ツアー日程
18/03/01 - モスクワ(SC Olympiisky)
20/03/01 - セント・ピーターズバーグ(Ice Palace)
21/03/01 - タリン(LINNAHALL)
過去ニュース
2001/01/18
ロシアとエストニアでのa-haライブが決定しました!3月18日モスクワ、20日セント・ピーターズバーグ、21日エストニアのタリンです。From a-ha.com
2001/02/02
3月のロシアとエストニアでのコンサート続報です。
a-haはモスクワやタリンではライブをしたコトがありません、なのでこれはかなりの冒険になります。セント・ピーターズバーグではあります。1994年の6月19日に『ホワイト・ナイツ・フェスティバル』で演奏しました。
会場は以下のようになっています。
3月18日:モスクワ−SC Olympiisky
3月20日:セント・ピーターズバーグ−Ice Palace
3月21日:タリン−LINNAHALL
また、ツアープロモーターは、リトアニアにあるRILKAです。From a-ha.com
2001/02/02
セント・ピーターズバーグでのライブ情報公式サイトが出来ました、こちらです。文字は全く読めませんが、雰囲気だけでも。チケットは電話申し込みのようです。From H+D ML
2001/02/27
文字だけなので全く分かりませんが、 モスクワでのライブ情報は、こちらです。チケットは250〜2200ルーブルで、アメリカドルに換算すると、9〜80ドルだそうです。随分と差がありますね。またステージ前はVIP専用のレストランスペース(当然すごく高額)になるそうで、誰のためのコンサートなのかとファンが嘆いていました。ロシアでのコンサートは普通こうなのでしょうか?From H+D ML
2001/02/28
モスクワでのライブチケットが発売になりました。一番高いVIPの最前列は5000ルーブル、アメリカドルにすると175ドルだそうです。チケット売り場には列が出来ていたそうで、ロシアでのa-ha人気が窺えます。From H+D ML
2001/03/05
ロシアのファンサイト、Rolling Thunder Websiteにモスクワ・ライブ情報が詳しく載っています。こちらです。ホールマップやチケット(メンバー写真入り)も見れます。From H+D ML
2001/03/08
モスクワでのライブ情報。ステージ前のレストランスペースは撤去されました。a-haマネージメントは、ステージ前の大部分を占めるVIPエリアについても問い合わせをする予定です。From H+D ML
2001/03/15
InterMedia.RU(モスクワのa-haプロモーター)によると、3月17日にモスクワマリオットグランドホテルで、a-haは記者会見を開きます。From H+D ML
2001/03/17
3月18日、ロシアの首都モスクワで、a-haは初めてのコンサートを行います。場所は、モスクワの「SC Olympyiskyi」ホールです。
モスクワコンサート用の宣伝は最高潮に達しており、長い時間行われています。通りには巨大な看板や旗があり、メディアではたくさん宣伝されています。TVのCMも定期的にORT、政府が運営しているRTR、無所属派チャンネルNTV、Ren-TV、MTVロシアなどで放送されています。広告は、ビデオ『Summer Moves On』の映像を使い、バックに曲が流れています。ラジオのディスクジョッキーはもうすぐに迫ったコンサートへの興奮を隠すコトが出来ず、ウェブサイト、新聞、雑誌はイベントのプレビューを発表しています。
ロシアのWebサイト、www.a-ha.ruのWebマスターであるAlexei V. Varlamovは、a-haの音楽が広がっている証拠として、この写真を送ってくれました。※写真は、こちらで見れます。
Dagbladetの特派員は、町でのa-ha熱狂振りについてこう書いています。「3人のノルウェー人たちは、看板を乗っ取った。それは事務局長と社会主義者の一団のために普段は使われていたものだ」Morten Strandはレポートします。「a-haがツアーのスタートとしてモスクワを選んだのは、象徴に違いない。この町は熱くなっている。通りの若者に話しかけると、誰もがコンサートのコトを知っている。そして再び彼らの多くは、歳を取り音楽的才能があるとはいえない長官たちよりも、西側のポップ・アンド・ロック・スターに興味津々だ」
「モスクワの主要大通りを横断している旗たちは、昔からそこにあった」とStrandは続けます。「私が初めてそれらを見た時は、まだレオニード・ブレジネフが非常に活発に活動していた時だった。ソビエトがチェコスロバキアに進入した2年後のことだ」
ブレジネフの旗は長い間かかげられていました。ある日、ミハエル・ゴルバチョフが主要大通りの旗に現れました。これはブレジネフの時代が終了する始まり、彼の時代が終わった確かな象徴でした。特に彼がロナルド・マクドナルドのために場所を空けねばならなかった時。
後は−ご存知のように−歴史です。ボリス・エリツィンはますます西側のブランドと通りを共有しなければなりませんでした。また今、−プーチンの時代−彼らのための場所はほとんど残されていません。代わりに、彼ら自身の旗と看板から、a-haのバンドメンバーがモスクワの人々を見下ろしています。
モスクワのコンサートの後、バンドはセント・ピーターズバーグに飛び、3月20日にIce Palaceで公演をし、エストニアの首都タリンでは3月21日にLinna Hallで公演します。From a-ha.com
2001/03/18
モスクワにa-haが到着しました。ロシアのWebサイト、www.a-ha.ruのWebマスターであるAlexei V. Varlamovは、空港で彼らを出迎えましたが、メディアは1人もいなくて、友人2人と3人だけだったそうです<どこかの状況と似ている…。
モートン、マグス、Per、Sven、Annely、マグスと一緒に女の子(おそらく妹とのコト)そして、何人かの人たちが来ました。ポールは既にモスクワ入りしています。
昨日は記者会見があり、参加したAlexeiは自分のサイトに写真付きレポートを後で載せてくれるそうです。From H+D ML
Dagbladetはやや混乱状態にあったモスクワの記者会見をこう報告しています…。
彼らはアメリカや多くの西側諸国では忘れられたかも知れませんが、ロシアではa-haはまだ無冠の王様です。約100人のロシアのレポーターとジャーナリストが昨晩、年老いてきたノルウェーのポップスターに襲いかかると、混乱が起きました。
「7時10分、2台の白いリムジンはモスクワのマリオット・グランド・ホテルのVIP入り口前に停車した。トランシーバーを持って武装した1ダースのボディガードが車を囲む。3人の年老いてきたノルウェーの父親たちが外に出る。a-haはモスクワで初めてコンサートを行う、そしてヒーローとして歓迎される」これがDagbladetのジャーナリスト、Hakon Mosletが描写した出来事です。
Mosletは、ロシアのレポーターはa-haの記者会見で、ベスト・スポットを得るために肘で付いて前に行こうとするのを躊躇いもしないと言っています。少なくても10のTVチャンネルが参加し、100人のレポーターが狭く湿った部屋に押し込まれました。モートン、マグネ、ポールが部屋に入るや、彼らは質問責めに合いました。
「キリストの信仰とショービジネスでのキャリアを両立させるのはむずかしいですか、モートン?」
「なぜ多くのメジャーバンドはロシアに来たがらないのでしょう?たくさんの海賊盤のせいですか?」
「先週の飛行機ハイジャックの後、ロシアに来るのを考え直そうとは思いませんでしたか?」
Mosletが昨夜遅くにモートンに会った時、モートンは飛行機ハイジャックの話は知らなかったと言っていました。「休暇旅行から真っ直ぐこちらに来たから」とモートンは説明しました。「でも彼らが僕らとの記者会見をそんなに真剣に受け止めているというのは、ちょっと面白いよ。キリストの信仰対ショービジネスの質問は面白い質問の一つ、でもそんな深い話を議論する場所ではなかったけどね」
Mosletによれば、ポール・ワークター・サヴォイは最近NYで、静かな、比較的無名らしい家族生活を送っています。そして今、彼は突然、彼のサインが欲しいロシアのジャーナリスト達に取り囲まれました。
「超現実主義的な経験は、ポール?」
「しばらくすれば、あなた達はこれらのものに慣れるでしょう。でもロシアでのa-haに大きな関心が寄せられているのを知るのは、楽しいね。この町では1万5千人の人々の前で演奏する、それは大変なコト。モスクワ、セント・ピーターズバーグ、あとタリンでのコンサートは、来週末のオスロでの2公演の準備に関して、僕らにとっても大切なものだ」
「ではこのコンサートは東でのウォーミングアップのようなものですか?」
「いや、ウォーミングアップではないよ。でも土曜のオスロコンサートは丸々録画されるから。だから、全てが完ぺきに上手くいくコトが特に大切なんだ」
「なぜここでフル・ツアーを行わないですか?」
「今のところ、世界ツアーをするにはまだ不十分。別のアルバムを先にやっているのも理由の一つ、次にはもっとツアーを出来るだろうな」とポールは説明しました。
その午後遅く、a-haのサウンド・エンジニアであるSven Perssonは、1.5トンものサウンド設備−バンドの楽器も全て含まれています−が、モスクワのSjeremetjevo空港の税関で止められていたのを発見しました。既に一週間もそこにあったのです。もしバンドがコンサートを巨大なOlympiiskyiホールで予定通りの期日、時間でスタートさせたいのなら、日曜の午前10時までに税関を通過させないといけません…。
「ここでツアーするのは大変だよ、でもやらなくちゃね」とPerssonはMosletに言いました。
写真付きのオリジナル記事はこちら、a-ha.comにも写真があります。From a-ha.com
2001/03/19
モスクワのラジオステーションが、モスクワ時間の3時にWebカメラを使ってストリーミングでa-haインタビューのムービーを流しました。放送は既に終わっていますが、こちらに写真があります。From H+D ML
ロシアのファンサイト、Rolling Thunder Websiteにモスクワでの記者会見の写真がUPされました。こちらです、記事は追って追加されます。
Dagbladetのジャーナリストはa-haのモスクワ・コンサートに圧倒された
「a-haが今週末オスロで行うライブは、きっとお祭りのような2日間になるだろう!」Dagbladetの音楽ジャーナリストHakon Moslet−彼自身もちょっとしたa-haのファンである−は、a-haフィーバーにあてられたようで、コンサートの評価を6点中5点と付けました。モスクワ・コンサートの彼のレビューを読んで、彼の熱中振りを分かち合いましょう!
「日曜夜、a-haは1万4千人のロシア・ファンを前にモスクワで初めてのコンサートを行った。1万4千人とは、Olympiiskyホールが完売したというコトだ。ドイツ・ツアーから3ヶ月半が過ぎたが、このブランクにも関わらず、a-haの機器類は埃を被ってはいなかった。ためらい、焦点が合わないスタートの後、a-haは威厳があり、情感いっぱいの曲をライブ・ヴァージョンで演奏した。既に15年以上になるキャリアの中から選ばれた曲たちだ。人気絶頂の頃、a-haは闘わなくてはならない目に見えないモノがたくさんあった。その1つは、『ミーハー』バンドとしてのレッテルを貼られたというコト。ライブで演奏する時、自分たちの曲をちゃんと出来るのか、というのもあった」とMosletは書きます。
「2001年、全てが変わった。a-haは素晴らしいライブ・バンドになっている。そして重要なコトは:昨晩のモスクワでのライブも11月のドイツ・コンサートも、a-haの音楽にいつも存在する深遠さをどうにかして伝えていた」『Manhattan Skyline』は昨晩の5曲目ですが、Dagbladetのジャーナリストによると、おそらくa-haのベスト・ソングです。「彼らは曲の中に隠されているドラマ、恐れ、美をくるんだこの曲を優雅なヴァージョンで演奏する。ハルケットの熱情的なヴォーカルは、この曲に存在する根底にある気持ち、目眩のするような壮大さ、純粋で感動させる雰囲気を引き出す」
さらにMosletは続けます。「絶好調の状態にあり、a-haは知的でポップを愛する人々向けのバンドだ。またライブ・バンドとしてのa-haのカムバックに関して良いコトは、彼らが代表しているモノを明確にするコトだ:重要で−時には−絶対的に崇高なポップ・ミュージック」
「コンサートのオープニング・ソングは威厳があってシンセサイザーが駆使された『Minor Earth, Major Sky』、続いて去年のアルバムからもう2曲、『The Sun Never Shone That Day』と『Little Black Heart』。このオープニングの並びは、11月にハンブルグであった感動させるコンサートから光を欠いていて、バンドは変化に乏しいように見える。オーディエンスもまた例外的に静かだ」とMosletは記しています。
このわけは、おそらくモスクワのコンサートプロモーターがステージの前にあるまとまった区画をVIP用に確保する一方で、ファンを後方の離れた座席へと追いやってしまったためでしょう。モスクワの警察は、コンサートに行く人が直立して立っているコトを禁止しています。踊ることは言うまでもありません。a-ha.comには、警察が一人一人をチェックする時間がかかりすぎて、多くのファンがコンサートが既に始まっているのに、会場に入れなかったという報告が入っています。当然これらのコトは、バンドがホール全体を揺るがすように盛り上げるのをさらに難しくしました。Mosletによると、それはコンサートの中盤に起こりました。
「『I've Been Losing You』と先ほど触れた『Manhattan Skyline』の後、バンドはカムバック・アルバムの中でもっとも平凡な曲の一つ、『Thought that it was you』を演奏する。この後にマグネの聖式な『I wish I cared』が続く。アンネリ・デッカーがステージ上を歩き、コーラスを引き継ぐ瞬間は、鳥肌モノだ。デッカーはa-haにとって非常に歓迎される新しい仲間で、バック・ミュージシャンのChrister Karlsson、PerとSven Lindvall、サウンドの天才Sven Perssonとライト・デザイナーのJojo Tillmannとともに、彼女はa-haのライブ・バンドとしての新しく見付かった特質の重要な要素だ」
「しかしマグネ、ポール、モートン、そしてアンネリがアコースティック・ヴァージョンの『Stay On These Roads』を演奏した時に限り、オーディエンスはついに反応を示す。曲はとてもメランコリックで、そうひどくメランコリックだが、ロシア人たちは足を踏みならすコトで称賛の意を示す。a-haアンプラグドは本当に良いアイデアで、次の曲『Early Morning』もまた親密感を作り、人の痛みに触れる−以前のコンサートには見当たらなかったモノだ」とMosletは書いています。
「次の30分はパレードの行進だ。バンドはタフでアグレッシブな新ヴァージョン『The Sun Always Shines On TV』を演奏する。『The Living Daylights』は、ずっと遊び好きで騒がしいバンドを示した。そして思慮深く、非常に情緒的な『Hunting High and Low』の演奏で幕を閉じた。しばらくして、アンコールが始まり、さらに『Summer Moved On』と『Crying in the rain』を演奏した。にぎやかでどっしりとしたロックンロール・ヴァージョンの『Take On Me』で、我を忘れて夢中になっている1万4千人のロシア人のためのコンサートをa-haは終える」
「コンサート全体が、a-haはミーハーでは決してないし、ポール・ワークター・サヴォイは過去20年でもっとも優れたソングライターの一人であり、ハルケットは天から授けられた声を持っていると証明している」
「次の土日、a-haはオスロのVallhallでライブを行い、素晴らしいパーティもある」
プレイリスト:
Minor Earth, Major Sky
The Sun Never Shone That Day
Little Black Heart
I've Been Losing You
Manhatten Skyline
Thought That It Was You
I Wish I Cared
Cry Wolf
Mary Ellen Makes The Moment Count
Stay On These Roads
Early Morning
You'll Never Get Over Me
Velvet
The Sun Always Shines On TV
The Living Daylights
Hunting High And Low
アンコール
Summer Moved On
Crying In The Rain
Take On Me
プレイリストは、セント・ピーターズバーグ、タリン、そしてオスロでのコンサートでも同じでしょう。写真付きのオリジナル記事はこちらです。From a-ha.com
2001/03/20
『a-haは二日酔いには負けない−いつも酔っぱらっているから』
あるいは:モスクワのメディアは記者会見の自分たちの解釈をどう行っているか
3月17日、a-haはモスクワのマリオット・グランド・ホテルで記者会見を行いました。100人以上のレポーターが出席しました。その中の1人、Alexei Mazhaevは多くのジャーナリストにとって、ノルウェーの有名なポップ・バンドに出会うのは非常にビッグ・イベントであったと報告しています。「部屋の狭さによってより増幅され、ジャーナリストの情熱のようなものがかき立てられた。フォトグラファーやカメラマンがモートン・ハルケット、ポール・ワークター、マグネ・フリュホルメンの周りを取り囲んで、文章を書かなきゃいけないジャーナリストたちとの間に完ぺきな壁を作っていた」
「バンドメンバーを見るコトすら出来なかったから、後の方にいた何人かのジャーナリストたちは記者会見に興味を失って、自分たちだけで話し始めた。特に馬鹿げていたのは、あるレポーターが携帯電話を使って大声で会話をしていて、みんなどんなコトを話していたか聞こえていたコトだ」
一方、部屋の前の方、テーブルの向こうでは、ポール、モートン、マグネがプレスから質問を受けていました。a-haは自分たちの音楽については喜んで話しましたが、政治、テロリズム、音楽の著作権侵害などについては話すコトを拒絶しました。
「僕らはコンサートをしにここへ来ただけで、ハイジャックされたロシアの飛行機について話す状況ではないと思う」とモートン・ハルケット。
ロシアで発売されているa-haの違法CDについても同じような答えでした。「そのコトについては何も知らない、僕らは15年間ここでライブをするのを夢みていた以外はね」
彼らの夢は叶い、3月18日のSK「Olympiysky」ホールでのコンサートで、どのような曲を演奏するかを明らかにしました。あるいは、ハルケットの言葉によれば、モスクワでは「Bサイドの最悪の曲たち」が演奏されます。a-haのメンバーは再結成の理由をこう説明しました。個人でやってきたのとは違う何か新しいコトがしたかった、共同で作ったアルバムもツアーも成功したけれど、モートン、マグネ、ポールはソロ活動も同時に続けていく。「MEMSがリリースに8年かかったなら、ファンは次のアルバムまで18年は待たないとね」とモートンは冗談を言いました。しかしその心配は既にありません、a-haは新しいアルバムに既に取りかかっています。
ジャーナリストの特別な要請により、a-haはジャーナリストの何が嫌いかを語りました。モートンは半分冗談で「レポーターは良いところが全くない」と答え、メディアの人々の多くは自分たちをショービジネスの一部だと考えている、これは彼らをジャーナリストの仕事自身から切り離し惑わすものだと説明しました。
a-haのメンバーが二日酔いから抜け出すロシア式の方法に長けているコトを話した時は、雰囲気が少し和やかになりました。「いつも酔ってれば良いんだよ」
3人は眼鏡をかけていました。「これはどうしようもないよ、僕らは既にミドル・エイジだからね」最後の質問は少し不吉な感じでした。「あなたの葬式に一番似合う音楽は?」モートンは、それは誰か他の人が決めるコトだよ、と言って姿を消しました。From a-ha.com
2001/04/04
Европа Плюс
モスクワのラジオ局のサイト。写真、インタビューの音源、ムービーなどなど。
a-ha
前にも載せましたが、ライブ情報の公式サイト。記者会見やライブでの、かなり質の良い写真があります。From H+D ML
2001/04/18
ロシアのファンサイト、Rolling Thunder Websiteのセント・ピーターズバーグのコンサート・レビュー、写真付きです。
