻している)を訪ねて、彼は今パリにいるのだ。
旅程は厳しく、話す価値があるようなエキゾチックな驚きは期待出来そうもない。最初にGoteborg(スウェーデン)への夜通しドライブ、次に朝のフェリーでFredrikshavn(デンマーク)へ。続いてユトランド半島(デンマークの半島部分)を全速力で抜けて、Esbjerg(やはりデンマーク)からHarwich(UK)へのフェリーに乗る。ボートでの不快な20時間…ため息。
僕らはひどく不気味な夜を過ごし、Goteborgの波止場に座っていた。真っ暗闇の晩冬の道路と運転に疲れ果てたマグスは、元気づけてくれる組み合わせではなかった。スウェーデンで僕らの人生が終わらずに済んだのは実に幸運だった。Uddevallaで、半分眠りこけたマグスはLidkopingかどこかで道をそれたが、ポールのやかましい叫び声で再び道に戻ったのだ。ポールが夢の国から戻ったのは、唯一その時だけだった。
僕らはフェリーの列の最前列に並び、マグスと僕は自分たちの席めがけて駆け込んだ。明るい光の中で横たわりながら、僕らは空腹で、汗まみれで、疲れていた。僕の目はキリキリと痛んだ。ワーナーのお偉いさんが今ここにいないことを感謝する。とても見れたもんじゃない。
イギリスへのフェリーでの夜。酔っぱらいの叫び声やモーターの音で眠ることが出来ない。少なくも僕は。でも2人のポップスターは違った。荷物を置くやいなや、つぶれた吸い殻のように眠ってしまった。マグスとポールがこれから先どんな人生を送るかは、神だけが知っている。
ユトランド半島を通り抜けた時、僕らはちょっと話をしていた。明るいが、冷たい3月の陽の光がそそいでいた。とにかく僕が聞いたのは、a-haが最近していることは待って、待って、ひたすら待っているという1つだ。ワーナーとの膨大な契約の詳細が弁護士の手で整理されるのを待っている。LPをレコーディングするためにスタジオの空き時間を待っている。そして特に、彼らが再び普通の住み良い日常生活をするためのお金を待っている。それがあれば、かなりむさくるしいらしいSydenhamのアパートから引っ越して、毎日食べる余裕が出来るのだ。3人は何ヶ月もオートミールで生活しているという。でもこいつらが話を大袈裟に言うのは皆知っていることだ。
ともかく明日の朝にはイギリスに着く。面白くなりそうだ。入国審査官は、ノルウェー人がイギリスへの休暇旅行を繰り返しているのを、いぶかり始めている。イギリス人は鉄の手で自分たちの小さい島を警備しているのだ。
◆HENNING KRAMER DAHLの日記より。1984年3月25日日曜日。
僕はゴミ捨て場と空襲で焼け出された掩蔽壕の間の交差したところに座り、これを書いている。221 Dartmouth Road、a-haがSydenhamと呼ぶアパート。僕はけして2度と、大袈裟なことを言うとマグスとポールを責めることはしない。この例えようもない穴とも言うべき住居を見た−嗅いだ−後では。もしここに鼠がいたら、SPCA(※動物愛護協会のようなもの)は文句を言うだろう。
僕らがダウンタウンから南へと運転してきた時、この辺りは活気のないイギリス郊外のように見えた。ずらりと並んだ全く同じ2階建てレンガハウスは草に囲まれていた。カラフルなネームプレイトのついた2、3の店といくつかのパブだけが、飽き飽きするほど静かな単調さと異質だった。イギリスの大部分のように少し汚くて見捨てられたようだが、スラムというわけではない。
Dartmouth Roadは長く、とても狭い通りで、Kirkdaleの大通りからForest Hill駅にむかってゆっくり坂道になっている。通りはいくつかの貧しい小さな店、カフェ、持ち帰り用料理店、そして林立する「売ります」「貸します」サインによって支配されていた。
マグスはポリ袋とゴミで贅沢に飾り付けされた、小さい茶色い庭の前でローバーを停めた。破産したコンピューター会社がビルの1階を以前占領していた。2階正面にある唯一の窓はプラスチックで覆われていた。
「これが僕らの住みか」ポールはそう言うと、車からぴょんと飛び降りたが、そこはまさに今したばかりの犬の糞の上だった。家の前は下痢をしている犬小屋が動き回ったかのようだった。
「近所の人がよく犬を僕らの裏庭に放すんだよ」とマグスが説明した。『裏庭』は、アザミと排泄物で埋め尽くされた大きな荒れ地であることが分かった。ビンとメタルが雑草の間で光っていた。屑鉄業者の金鉱だ。
アパートは2階にあり、バルコニーまではすり減ったコンクリートの階段を通って行く。扇模様のガラス窓がついている入り口のドアは、かつては居住者の自慢だったに違いない、しかし現在はガラスが割れ、周りの木工は腐っている。バルコニーには、3人がこの3ヶ月にためにためたゴミが積まれていた。腐った食べ物と壊れたビンが、詰め込みすぎた袋から突きだしていた。雨水がビニール袋の折り目にたまり、緑色のねばねばしたものが厚く覆っていた。春になって太陽がここを暖め始めたら、悪臭の地獄になるだろう。
「何でドアステップにゴミの山を作っておくのさ?」僕は理解できずに聞いた。
「ゴミ捨て場が遠いんだ。それに僕らはここに一時的に住んでいるだけだし」
a-haの誰もこのアパートの鍵を見たことがないが、バンドの中にマグスとモートンのような軽業師がいれば、鍵など必要ない。マグスは雨水用のといにぶらさがってバスルームの窓を押し開け、中に入った。数秒後にドアが開けられた。リビング・ルームを見た時、僕はほとんど逃げ出しそうだった。
そう、リビング・ルーム。トイレの親戚と言うべきか。水がグレイホワイトの壁に染み出していて、壁には誰かが賑やかに飾ろうとしたのかピンク色の落書きがあった。部屋は完ぺきなまでにゴミに埋め尽くされて、いくつか家具と呼ばれるものがあるだけだった。ぐらぐらしたテーブル、2脚の木製の椅子、そして釘のベッドと同じくらい快適だろう枝編み細工のソファー…全部ゴミ捨て場から拾ってきたのは明らかだ。唯一の『贅沢品』は、ジョン・ラトクリフが子どもの時に持っていたステレオと、画面が砂嵐状態の白黒テレビだった。
いつものようにポールはすぐにレコードをかけようとしたが、コレクションのほとんどが溶けていた。モートンが壊れている室内暖房器を消し忘れたのだ。あいにく数ヶ月前のチャートトップ達は破損をまぬがれたので、すぐにあえぐようなスピーカーを通して、デュラン・デュランが大きな音で流れ出した。
ゴミをアパートから全て運び出すには、考古学的プロジェクトを実行するのと同じくらい時間がかかるだろう。床は食べかけでカビの生えたテイクアウトの食事、汚い靴下、下着、音楽雑誌、絵、さらにカビの生えたテイクアウトの食事、モートン所有のBagleyの本、フォークとナイフ、その他何だか分からないたくさんのモノで埋め尽くされていた。モートンはシド・ヴィシャス(※パンクバンド、セックス・ピストルズのベーシスト、ドラッグ中毒だった)を主婦の組合に参加させるような状態のままこの場所を去っていた。
僕は全てのモノをゴミとしてすぐ捨てるべきだと思ったが、ポールはお気に入りのパンツがゴミ袋の中で消えたと気付き、掃除はしないでくれという厳しい命令を与えてきた。2人が片付けている間、僕は残りの場所を見て回った。
狭いホールは、明るいが汚いキッチンへとつながっていた。ガスコンロは食べ物のかけらで覆われている。無敵の皿が何枚か流しで泳いでいる。窓の下枠には、マグスが小さい緑を植えたヨーグルトカップがいくつか置かれていた。みすぼらしい小さな葉は、まるで通りすがりの金持ちに子どもが物乞いをしているように、汚れた窓から陽に向かって伸びていた。
バスルームは居住者の虚栄心の象徴だった。ポールとモートンのパウダー、マスカラ、その他メーキャップ用品があらゆるところに置かれていた。ようするにこれが今のa-haの生活なのだ。彼らはバラバラに壊れそうな汚らしいバラックに住んでいるが、少なくとも外面的にはあるレベルの外見とスタイルを何とか保持している。革服と茶色い顔は人々に納得させているのだ、ここに3人の若者が何の心配もなく世界でやっていると。a-haは泥の中の閃光、彼らの夢の中では大金持ち、音楽業界という妥協のない吹雪の中では裸足の勝者だ。
今夜は満月。僕らはRendezvousから通りを渡っただけ、DartmouthとKirkdaleの交差点にある『The Woodman』という地元のパブへと向かった。店の主人は旧友のようにマグスとポールを歓迎して、ビールの樽へと進んだ。僕らがスタジオにビールを持っていきたいと頼むと、彼は親切に頷いた。「ああ、もちろん構わないさ!」
月が人気のない通りを冷たく照らしている。ポールは静かに彼の新曲『Hunting High and Low』をハミングした。マグスは頭上の星々に向かってロンドン訛の方言で辛辣な言葉を叫びながら、手がビールグラスでいっぱいだったので、バランスを失う振りをした。
◆HENNING KRAMER DAHLの日記より。1984年3月26日月曜日。
ひどい夜と朝。僕は目の痛みでイライラしている。客だということで、僕は1番良いベッド−それはモートンのベッドだった−を与えられたが、大して助けにはならなかった。寝具は汚れでゴワゴワしていて、マットレスは腐っている。しかしポールはもっとひどかった。彼はスプリングの上にただシーツをひいて寝ているのだ。それが窓のすぐ下にあり、窓は釘でポリ袋と紙を打ち付けていたにも関わらず、夜風を通してしまう。ベッドルームは凍てついている。
ここでわずかな暖を得る唯一の方法は、キッチンへのドアを開けて、4つのコンロを最大にすることだ。あるものを有効に使い、しかも健康的。僕は眠りに落ちる前、暗闇で横たわりながら、しばらく真っ赤な火口を見つめていた。マグスとポールはずっと前からいびきをかいていた。人がこんな状況にも慣れることが出来るなんて、本当に驚きだ。
僕は信じられないほどひどい頭痛で目を覚ました。痛みに支配され、大声でそして低い声でうめいた。僕のうめき声に、ポップスター達は眠りから目覚めた。
「Kramutがついに気がふれたのかと思ったよ」とポールは不平がましく言って、また眠ってしまった。
「どうしたの?」マグスの声は不明瞭だった。彼は一度も朝方人間であったことはない。
「頭が!死ぬかも知れない。昨晩そんなに飲んだっけ?」
「いや、ただのガス漏れだよ」
「ガス漏れ?!」
僕の頭上を走っているガスパイプが古い靴下と同じくらいひどいものだということが分かった。モートンがパリに逃げ出したのも不思議はない。数メートル離れたところにあるキッチンでコンロをフル回転させ、ガス漏れしている寝室で眠ること…それの意味することを僕は訴えた。
「慣れるよ。それにガスの下で寝るのは交代制だから」
マグスとポールは再び眠りについていた。
※参考『Så blåser det på jorden』『Boken om A-ha』他