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INTERVIEW > 2000

ドイツ-Web- 24/10/00

Braunschweiger Zeitungより

Thomas:休みに入って2年後に、ソロ・アルバム『Wild Seed』をリリースしましたね。それはほとんど認識されていないようですが、この7年間、他には何をしていたのですか?

モートン:アルバムはほんの数カ国でのリリースだった、というのも最初のシングルをリリースした後、既に権利をレコード会社に任せていたから。その後にさらにノルウェー語のアルバムをリリースしている、でも余り商業的ではなかったね。『Vogts Villa』というのと、『Poetenes Evangelium』。『Poetenes Evangelium』は過去50年間のノルウェー語の詩が基になっている。僕はその内の14を歌った。

Thomas:a-haは1998年のノーベル平和賞のセレモニーで、初めてまた一緒に演奏しましたが、どのようにしてそれが実現したのですか?

2000-10-24 | Trackbacks [0] | EDIT

ドイツ-TV(Inside)- 05/10/00

ノバ:『Comeback of the Year』を受賞したワケですが、今のお気持ちは?

モートン:(しばらく考えて)グッド!

マグス:『Comeback of the Year』を貰えるくらいの年齢になったコトがとても誇らしいよ。

ノバ:長い間活動していませんでしたよね…10年くらい?

モートン:そうだね、キミがまだ…ああ、何だろう、ちょっといい?(と彼女の頭からつま先までを測る真似。)

ノバ:(非常にイライラして)私はそんなに若くないわよ!でもあなた達は10年前と変わらないですね。驚いたわ。ルックス保持のために何をしたの?

モートン:また女性を喜ばすために体重を落としたよ。そしてカムバック。

2000-10-05 | Trackbacks [0] | EDIT

ドイツ-Web- 28/09/00

ZDF.onlineより

COMETアワードショーには、新人バンドRaemonnが参加していましたね。このバンドはa-haの前座をするそうですが、少なくともドイツでは、a-haのコンサートで前座を使ったコトはないと思います。どういう気持ちの変化ですか?

モートン:まず初めに言うけれど、前座を使ったコトはある。ドイツではないかも知れないけれど、ある、ワールドツアーかな。もちろん、いろいろな要因によるけれど…どのバンドがその時に市場にでているかとかね。僕らは今の時点では良いと思ったんだ、特に面白い、やる気のあるバンドだし。

今のアルバム「Minor Earth, Major Sky」からの3rdシングルがもう1つありますね。ドイツでは「Velvet」、ノルウェーでは「The Sun Never Shone That Day」。同時期にヨーロッパで2つの異なるシングルをリリースするのは何故ですか?

2000-09-28 | Trackbacks [0] | EDIT

ドイツ-TV(VIVA)- 26/07/00

英訳:Meike Beier 訳:Mayumi

* 以下は、TV番組を見られなかったり、ドイツ語に吹きかえられていて内容がよくわからなかった人のためにまとめたa-haのインタビューです。できるだけ、本人たちが話している言葉を書きとめましたが、わからなかった個所は、ドイツ語から英語に訳しました。

a-haといえば、『Hunting High And Low』 『Stay On These Roads』、そしてきわめつけは『Take On Me』といった名曲が思い出されます。10年近くソロの創作活動のために活動停止していましたが、今年ノルウェーのポップ・キングはカムバックを果たし、両腕をひろげて迎えられました。

モートン:こんな風に歓迎されると、とても心温まるよ。こんなに長いこと活動を停止していたのに、再びステージに上がることになって歓迎されるかどうか期待はできないものだからね。(再結成で)僕らがどんな風に受けとめられるか興味しんしんだったよ。

モートン、マグス、ポールはファーストシングルのSummer Moved Onがヨーロッパ各国のヒットチャートにランクインしたので、とても驚きました。ドイツでは、アルバム『Minor Earth/Major Sky』はナンバーワンに輝きました。

2000-07-26 | Trackbacks [0] | EDIT

イタリア-TV- 22/07/00

ポール:僕らが一緒に仕事をするようになってから随分になる、だから僕らにとっては新しいモノのような感じがする。何というか、ただ続けてきたという感じじゃないんだ。僕らは7年間、すごくたくさんの違ったコトをしてきた。今バンドには全く異なった原動力がある。

マグス:(マイクを持って、インタビューを始める)さて、ソロプロジェクトは、皆さん?

ポール:妻とSAVOYというバンドを始めました。

モートン:妻とバンドを始めませんでした。

マグス:奥さんいないだろう!!!

2000-07-22 | Trackbacks [0] | EDIT

ドイツ-雑誌(Top Of The Pops)- 07/00

英訳:Meike Beier

『ハートで決めろ』

衝撃的なa-haカムバックの後、シンガーのモートン・ハルケットはTOTPとのバックステージ・インタビューで心を開いてくれました。モートンは人間としての変化とa-haアルバムの哲学について語っています。

TOTP:a-ha活動休止を利用して、自分探しをしていたそうだね。いったい何を見付けたの?

モートン:僕自身!僕はa-haの中で機能出来なくなっていた。ブラジルで、20万もの人のためにプレイしようという時に初めて分かったんだ。群衆は11時間も待っていた…僕らのコトを。僕は自分自身に尋ねた、「ここで僕は何をしているんだ?自分が分からない、何を待っているんだ?いったいどうしちゃったんだろう?」

TOTP:それで、どうしたの?

2000-07-01 | Trackbacks [0] | EDIT

イタリア-TV- 15/06/00

ウェルカム・バック!この10年間は何をしていたの?

モートン:僕は2枚のソロ・アルバムを作った、とても素晴らしい経験だったよ。ポールは彼の妻とSAVOYというバンドを作って、大成功した。マグスは、音楽よりも絵を描く方に興味がいっていた。とにかく、とても生産的な日々だったね。
※モートンがソロ・アルバムを2枚と答えたのは、『Poetenes Evangelium』はKirkelig Kulterverkstedのプロジェクトで、曲は全て書かれていて、モートンは歌っただけだからのようです。1日スタジオに行って、他人の書いた曲を歌っただけの、いわば雇われ。モートンにとっては『Poetenes Evangelium』は自分のアルバムではなく、『Wild Seed』『Vogt's Villa』だけが本当に自分のアルバムのようです。

ポール、奥さんとバンドを作って…でも、今奥さんは何をしているの?

2000-06-15 | Trackbacks [0] | EDIT

ノルウェー-新聞(Agderposten)- 02/06/00

(Ole Sverre Olsenとホーバート・ラムの2人は、現在100万枚の売り上げをこえようとしているa-haの最新アルバム『Minor Earth | Major Sky』を寄贈されて持っている)

Ole Sverre Olsen+ホーバート・ラム
歌詞を書くっていうのは、広い範囲のオーディエンスに会える傑出したやり方だね。
(伝統的に、詩集というのは余り売れない。しかしポップスビジネスでは違う。『Minor Earth | Major Sky』は世界的にブレイク真っ盛りだ)

ホーバート・ラム:僕はいつも言っていた。詩はほとんど広まらないやり方、でも作詞は同時期に広範囲に渡って広まる。
(ラムとOle Sverre Olsenは13曲のアルバムの内、2曲を作詞している。その2曲の英語の歌詞は、既にたくさんの人によって読まれている)
僕らの詩への興味は、他の国で、特にアルバムが1番売れたドイツで増加している。a-haファンのベースは大きい。それに10〜15年はファンをしているから、多くはもう成人している。

(モートン・ハルケットとの共作は1993年に始まった。ハルケットとレムは『Poetenes Evangelium』を作り、Ole Sverre Olsenが後に加わった)

Ole Sverre Olsen:モートンは、マグネ・フルホルメンやポール・ワークター・サヴォイのように、単独でプロジェクトをしたがっていた。そして、ただ歌うだけ以上のコトを望んでいた。でも彼はいつも『pause(小休止、中断、休息という意味)』という単語を使っていたな。

ホーバート・ラム:(レムは1997年、ボルネオにスキューバダイビングと作詩のための旅行をしていた間に、ハルケットと『To Let You Win』を書いている。それは弱さを許すコトによって内面の力を表現している、現代の男性についての調べの美しい、聖書を呼び起こすようなポップス曲となった)モートンはこの曲にすごく自信を持っていた。でも僕は、この曲を好きになるにはちょっと時間が必要だった。
(今はとても誇りに思っている。しばらく前、あるサイトでは、この曲がアルバムのベストソングに選ばれたのだ)
そうしたコトが僕に満足感を与えてくるのは、認めないワケにはいかないね。(リスナーだけが歌詞に満足したのではない。Ole Sverre Olsenの『Thought That it was You』は、何人かの批評家にも賞賛されている)

(a-haがアルバムをリリースすると知られるようになった去年の秋から、メンバーである3人の周囲は、ノルウェーや外国の報道陣で騒がしくなった。しかしソングライターであるレムとOlsenの周りはずっと静かであった)

Ole Sverre Olsen:それに僕らを巻き込むのは適当ではなかったろう。カムバックするコトで既に充分に騒がれていたから。a-haをただa-haとしてデモンストレーションする方が重要だ。モートンが曲を作るに手を貸せたのは、良かったと思う。
(表看板に現れるコトはないが、ハルケットは作曲家としても注目されている。そして共作がこれからも続くことは疑いがない。3人にはたくさんの新しい材料が用意されているのだ)

2000-06-02 | Trackbacks [0] | EDIT

ノルウェー-雑誌(Mann)- 06/00

a-ha再結成の理由の1つにお金のためというのはある?

ポール:少なくも僕にはない。たくさん売りたいという理由だけでアルバムを作るなら、もっと簡単に作れたと思う。「Minor Earth | Major Sky」の曲の多くは、余りラジオ向きじゃないし、リスナーに聞き込むコトを要求している。一方で、ラジオで既にかかっているような曲を作るのは、退屈だろうと思う。

マグス:僕はいつも脳の代わりに心に聞いて物事を決めるんだ。アートの世界で関係してる人の多くは、またa-haとして活動したいから個展を休止したいと言ったら、驚いていたよ。でもやりたいという気がしたんだ。

a-haが再結成しそうだとハッキリしたのはいつ頃?

マグス:1998年12月のノーベル平和賞のライブで、僕らはまだまだ求められていて、もう1度一緒に良い仕事が出来ると気付いた。でも僕は長い間確信が持てなかった。サウンドトラックの仕事や芸術家としての仕事の後で、2000年という年にポップミュージシャンとして何か貢献出来るという保証はなかったから。それに、またポップミュージシャンになるコトの見返りに何が得られるのか、僕には分からなかったし。

成功には驚いた?

2000-06-01 | Trackbacks [0] | EDIT

ドイツ-雑誌(Focus [German news & politics magazine])- 29/05/00

By Michael Fuchs-Gamboeck 英訳:Meike Beier 訳:Mayumi

お帰りなさい、a-ha!
7年のブレークの後、ノルウェーの3人組が帰ってきた。そしてついに本物のアーティストとして認められることになったのだ。

最新アルバムで、a-haはその芸術性を認められようと努めた。

a-haの始まり:
ポール・ワークター(38)、マグネ・フルホルメン(37)、モートン・ハルケット(40)のノルウェー出身のメンバーは、1982年にa-haを結成した。

経歴:
『Take On Me』や『Hunting High And Low』などで人気がブレークした。そしてモートン・ハルケットを中心にティーン・アイドルになる。これまでに2000万枚のレコードを売り上げた。

再結成:
1993年に解散状態になったが、最新アルバム『Minor Earth/Major Sky』をひっさげて戻ってきた。アルバムはチャートのトップに輝く。

a-haのアルバム一覧:
Hunting high and low 1985
Scoundrel days 1986
Stay on these roads 1988
East of the sun west of the moon 1990
Memorial beach 1993
Minor Earth Major Sky 2000

2000-05-29 | Trackbacks [0] | EDIT

ドイツ-ラジオ(BR3)- 23/04/00

英訳:Meike Beier 訳:Mayumi

アナウンサー:アルバム『Memorial Beach』のリリースを最後に7年が過ぎました。この7年間、3人のメンバーはそれぞれ個人のプロジェクトに力を注いで来ました。そして今、再びa-haとして3人が一緒に活動していくことになりました。大勢のファンのために、シンガーのモートンがa-haの再結成について語ってくれました。

モートン:前から僕らにはもっといろんなことができるというのはわかっていたんだ。何か強力なことができるはずだと思っていた。(再結成の)話に弾みがついたのは、ノーベル平和賞のセレモニーからだよ。セレモニーの晩に一緒にパフォーマンスして欲しいと依頼されたんだ。それがきっかけになって、後で一緒にいくつかデモ曲をレコーディングしてみた。全員(再結成して)また新しいアルバムを製作することにまったく迷いはなかったよ。

アナウンサー:しかし、自分たちのプロジェクトに取り組んだ期間は、3人にとってとても重要でした。モートンは、ブレークを取る前のa-haは自らの道を模索していたと考えています。

モートン:80年代後半の音楽は、動きが鈍くなったよね。飽和状態で、どれもこれも使いまわしばかりだった。僕らも同じように感じて、どうにかしてその壁を壊そうとあがいた。2枚のアルバム(『East of the sun, west of the moon』 と『Memorial Beach』)で試みたんだ。最終的に、僕らがブレークをとって別々の方向に行くことにしたのは、そういうことからだったんだ。

アナウンサー:メインの作曲家であるポールは、メンバーのa-haへの取り組み方が変わったと語りました。

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

ドイツ-雑誌(Mucke und Mehr [music and more])- 16/04/00

英訳:Meike Beier 訳:Mayumi

ブロンディー、ユーリズミックスが戻ってきた。そしてティアーズ・フォー・フィアーズも再結成を計画中という。80年代の有名バンドがぞくぞくとカムバックしている。80年代にはどのパーティーでも彼らの曲をかかすことはできなかった。そして、a-haとして有名な、モートン・ハルケット、マグネ・フルホルメン、ポール・ワークター・サヴォイの3人もカムバック組の一員として復活した。
ノルウェー出身の3人組みは、1985年にファースト・シングル『Take On Me』で素晴らしいビデオとともにまたたくまにチャートのトップにのぼりつめた。そしてアメリカのヒットチャートすら制覇した。それに続いて発表されたアルバム『Hunting High And Low』から更に2枚のヒットシングルを輩出し、ドイツではゴールド、アメリカではプラチナレコードに輝いた。
1年後、『Scoundrel Days』がリリースされた。前作に劣らない素晴らしいアルバムである。『I've been losing you』はシングルチャートの上位を飾った。1987年に、ノルウェーの3人組みは、映画007シリーズの『リビング・デイライツ』の主題歌を担当するという名誉に浴した。これも成功した。そして3枚目のアルバム『Stay On These Roads』をリリースすると、3人の周辺はだんだん静かになり、音楽はシンセ・ポップからアコースティック楽器を使ったものへ変化していった。

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

ノルウェー-新聞(Drammens Tidende Buskeruds Blad)- 04/00

ポール:誰もが「Summer Moved On」は売れ線じゃないだろうと言っていたけれど、そうじゃなかったと分かった。でも典型的なラジオソングではないコトは認めなければいけないね。
(なぜSAVOYを他の国で出さなかったのかを尋ねると、ポールは全て自分の責任だと語った)
プロモーションに時間を使いたくないんだ。ずっと思っていたんだけど、誰か代わりの人がそういった仕事をやってくれないかなって。僕は音楽を作ることだけに全力を使う。それが僕に必要なモノ。ドイツで1番になるコトじゃない。
(ポールはa-haの世界的カムバックを、SAVOYが利用出来ると良いなと思っている)

マグス:(マグスとポールは、モートンのソングライターとしての才能が、a-haにとってプラスになる、と語った。しかしそれが典型的なa-haサウンドを壊してしまうのではないかと尋ねると、ポールは答えに躊躇した。一方、マグスはとてもポジティブだ)
とても健康的なコトだよ。コーラスに新しい声が加わるようなものさ。でも次のアルバムでは、モートンの曲を何とかもっと上手くまとめられたらと思う、今回のアルバムでやった以上にね。
(マグスが満足していないというコトではない。内容も曲の意味も、とてもa-ha的だと思い、マグスは満足している)
バンドというものは良かれ悪しかれ、バンド自身の特有な性質を持っているものだと思う。モートンの歌い方と僕らが選ぶ音符。民族音楽の専門家は、伝統的なノルウェー民族音楽に見られる要素を、僕らが多用していると言うんだ。そうとは知らなかった。
オリジナルであることについての考えは、ポップ・ミュージックの中では攻撃されやすい考えだけど、僕は内容ではなく形を強調することによって、ありきたりな考えから何とか離れて、成功できるんだと信じてる。天才の考えはひどく陳腐なものだったり、ありきたりだったりする。そんな話を聞いたコトがあるでしょ、話したコトがなくても!

(2人は1987年のドランメンとドラメンシャーレンでのコンサートを覚えている。観客の熱狂が最高潮だった頃…)

ポール:ツアーの終わりだったから疲れがたまっていた。でもコンサートは成功だったよ。

マグス:僕の祖父がマネージャーに押されてステージの上にあがったんだ。祖父にとっては忘れられない瞬間だったと思う。祖父は昔、楽器のコトで助けてくれたり、リハーサルの場所を見付けてくれたり、そういったコトをしてくれたんだよ。
(マグスの健康状態はa-haの活動をすぐさま止めるコトができる。何人もの医者が彼の状態を監視している)
もちろん、もし右のリズムを再確認するために、3ヶ月の内に2回も心臓が止まったら、真剣に考えるさ。そして昏睡状態におちいった時のコトを考える…。

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

UK-雑誌(名称不明)- ??/00

マグス:ノルウェーでは、有名になるなんてばかげた行為で、避けようとするものさ。僕の6歳の息子は、僕がミュージシャンと知ってショックを受けていたよ。いつも仕事場に行って絵を描いていたからね。今は兄弟で面白がって、ビデオ撮影やギグに来たがっているけど。

ポール:僕らは数年話もしてなかった。その間はそれぞれ他のギグに行ったり…でもそれだけさ。ただ離れなきゃいけなかったんだ。僕らは昔からの友人で、家族みたいなもの。再会した時、そこには絆がまだあった。いつもそうだったけど、相変わらずの頑固者だ、という感じかな。僕らは全然変わってなかった。

モートン:(自慢したくてたまらず、カメラに手を振って、モートンは家にいる娘に向かって言った。「ほらご覧、誰が僕の隣に座っている?」しかしレネエ-モートンと噂のあったAquaのボーカル-はモートンに飛びついて、モートンが言うところの『ベリィディープスロートキス』をしてきたのだ、カメラの前で。)僕は素早いし、こういうコトをされそうになると分かるから、僕にするのは簡単じゃなかったはずだ。彼女は僕の油断をついたのさ、それは上手くいったね。おかしいだろう、だって僕はほとんどレネエのお父さんだもの。(恋の噂のある2人だが、モートンは彼女とデートしているコトを肯定も否定もしなかった。)

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT