ノルウェー-新聞- 24/10/03
Adresseavisenより 訳:みこ
a-haは充電完了
「僕たちは今、" オフ " 期間中」
インタビュー:ミリアム・クナップスター
「この4年間は働きづめだったから、しばらくの間、休みたかったんだ。そろそろ充電もできたし、集まろうかと思ってね」とモートン・ハルケットは言う。
a-haが前回の公式ライブを行ってから、早1年が経とうとしている。しかし、a-haはまだまだ精力的なバンドということを証明するかのように、ロシアでの公演に始まり、11月3日・4日にトロンハイムのDodens Dalでの2公演で幕を閉じるツアーを開始した。2003年中にノルウェーで見ることのできるa-haのライブは、この2つの魅力的なコンサートのみである。ハルケットは、ノルウェーでコンサートを開くのは、経費がかかりすぎて難しいと考えている。
「単独公演は高くつくんだ。でも、今回の場合は、ロシアツアーがちょうど良いタイミングでオファーされたから、2つあわせて、うまくツアーをすることができたんだ。でも、ギグの依頼が来ても断らなくてはならないことも多いんだよ。」
嘘とプロパガンダ
最近、a-haの周辺は静かである。しかし、彼らは今「プライベートなオフ期間」ではなく、「公式のオフ期間」をとっているのだと、ハルケットは言う。
「a-haの活動を再開して以来4年の間、バンドとしての活動しかできなかった。だからa-haの活動はしばらく休んで、それぞれの活動に打ちこむ時間を取る必要があると思ったんだ。でも、それが理解できない人もいるみたいだね。」
ハルケットの言っているのは、「バンドは解散するのでは?」だとか、「バンド内に問題を抱えているのでは?」だとか、「メンバー同士が敵対しあっている!」などといった、飽きもせずに流れてくるウワサのことだ。
「ゴシップ紙の記事だと、僕たちが " オフ期間 " を取っているのは、バンド内でいがみ合いがあったからで、もし僕たちが顔を合わせても、お互いに憎みあっているのを再確認するだけのことになるらしいね。いいかげん、ウンザリだよ。マスコミというものは、a-haのようなバンドの創造的なプロセスというものがどういうものなのか、理解できるだけの洞察力をも持っていて当然なのにね。ゴシップ誌には愛想がつきるよ。センセーショナルな見出しをつけること以外には、何の能力のかけらも持ち合わせていないことを自ら認めてしまっているんだからね。彼らは、真実について語り合う機会を提供するということをしないのだから。」
—無責任なウワサというものは、バンドにダメージを与えますか?
「そうだね、昔は気にしていた。デビューしたての頃は、僕たちはボーイズグループ扱いされたけれども、僕に言わせれば、a-haがそういうものだったことは一度も無い。タブロイド紙だとかゴシップ週刊誌だとかは、まったくのデタラメを平気で書いていたし、僕たちはそういう記事に傷ついたこともあった。正直なところ、そういうことが、僕たちが一度活動を休止した理由のひとつなんだよ。あまりにも一面的なことにしかスポットを当ててもらえなくて、音楽をやることに対する興味を失ってしまったんだ。」
表に出ていない創造力
a-haが1993年に活動を停止して以降、3人のメンバーはそれぞれのソロ活動に取り組んできた。モートン・ハルケットはソロアルバム『Wild Seed』の製作中、かなりの期間をトロンハイムで過ごしている。この街で、a-haのリードシンガーが、ひとりのソングライターとして成長を遂げたのだ。
「その意味で、トロンハイムは僕にとって特別な街なんだ。この街での経験によって、僕はソロアーティストとして独り立ちできるようになったのだし、あのアルバムこそが、僕が音楽を続ける理由を語っている作品なんだ。あのアルバムを作るまでは、僕はバンドの1メンバーに過ぎず、しかも作品を " 発表 " する役割しか与えられていなかった。僕はa-haの中で十分な刺激を得ることができなかった。それはa-haというバンド全体の問題でもあったけれど、僕自身にも問題があったと思う。」
1998年にバンドとしての活動を再開してからは、昔よりも刺激的な日々だったと、モートンは言う。でも彼は、3人それぞれにまだ、表に出ていない創造性が眠っていると思っている。
「僕たちは3人一緒にいると、状況を冷静に見ることができないみたいなんだね。僕たちは3人とも、人の言うことをちゃんと聞くような人間ではないし。これは、批判をしているわけではないけれど、a-haはこの問題に直面しなくてはいかないと思う。僕たちはこれからも成長し続けることができるし、a-haにはまだまだ可能性があると思っている。」
−2003年のa-haのサウンドは、去年までとは違うのでしょうか?
「今回は新しい曲もやらないし、新しいコンセプトも無い。僕たちは自分たちの持っているものを出して、あるがままのa-haを見せるだけのことだ。これまでに僕たちが作り上げてきたものを、きちっと届ける、ただそれだけのことだよ。」
−今でも創造的ですか?
「もちろん。3人がそれぞれにね。それぞれが、自分の素材にとりくんでいるよ。それがa-haの作品としてふさわしいものになるかどうかは別問題だけれど」と、ハルケットは意味ありげに微笑んだ。a-haは5年後には一緒にステージに立っていると思うかとの質問にも、彼は同じように曖昧な答えを返した。
「そうだね。でも、3年後だったら、まだどうだか分からないけれどね。その時が来たらまた集まって、一緒に作品を作るだけのことだから。まあ、可能性はあるけれどね。ソロ活動はやめて、また集まるかもしれないね。」
−a-haのニューアルバムという形になると思っていいですか?
「今のところは、まだ計画段階なんだ。それ以上は何もかも、予測の域を出ない。マスコミは、何をするにもきちんとした理由を欲しがるね。例えば、ロシアに行くのはなぜか、トロンハイムでギグをするのはなぜか、という具合にね。でも僕たちは、その時に自分たちにとって、音楽を作る上で良いと思うことをするだけだ。それが、a-haの新しい曲という形になるかどうかは、その過程で決まるものなんだよ。」
そう言うと、彼はギターを手に取った。Adresseavisen紙のリクエストで、彼はスツールに座ったまま身を起こし、咳払いをして、ギターの音合わせを始めた。そして、いくつかのコードを爪弾くと、歌い始めた。美しい声と、歌詞と、メランコリックなサウンド。そういや、自分が話していた相手は、あのモートン・ハルケットだったのだと実感した瞬間だ。確かに彼は新しい曲を作っているようだ。
「そう。できたばかりの曲だよ。でもまだ、どっちのアルバムに入れるか決められる段階ではないけれどね。」
もしかしたら、この曲では無いかもしれないが、きっと彼の美しい曲をもうすぐ聞くことができるだろう。
−無責任なウワサや、攻撃的なマスコミがa-haの命を終わらせるところだったのですね。
「でも今では、昔ほどはイヤな思いはしていないし、トロンハイム公演を楽しみにしているよ。」
楽観的なモートン・ハルケットはそう言うと、Adresseavisen紙のためだけの、独占新曲披露会を続けた。
ドイツ-Web- 22/04/03
Bild.T-Onlineより 訳:みこ
僕たちのプライベートは誰にも関係の無いものだ
インタビューア:マルティナ・クラインケ
モートン・ハルケットとのインタビューをする—このインタビューをすることになったとき、私は信じられない思いでした。実は私は昔a-haの大ファンだったのに、今こうして、信じられないくらいにハンサムなシンガー、モートン・ハルケット(43)に個人的に質問することができるのですから!そういうわけで、私はモートンを待つ間、少しナーバスになっていました。モートンがインタビュー部屋に入ってくると—長身で、とってもセクシーで、感じのいい人です—私は腰砕けになるところでした。「こんにちは!」と彼は言うと、私の方などには目も向けずに、手を差し出してきました。インタビューの前に、私の女友達みんなに、彼はいつもあんなに格好良いのか確認してきて、と頼まれていました! はい、女性の皆様がた!彼は信じられないくらいにハンサムでした!シワなんてひとつもないし、本当に綺麗な目をしています。ただ一つ気に入らないのは、彼は話している間、こっちの方を見ないのですよね。ましてや、目を見て話してくれたりしないんです。まあ、目を見て話されたら、絶対に私は失神していたと思いますけれど…。
Bild.T-Online:なぜこれまでライブアルバムを出さなかったんでしょうか?
モートン:それは僕達が、グウタラだから(笑)。僕たちは本当はもっと前に出したいと思っていたんだよ。これまでに、いろいろなスタジアムで公演をやってきた。でも少なくとも今では、スタジアムでの演奏もきちんとできるようになったと思うよ。将来はもっと、スタジアムでの公演のことを考えてもいいと思っている。
Bild.T-Online :CDには短編のビデオが入っていますよね。前回のライブツアーのDVDを出す計画もあるのでしょうか?
モートン:このツアーについては、出す予定は無い。僕の知っている限り、絶対に無いよ。
Bild.T-Online:なぜこのアルバムを『How Can I Sleep With Your Voice In My Head?』というタイトルにしたのですか?『Swing Like This』(訳注:『The Swing Of The Things』の間違い)という歌の一節ですよね?
モートン:このタイトルを聞いたとき、本当にいいアルバムタイトルになると思ったんだ。誰もが賛成したから、すぐに決まったよ。
Bild.T-Online:90年代のa-haのツアーと、昨年2000年のワールドツアーでは、何か違いはありましたか?
モートン:いろいろ違いがあるよ。まず、今は良いスタッフ、本当に素晴らしい技術スタッフとクルーに恵まれている。おかげで、よりダイナミックで、より深い感性の音楽を、より良いサウンドにすることができて、より良いパフォーマンスができるようになったんだ。
Bild.T-Online:ファンとの関係はどんなものでしょうか?昔よりも良いと思いますか?彼らも、あなた達と同じように、歳を取ったわけですから…
モートン:ファンとの関係は音楽を通して作られるもので、それは僕達は大切に思っているよ。でも、それ以外のものは非現実的だと言わなくちゃならない。僕達のプライバシーは他の人には誰にも関係のないものなんだから!でもそれは思うようにならないんだ!僕達がファンにあげられるものは、音楽を通じたもの、僕達の創造的な活動を通してのものであって、それがアルバムというものが与えてくれる接点なんだ。もし、僕たちとの個人的な接触を望むようなファンがいるのなら、僕たちと一緒にすごしたいなどと思うのだったら、別のバンドを当たってもらわないと。だって、そんなことは僕たちには関係のないことだし、僕たちは絶対に出来ないことだからね!これはマジメな話だよ。特定のファンと個人的な関係をもつなんてことは絶対にできないし、そんなことに気をかまってなんかいられるわけがない。そんなことができる可能性なんて絶対にないし、そういうものなんだよ! もちろん、僕たちはホテルでも空港でもファンに会うけど、いつも億劫だったりする。みんながそれぞれに期待していること、お願いしたいことがあるからね。でも、僕たちにもプライベートは必要なもので、自分自身でいること、普通に息をして、普通にすごすことのできる場所が必要なんだ。僕はドラッグをやるわけでもないし、毎晩飲んだくれるわけでもない、ごくごく普通の、健康的なタイプだし、仕事ができるように健康を保つためには、自分自身の時間ってのはどうしても必要なんだよ。
Bild.T-Online:ファンはそのことを理解していないと?
モートン:もちろん、理解していないんだろうね! ファンには関係の無いことだから。もちろん、分かってくれているファンもたくさんいるよ。でも、どうしようもない人たちもいる。空港に行っても、ホテルに行っても、そこで何百人ものファンが待ち構えていたりする。そういうことが何百万回も起きるんだ。でも、そういうファンに何かしてあげることはできない。何をしてやれるって言うんだ? 本当の意味でコミュニケーションを取ったり、何かを真剣に話し合ったりできる時間があるわけでもない。もし、実際にやろうとしたら、死にそうになると思うよ。実際、やってみたことあるし!自分自身の人生が奪われてしまう…それは本当に文字通りの意味でね。もちろん、ほとんどのファンは分別のある人たちで、それはよく分かっているんだけど。
Bild.T-Online:あなたは数年前、イギリスからノルウェーに引っ越しましたね。なぜですか?
モートン:イギリスに残るか、ノルウェーに戻るかは、難しい決断だった。子供達にとってどちらか良いか決めなくてはならない時期だったんだ。本当に難しい決断だったよ!イギリスは本当にきれいなところだからね。
Bild.T-Online:またイギリスに戻る可能性があるんでしょうか?
モートン:もしかしたら戻るかも…でも何度も「根無し草」にはなりたくないよね。たぶんイギリスに家を買うことになるとおもうけど、それは夏用の田舎の別荘とか、隠れ家という感じで、イギリスに滞在するときには、田園地帯で過ごせたらいいなと…良さそうだな!
Bild.T-Online:あなたは、いつもお洒落ですよね。モートン・ブランドを売り出す計画とか無いんですか?
モートン:ありがとう!それはまったく思いつかなかったよ(笑)。いや、そんなのあるわけない。やることがたくさんありすぎるんだ。服のデザインをするというのは、おもしろそうだね‐本当にクリエイティブな仕事だし。でも、僕はそういうことは考えたこともない。僕のやるべきことじゃないから。僕がやらなくてはならないことは、もっと他にたくさんある。例えば音楽とかね。
Bild.T-Online:今年のバンドの予定は?
モートン:僕達は今、2枚のアルバムと2回のツアーで、『カムバック』プロジェクトを完了したところだ。ライブアルバムは、このプロジェクトを記録する総まとめだ。僕達はこれからまた「曲作りモード」に入る。おそらく、年末頃に集まって、どんなアルバムをするのか意見を交わすことになる。僕はとりあえず、ソロアルバムから始めることになるよ。
≪ 続きを隠すノルウェー-新聞- 19/04/03
VGより 訳:みこ
女性は僕にエネルギーをくれる
「女性に失礼なことをしなくても、女性の体を賞賛することは十分に可能だよ」‐モートン・ハルケットはそう言うと、Fianeの街のレストラン「Lyngrillen」の一番奥のコーナーに、楽しそうな笑顔でアントレコートを運んで来たウェートレスに、にっこりと微笑んでみせた。
彼女は思わず笑みがこぼれそうになるのを抑えながら、頬を赤らめながら、レジ横のトレイに置き忘れた食器を取りに戻って行った。
「彼女は自分が女だってことを自覚しているよね」と、モートン。レストランのドアの外の看板には、間もなくシェル・エルヴィス(訳注:ノルウェーのエルヴィス・プレスリーのそっくりさん)が登場と書いてある。E18号線(訳注:オスロ〜クリスチャンサン間の高速道路)を数時間走ってLyngrillenに先に到着していたモートン・ハルケットはお腹をすかせているようだ。
「女性は僕にエネルギーをくれるんだよ」と、彼は言う。別にセックスのことではないらしい。「女性の存在そのものが、僕に良い影響を与えてくれるんだよ。」
『Take On Me』から18年。Akers出身の青年モートン・ハルケットがノルウェーで最初で最大の世界的なポップスターになってから今日までの間に、彼は結婚を1回、恋愛を何回か経験し、4人の子の父親になった。43歳で彼は、恋人アンネ・メッテ・ウンドリーンとの間に新しい子供ができ、a-haの新しいレコードも出した。a-haの初めてのライブアルバムである。
生まれたばかりの女の子は、新しい何かの始まりを暗示しているようだ。
「僕は歳をとったけれど、世界中全てが同じように歳をとったのだからね。それに僕の体の調子も良いしね」と、モートン。彼は皮肉なつもりで言ったのだろうが、体の調子が良いというのは本当のことだ—いろいろな意味で。
「女性に性的対象として見られてもかまいませんか?人格を否定されたような気はしませんか?」
「もちろん、かまわないよ。彼女たちにはそうする権利があって、そうするのだし。」
「あなたは女性の夢に出て来たり、妄想の対象になったりするんですよ?」
「生きていることを確かめるためかもしれない。でも、僕だって同じような気持ちになることがあるんだよ。誰かに心奪われることだってありうるんだから。」
「ステージの上から?」
「もちろん。それ以外の場所でも‐誰かがふと通りすぎた時とかね。僕が心を動かされるのは女性の心なんだ。僕も人間だからね。でも僕だってもしかしたら、向こう見ずになって、ポップスターであることを忘れた行動をするかもしれないよ。」
彼は細身のフレームの眼鏡から、目をのぞかせた。私たちはノルウェー南部にある彼の小屋に向かうところだ。小屋は美しいところにあるが、屋内には水道も電気も通っていない。ポップスターには似つかわしくない場所だ。しかし、この数日の間、誰もが憧れる美しい顔を洗うのに、毎朝たった両手に二杯分しか水を使わないようにしていた男、人生を豊かにしてくれた出来事について語る男にはふさわしい場所だ。モートン・ハルケットは好奇心旺盛で、情熱に溢れた男だ。混乱と秩序のバランスを取るのがうまい人だ。彼は、ひどく保守的な宣教師のようでもあり、同時に空想的な理想主義者でもある。
そして、彼はいつもあわただしい。
「オーガニックのスペルト小麦のパンがほしいよね!」とモートンは、メルセデスの運転席の中で大声をあげた。
彼は、4年近く前に『Summer Moved On』のビデオを撮影した頃から、小麦とジャガイモを一切口にしていない。力を奪われて、体がだるくなるからだそうだ。アンネ・メッテは、普通の小麦のかわりにスペルト小麦でパンを焼く。モートンは、パン生地は一晩寝かせなければならないこと、最高の状態に仕上げるためには生地が乾燥しないようにしなくてはならないことなどと解説してくれた。
「フェドン・リンドベルグ(訳注:低炭水化物ダイエットを提唱しているノルウェーの医師)のおかげで、アンネ・メッテの作るパンは僕の作るパンよりも美味しいんだよ!」
私たちは途中で、モートンのご両親宅でスイス製のエスプレッソマシーンを調達してきた。モートンが、「楽しい時をすごすために」、バリスタの技術をご披露してくれるのだそうだ。
「まあ信用して。送ってもらう価値あるから。」 モートンはそういって、アンネ・メッテに電話をかけて、明日の朝食に間に合うように、焼きたてのパン2斤をオスロからクリスチャンサンまで特急便で送ってくれるようにと頼んだ。
「もし25歳のときの体と体力を最低でもあと25年間キープしたいと思うのだったら、ものごとを選ばないとダメだよ。体だけじゃなくて、精神的にもだけどね。」
「つねに”火”を絶やさないこと、いつも注意深く、でも遊び心は忘れずに。それによって若若しくいられることができるんだ」と、モートンは言う。
「40歳になって突然恋に落ちるとする。恋は体にとって大きな刺激になるからね。食べるものの全てがおいしくなるし、全てのものがいい匂いに思えるし、目にするものの全てが鮮やかに見えるようになる。自分の体内の全てが目覚めるんだ。前よりもずっと生き生きと、楽しくなるんだ。」
「それは、あなたの個人的な経験から語っているのですよね。」
「もちろん、そうだよ。でもこれは真実なんだよ。心身を刺激する方法はいくらでもあるということなんだ。」
5年前、ノルウェー南部に向かうこの道で、AquaのLeneとモートンがバイク事故を起こしたというウワサもある。短いけれど激しい関係だったという話だ。
モートンが、ラウフォス出身で元陸上選手のかわいらしい素朴な女性、アンネ・メッテ・ウンドリーンと出会ってから4年以上になる。今ではモートンと喜びも悲しみも分かち合うような関係だ。
「もう長い間、この4年間ほどの楽しいことはなかったよ」とモートンは笑う。
モートンは、自分は風来坊だと言い、その言葉に自分で笑っていた。ノルウェー人の外国人に対する恐怖心からイラク戦争、レコード業界の著作権の問題を議論するとき、彼の言葉は、反動的と言っていいほどの保守主義から、革命的なアナーキズムの間を行き来する。
「ブッシュもブレアも道徳的な危険をおかしてしまったのだけれども、彼らにはあれしかできることはなかったと思うよ。戦争は避けられなかっただろうし、遅かれ早かれ起きただろうから」と、モートンは言う。ノルウェーは、重要だけれども人気のない話題について、もっと真剣に議論を深める必要があると思っている。
「ノルウェーでは何年も前から、中絶問題のように意見の分かれるような議論は避けて通るような風潮がある。EUのこととか、難民の扱いとか、遺伝子組替えのこととか、性差別の問題とかね。」
「中絶問題についてはどういう意見ですか?」
「女性だけが決めることのできるんだ、という意見は、実はそう言うことで、社会はこの問題から距離を置こうとしているんじゃないかと思うよ。解決できっこない問題を解決できるかもしれないと思ってそういうことを言うのだろうけれど。女性の権利だと言いつつ、女性にだけ責任を押し付けている。」
「あなたは原則的には人工中絶に反対ですよね?」
「そういう方法で生命を奪う権利があるとは思えないからね。女性の体と新しいひとつの命とをどの時点から区別することができるのか分かっていないのだし。」
「胎児の命を奪うことを受け入れる社会に対して、歴史はどんな判断を加えるのだろうな。」
島々の向こうから霧が立ちこめてきたが、太陽の光が霧に勝ったようだ。彼は海を背に椅子にもたれかかっていた。彼の姿が、窓ガラスに映っている。
モートンは、中絶は女性の問題ではなくて、責任があるのは社会の方であり、責められるべきなのは、男性の行動の方なのだと言う。
「働く女性の90%が、ほしいものはもっと他にもあると悲観的になっているって言うじゃないか」と、モートン。「男と女の違いは大きくて、力を合わせることで豊かな色彩のスペクトラムが生まれるのに。男も女も同等だけれど、けっして同じものでは無いのにね。男も女も、同一労働同一賃金というのが当然だし、同じ可能性と同じ権利があると信じているけれど、でも今日では、政治問題として以外は男と女の違いについて話そうとはしない風潮があるよね。」
「女性にとって難しいのは、女性よりも頼りになる人を見つけることなんだろうな。(女性は男性を必要としているけれど、自分の人生の邪魔をするようなやつとか、面倒を見なくちゃいけない相手を探しているわけじゃないんだからね。)」
「ではあなたは、女性はどういうタイプの男性を必要としていると考えているんですか?」
「ワイルドで完全に手なづけることなんてできない、でも同時に心は優しい男っていう感じかな。自分自身の心の言葉に耳を傾けるだけの勇気があり、それから活力を得ることのできるような男だろうな。女性は、面倒を見なくちゃならない子供がもう一人ほしいわけじゃないんだよ。」
車を5時間走らせる間、車の中では音楽がかかることも、ラジオのトークが聞こえることも一度も無かった。モートンは仕事以外では、あまり音楽を聞かない。ましてやa-haの音楽を聴くことはまず無い。しかし、彼はコールドプレイが好きだし、エヴァ・キャシディ、ジェフ・バックリーにも注目している。
「僕が惹かれるのは、シンガーなんだ。僕よりも先を行っているシンガーたちには刺激されるね。」
彼の小屋の中にもCDプレイヤーは無かった。しかしテーブルの上には、今2回目の読書中だというGerd Nygardshaugの『Mengele Zoo』の本と、まだ読んでいない『Forforeren』のペーパーバックが置いてあった。
友人のアーティストが製作したリトグラフの横には、パイプをくわえた老船員の、古臭い絵がかかっている。この小屋を買ったときに、一緒についてきたものだそうだ。
私たちは、ブナの枝を暖炉の火にくべて、モートンの「ヒーラー」お薦めのコニャックを味わった。モートンはこの人に一日何度か連絡を取っているし、彼の話にもよく出てくる。モートンは彼のことを信頼しているようだ。
「僕たちの真の存在とは精神的なものであって、物理的な世界については疑問をもたなくてはならないんだよ」と、モートンは言う。
インタビューの最後に、彼はアコースティックギターをかき鳴らしながら、新曲をいくつか歌ってくれた。心を揺さぶる恋愛こそが、モートン・ハルケットをソングライターに変えた。しかし、1991年にリオ・デジャネイロの巨大スタジアム、マカレナ・スタジアムで、すでに変化の兆候は現れ始めていた。
彼は、巨大なステージの端に立ち、19万4,000人の観客を見下ろしていた。この膨大な人数の観客の一人一人が、ただa-haの音楽を聞くためだけに集まっていたのだ—ただ、モートン・ハルケットに一目会うためだけに。
「声には出さなかったけれど、僕は自分自身を呪ったよ」とモートンは言う。「僕は観客を見下ろしながら、a-haを始めてからその時までに起こった出来事をひとつひとつ思い出していた。僕は自分にこう言い聞かせていた。—さあ、モートン、お前は一晩に20万人の人を集めてみせただけだ。後はステージに出て、全てが進むままにまかせるだけ…何をためらっているんだ? さっさと出ていけよ—というふうにね。」
「ステージの上で歌っているときも、そんな気持ちだったんですか?」
「そうなんだ。たぶん、気づかれなかったとは思うんだけれどね。でも今でも、舞台の上で我を忘れることはできないんだ」と、モートンは言う。「おかしなことに、頭の中ではその時突然に、観客が僕にポップスターでいてほしいと思うのは当然だということが理解できたんだよね。僕はいつだって、自分自身のことを偉い人間だと思っちゃいけないと言ってきた。そのくせに、ポップスターとしての役割を受け入れることができないと思うなんて、思いあがりもはなはだしいよね」と、モートン。
それは、1年半かかるプロセスの始まりだった。それによってモートンは、人間としてポップスターとして生まれ変わることができた。「僕は何事もあるがままにまかせるようになったんだ。僕は、落ちたものを拾いあげたり、落ちていこうとするものを落ちないようにしたりすることは止めたんだ。何事も進むままにまかせようと思ったんだ。」
「結婚生活についてもですか?」
「別に結婚生活がつぶれるままにまかせていたという意味じゃないんだけれど…。そうじゃなくて、僕はただ全てをコントロールしようとするのを止めたという意味なんだ。もし『本物』のものであれば、『進むがままにまかせる』というプロセスにも十分耐えることができると、信じなきゃいけないと思ったんだ」と、彼は説明する。「その過程では、本当に不愉快なこともたくさんあった。でも、僕にとってはどうしても必要な大掃除みたいなものだったんだ。僕が僕の中の基盤みたいなもの(本当の自分というか、自分の本質というか、心の奥底ではどういう人物なのか、内なる自分というか…)、そういうものに触れるためにはどうしても必要なことだったんだ。」
私たちは、桟橋の上で夜のさわやかな空気を吸いこんだ。彼は、Askerの高校でポールとマグネの演奏を見て、くぎ付けになったこと、そして「二人に唯一足りないのは僕だ」と思ったことなどを語った。
その数年前は、彼はHeggedal小学校で、他の少年たちに毎日のようにいじめられていた。まるでその街の行事か何かのように。
「最悪だった、ただそれだけ。僕は学校が大嫌いだった。いつか誰よりも強くなるんだと夢見てばかりいたよ。世界中で一番強い男になるんだ、僕ほどのやつはどこにもいないくらいに…ってね。」
「いろいろな意味で、あなたは正にやり遂げたんじゃないですか?」
「そうかもしれない。17歳のとき、僕は世界的なスターになると確信していたんだ。きっとそうなると信じていたんじゃない。そうなると僕には分かっていたんだ。」
彼の娘のトミーネが電話をかけてきた。今日はバレエのレッスンに行きたくないのだという。パパ・モートンは、行きたくないなら行かなくてもいいけれど、別のことをするようにと言い聞かせていた。電話を切ると、モートンは、離婚後の子供に対する責任について語り始めた。
「親としての選択肢は二つだけだ。一緒に責任を果たすか、別々に分かれて責任を果たすか。」
「(最初の結婚で)すでに3人も子供がいたのに、また別の女性との間に子供を作ることにためらいは無かったのですか?」
「子供を持つことは、アンネ・メッテにとっても、僕にとっても、正しいことだし、大切なことだったんだ。でも、これほどまでに僕にとって大きな影響を与えるとは思いもしなかった。突然に子供がかけがえのない宝物のように輝いて、僕の心の中には他の子供たちでいっぱいなのに、それとは別にさらにこの子のためのスペースが増えたんだからね。」
モートンの家には、コンピューター・ネットワークに接続した巨大な水槽が4つある。蝶々や蘭に夢中だった子供が成長して、サンゴや魚たちに興味を持つようになったのは当然の結果だろう。彼は小屋の外に飛んでいる蝶の中に、キベリタテハや、アカタテハそれにキアゲハをみつけた。おそらくこの島のどこかに、蘭も咲いているのだろう。
彼の住むアパートは、活気であふれている。人々が動きまわり、創造力にあふれ、子供たちが走りまわる。彼の乱雑な一面はここにも反映されている。「僕は完璧主義者じゃないんだよ。だから、僕の家はまるでゴミの山みたいなんだ」と、モートンは笑う。「でも、アンネ・メッテは、仕事場を家庭へと変えてくれる。」
Grunnerlokka(訳注:オスロ市の地区名。北欧のグリニッチ・ヴィレッジと呼ばれている)にある「仕事用アパート」は、それとは正反対だ。隅々まできちっとデザインされている。まるで芸術作品みたいに。
ここで彼は新しい音楽を作っている。彼自身用に、そしてa-ha用に。
「a-haは可能性の全てを見せつくしてしまったわけじゃない」とモートン。「僕たちはいろいろ失敗もしてきた。僕たちの音楽の本質と、僕たちに対するイメージとの間にはあまりにも大きいギャップがある。僕はステージの上では、まるで墓石みたいだったし‐これは今でもそうだけど。」
「僕たちは自分たちの思うようにすることができなかったし、外面的な評価に対して手をうつことはできなかった。何もかも5分前に決められて、すぐ後には単なるティーン向けの雑誌のインタビューを受けている、そういう感じだったんだ。」
「a-haはいつか可能性の全てを見せることができると思いますか?」
「この2枚のアルバムでやってきたようにすれば、いつかできるかもしれない。でも、その質問にイエスとは言わないよ。今は、僕たちはそれぞれプライベートなことや、ソロ活動のために時間が必要だと感じているんだ。20代の時よりも、考えなきゃいけないことがたくさんあるんだよ。」
「もうa-haのアルバムは出さない、という風にも聞こえますが。」
「今回が初めてじゃないし…それに、僕たちはバンドを、常に何かを注ぎ続けて満杯にしておかなきゃならない入れ物みたみなものだとは考えていないんだ。恋愛関係だって同じことだよ。不確実なことや、弱さを乗り越えることで、強いものになるんだよ。」
「一緒に仕事をしていないときも、よくポールやマグネとは連絡を取り合っているんですか?」
「連絡はほとんど取ってないよ。一緒に仕事をしているときは、本当に濃密な関係になってしまうからね。でも連絡を取らないからって、お互いへの気持ちが変わるわけでもないし。」
「それじゃあ、バンドのメンバーは、仕事仲間というよりも兄弟みたいなものなんでしょうか?」
「兄弟。僕の気持ちはまさにそういう感じだね。」
「じゃあ、もしその時が来たら、あなたは両手を広げて二人を迎え入れると?」
「いつだって大歓迎だよ。」
≪ 続きを隠すドイツ-Web- 26/03/03
LAUTより 訳:Mayumi
ワールドツアーと腸内洗浄の間に
LAUTはモートン・ハルケットに独占インタビューをしました。モートンはイラク情勢などの複雑な問題にも臆することなく語ってくれました。
ケルン発−3人の才能あるノルウェー人、ポール・ワークター・サヴォイ、マグネ・フルホルメン、モートン・ハルケットは目覚ましいカムバックを遂げました。2000年に『Minor Earth Major Sky』をリリースした後、先月ニューアルバムを発表し、新たなプロモーション・ツアー、そしてニューシングルはF1レースシリーズのテーマソングに選ばれました。最新のダブルアルバムを発表したばかりの今、モートン・ハルケットはLAUTにたっぷりと語ってくれました。
こんにちは、モートン。次々とインタビュー、プロモーションツアーをこなしているようですね。まずは最新アルバムのリリースについてきかせてください、あなたは…
モートンはすかさず口をはさみます。
いや!…これは新しいアルバムで新しいプロモ・ツアーなんだ!以前と同じではないよ。物事はただ円を描くように回っているのではないんだ。どちらかというとらせん状にまわっている。それは僕らがデビューしたころとまったく変わっていないよ。最初は何も持たずに突っ立っているだけなんだけど、だんだん自分が信じるものを身につけ、自分のキャリアを積み上げていくんだよ。
アルバム製作、プロモーション活動、ツアーのリズムに戻りたいと思っていましたか?
自分がどんな仕事をしたいか、何をして稼ぎたいかによるね。僕はa-haと一緒に、ソロとして、他の誰かとも一緒に仕事をしたい。まだそのリズムに戻る準備ができてないんだ。僕の中にはまだたくさんの音楽が眠っている。僕は音楽に感応できるし、音楽を信じている。人生にはとてもたくさんの可能性があるし、参加したいプロジェクトがたくさんある。でも音楽に時間を費やすのは僕にとって正しいことだと信じているよ。
それは多くの人たちによって証明されていますね。
うん、みんな僕らを音楽業界に暖かく真摯に迎えてくれた。でももう過去のことばかり語りたくない。それは古いことだし、もう興味はないよ。僕らは毎回家を一から建て直さなければならないんだ。一度築いた土台の上に建てるのではなくてね。
それがa-haにとってうまくいく方法なのですね。
そう、うまくいっている。すばらしい反響をもらったよ。
ニューアルバムのマスタリングにも参加したのですか?
うん、その都度ね。
a-haといえばプロデューサーはポールとマグスで、あまりあなたは製作面にかかわっていないような印象があります。
そうだね。でも僕も経験を積んできたんだよ。ソロアルバム『Wild Seed』をレコーディングしたとき、僕もプロデュースに関わった。(ソロのときは)誰が関わるのか見つけなければならない。自らの手によってやるか他の誰かに委ねるか。僕はプロデュースの過程を知っているし、注意深くやらなければならないこともわかっている。
チューリッヒでのライブを堪能してきました。プレスに(ライブアルバムの収録場所が)発表されたときすごく驚きましたよ。アルバムの大半はチューリッヒで録音されているんですね。なぜ驚いたかというと、正直あの晩はちょっとスローな感じがしたんです。あの晩のライブを録音していることは知っていましたか?だからゆっくり目に演奏したのでしょうか?
いや、僕らは毎晩録音していたんだ。そしてどれとして同じ日はなかった。音響、会場、コンディションによって違ってくるんだ。同じことはありえないんだよ。
なぜチューリッヒが選ばれたんですか?何が特別だったのでしょう?
チューリッヒは良いギグだったよ。いい気分でできた。なぜ選ばれたかというと、オーディンスの曲に対する反応のせいなんだ。演奏中は、ステージ下で何が起こっているのかきづいていないことが多い。でもあとでテープを聴いてみると、すぐに反応を聞くことができる。それがチューリッヒはよかったんだ。ギグ自体がどうのということではなくてね。
演奏されている曲のスピードがいつもよりちょっとスローな気がしたので、選ばれたのかと思いました。
うん覚えているよ。その通りだね。あの晩はそれほど早いテンポで演奏しなかったかもしれない。それゆえに音が良かったし、オーディエンスが熱心に聴いてくれたんだ。チューリッヒのオーディエンスはどちらかというと洗練されているね。彼らはじっくり聴いてくれた。たとえばドイツのオーディエンスとはまったく違っていたよ。ライブ終了後、スイスのレコード会社の人たちと話しをしたんだけど、チューリッヒ流に言うと、静かな活気があった夜だった、と言っていたよ(笑)。ステージ上の僕らにとってはただ盛り上がっているのというものは別物だった。そのかわり熱意を感じた。チューリッヒのオーディエンスはとても熱心だった。いつもパーティー騒ぎばかりというわけにはいかないよ。静かな反響というのも時には必要だね。
このツアーの全体的な感じというのはどうでしたか?ツアーの狂乱に巻き込まれましたか?それともすべて計画通りに運んだのでしょうか?
そうだね、マグスは自ら医学の実験台になったんだ。彼はバンドメンバー全員に腸内洗浄を受けさせたんだよ。
何ですって???
本当のことだよ、冗談ではなくて。腸全体をきれいにするんだ。一度に腸に水を流してね。そして透明なチューブを通してすべて流れ出てくるんだ(笑)。
ツアー中にそんなことをしていたんですね!
僕はやってないよ!マグスだよ!マグスがやったんだ!2回洗浄を受けたと思う。最高だったのは、バックバンドのメンバー全員、ドラマー、ベーシスト、キーボードの3人にも受けさせたことだね。ポールと僕だけ拒否したんだ。そして洗浄を受けた全員、ひどく気分が悪くなった。ベーシストはステージで紙袋に吐いてしまったんだよ。演奏中にね!(笑)そして全員下痢になってだるさと疲労感に悩まされた。でもみんななんとか切り抜けたよ。僕の記憶が正しければ、ポーランドでのことだったよ。
アルバムカバーについて話をきかせてください。アザラシには少々驚かされました。これには何か秘話があるのですか?なぜアザラシがライブアルバムのカバーになったのでしょう?
いや、秘話はないよ。これを見た人がそれぞれのストーリーを見つけてくれればいい。でもこの写真には共感できると思うよ。少なくとも僕はね。それがカバーだよ。食べてみて(笑)正直、このカバーはとても気に入っているよ。これはとても印象的な写真/テーマだと思う。それに僕ら3人、すぐにこれをカバーにすることに賛成したんだ。全員とても気に入っている。たいてい全員が賛成にいたるまでもっと時間がかかるんだ。それにタイトルの『How can I sleep with your voice in my head』 もすぐに気に入った。これがよくあるライブアルバムのカバーではないところも気に入っている。それ以上のものがあるね。a-haをよく表現していると思う。カバーの中央にアザラシが浮かび上がろうとしている。まるで吊るされているように、無重力状態の中にいる宇宙飛行士みたいだね。そしてまっすぐにカメラのレンズを見据えている。
ペール・マニング(カバー写真を撮った写真家)とは知り合いなのですか?
うーん、多分知っていると思うよ。でも僕は名前を覚えるのが得意じゃないんだ。すごくたくさんの人と出会うからね。マグスはそういうことに気を使うね。彼はみんなに話しかける。僕も話をするけれど、みんなの前に出たくないんだ。マグスは集まりを企画するのが好きで、常に新しいアイデアを持ってきては提案する。ポールと僕はただそれに反応するだけだよ。もちろん僕らも参加することになるんだけどね。
ニューシングルの『The Sun Always Shines On TV』はドイツのF1レースシリーズのテーマソングですね。これはレコード会社のアイデアでそうなったのですか、それともバンドの意向ですか?
うーん、こういうことは偶然起こるんだ。人生におけるチャンスを逃さないのと一緒で、僕らも今回のチャンスを両手でしっかりうけとめたってわけさ。たとえば、土曜日に僕はハンブルグで豪華客船の命名式典のために歌うことになっている。この客船はベルゲンを北周りで航海するんだ。これはたぐいまれな航路で、自然の眺めが素晴らしいんだ。ノルウェー人のちょっとした誇りでもある。このルートで航海したことはないんだけど、行ってみたいと常に思っていたよ。今回、僕に一緒に来ないかと誘いがあったんだ。もちろん行くことにしたよ。ところで式典はハンブルグでやるんだ。乗客のほとんどがドイツ人だからね。
それでは(今回の訪独は)F1が主な理由というわけではないですね。しかし、どこかであなたは車にとても興味があると読んだことがあるんですが、本当でしょうか?
うん、車は好きだよ。でもスピードが出るとかそういうことではないんだ。むしろどれくらい運べるかに興味がある(笑)。そうだね、車はただ必要なことを満たしてくれていればいいんだ。運搬できる収容量が僕にとっては大切なんだ。ほとんどの車は半分しか満たしてくれないね。みかけはかっこいいかもしれないけれど、スペースが足りない。僕が知っているSUVのほとんどはくだらないよ。四駆ではあるけれど、たいした重量を運ぶことができない。
昔、ヒッチハイクしようと道端に立っていましたが、SUVのドライバーは絶対に停まってくれませんでしたよ。
(笑)その通り。誤解しないで欲しいんだけど、デザインは好きなんだ。特に工業的なデザインがね。ただ、形と機能は関連しなければならないね。だから僕はいつもメルセデス・ベンツを運転している。ずいぶん前から気に入らなくなっているんだけどね。それで、車種を変えたいと思うんだけど、いつもベンツのどれかが目の前に現れるんだ。それがいつも問題になる(笑)
これから数ヵ月後は何をする予定ですか?休みをとりますか、それともスタジオに直行しますか?
今はこのアルバムを発表するのにちょうどいい時期だと思う。このアルバムは、僕らのカムバック、そして二つの素晴らしいツアーの記録になったよ。初めて、僕らは自分たちのライブを満足できるかたちで発表することができた。クールな企画だと思ったよ。それと同時にこれはベスト版ともいえるね。でもよくあるベスト版とは違う。このアルバムは画期的だと思う。これから僕ら3人はそれぞれ表舞台から消えて違うところへ行くんだ。その間、それぞれ新しい曲に取り組んで今年の終わりあたりに集まってどう進めるか話し合う予定だよ。自分のやりたいことに必要な時間をとるんだ。ここ3年はa-haで忙しかったし、新しいアルバムに集中するまえにいろんなことを軌道に乗せないとね。
アンネリ・ドレッカーの今後の予定はどうなっていますか?多くの人が彼女は4番目のa-haのメンバーだと言っていますね。
いや、アンネリはアンネリだよ。a-haのメンバーじゃない。アンネリは素晴らしいシンガーで僕らと共通のキャリアを積んでいる。今以上に一緒に仕事をする可能性は大だよ。
もっとデュエットするということですか?
もちろんそうだね。でも彼女はそれだけじゃないんだ。今まで僕らが一緒にやってきたことは、彼女のほんの一部分にしかすぎない。彼女は素晴らしく人を惹きつけるシンガーだよ。a-haと一緒にやらなくてもね。
アンネリと作曲することを考えたことはありますか?
もちろんあるよ。それはアンネリとだけではなくてね。曲を書くと、a-ha向きでもなくてソロにも向かないものがよくできあがるんだ。
ソロ活動の計画はありますか?『Holyground』のりリースはありますか?
『Holyground』ね。もちろんあるよ。どこでそれを聞いたの?
ノルウェーのテレビ番組のストリーミングがあって…
ああわかった、ギター一本で歌ったときのだね。僕はいくつか曲を隠し持っているんだ。マイ・リトル・コレクションと呼んでいるんだけどさ。今後のソロ活動のことは後で考えるつもりだけど、『Holyground』のリリースは約束できるよ。
トリビュート・アルバムについて考えたことはありますか?U2がカバーする『The Sun Always Shines On TV』、Coldplayが演奏する『Hunting High And Low』…
いや、そういうものについて考えたことはないな。でも良いアイデアだね。ダブル・アルバムを製作して2枚目には(a-haのカバーをした)そういうバンドの曲をお返しにレコーディングしようかな(笑)
他のバンドの話題がでたところで、この前のシングルにConsoleとMillenia Novaのリミックスが収録されていましたね。どうして一緒にやることになったのですか?ドイツのエレクトロ・シーンについて知識があったのでしょうか?
(笑)ないよ。たまたまそうなったんだ。たくさんのリミックスバージョンがあって、彼らのリミックスはスタイル的にまったく違うものだった。究極に違うものだったんだ。僕の記憶が正しければ、彼ら自身が曲を選んだ。一緒に仕事をしようと頼む必要はなかったんだ。結果はとても良いものになった。驚くほどいいものができたよ。
あなたが音楽をまったく聴かないというのは実際本当の話なのでしょうか?CDプレイヤーには何が入っているんでしょう?
埃だよ(笑)。
静寂を楽しんでいるのですね。
そう、その通り。
5年後の自分はどうなっていると思いますか?
(笑)5年後?わからないよ。5年前にどうだったかということも考えたくないな。
それでは10年後は?
約50年後に、僕がどこにいるかある程度考えられるよ(笑)確かに面白いね(笑)
マグスは最近、ノルウェーのアートとファッション雑誌『ホット・ロッド』のインタビューを受けました。これについてはご存知ですか?
知らないよ。なんで?
マグスは女装して、金髪のかつらに口紅をつけていました。鏡の前でブラジャーをつけたマグスが化粧している写真も見られます。その上、彼は『メディアに身を売った人生』とコメントしているんですよ。
そんなことはまったくないよ。僕は自分を売ったことは一度もない。僕がメディアにでているのは、世間が僕に顔を出して欲しがっているからだよ。頼まれて「いいよ」と答え、さあ行こうと言う。でも強制されるなら何もしないよ。自分を正当化できることだけをするんだ。マグスにとっては少し事情が違うのかもしれないね。彼はパッセンジャーにしか過ぎないことが多いし、世間で自分を表現できる場を捜し求めている。メディアはいつも僕に集中してきた。マグスがその雑誌で何をやろうとしたのだか僕には理解できないよ。もう少し自分の時間を分別のあることに使うことができそうなものだけど。まあ、最終的に自分がやっていることがわかってくるものなんだ。今の僕のように、常に自分のことをしゃべることを期待されると、少しずつ頭がおかしくなってくるよ。自分がやってきたことを何度も何度も繰り返し反すうしたくない。創作の段階では気分よく仕事ができる。過去にやったことをいつも細かく分析するのは嫌だな。
しかし、あなたは物事に深く取り組むころができる人だと思います。東ティモール紛争への関与について考えてもそうですね。そういうことに取り組むことで充足感を得られますか?あなたは政治的な人なのでしょうか?
うん、そうだね。そうすることが正しいと信じられたらね。君に訊かれたから言うけれど、5月に東ティモールに行く予定があるんだ。東ティモール紛争に関しては、ノーベル平和賞以来かかわっていないんだけどね。僕はやるべきことをやり、自分の任務をまっとうした。自分の時間を費やすのに値する義務があると思ったからね。これから何人かの政治家と会って意見交換をするんだ。あそこで何が起こっているのかとても心配だよ。そして僕が信じることについて人々と話をし、彼らが信じることについて話を聞きたいと思っている。そうする以外方法がないんだ。
以前パキスタンのJunoonというバンドと一緒に『Piya』という曲を一緒にやったことがありましたね。
『Piya』は良い曲だね。サルマン(※Junoonのメンバー)も一緒に東ティモールへ行くよ。少なくともこれが僕らの計画だよ。
もうお気づきでしょうが、政治的な質問をします。今、イラクとの戦争の問題に直面していますね。あなたの意見を聞かせて下さい。
これは難しいね。とても微妙な問題だからね。国連安保理で問題を解決できなかったことは非常に残念だと思う。世界にとってよくないことだよ。残念ながら今となっては現実に直面せざるを得ない。これはアメリカではなく国連の問題だと思う。他の大多数の人たちと同じ意見だよ。でもここで乱暴に問題を単純化してアメリカばかり責めるのも同じくらい間違っていると思う。そういうことをするのは間違いだ。ここで語るにはもっと長い時間が必要だったし、フェアなかたちでじっくり座って協議するべきだったと思う。そうしたら何時間でも語り合えただろうね。
わかりました。2ヶ月前に二人目のお嬢さんが生まれたそうですね。最後におめでとうといわせてください。
どうもありがとう。
名前はもう決まりましたか?それとも秘密にしておきますか?
僕らが名前を決めたことは秘密ではないよ(笑)でも名前はプライベートのままにしておきたいんだ。
どうもありがとうございました。
≪ 続きを隠すノルウェー-雑誌(Hot Rod)- 03/03
訳:みこ
Hot Rod:世界中の人々がノルウェーのことを考えるとき4つのことを思い浮かべると思うのですが、それはさぞ誇らしいことでしょうね。つまり、フィヨルドと、バイキングと、悪魔主義者による教会焼き討ちとa-haの4つというわけなんですが。あなたたちはまるでノルウェー政府の一機関あるいは、生きた伝説のようになったわけですが、あまりにも有名で、自分自身やバンドの実態よりも大きな存在になってしまうというのは、どんな感じなのでしょうか?
マグネ:そのノルウェーのイメージは、もうちょっと明るいものにしてほしいんだけど…。君の挙げた4つのものから僕たちを抜いたら、ものすごく陰気くさい国みたいじゃないか?でも、僕たちに押しつけられた「大使」としての役割は、あまり楽しいものでもない。僕たちは、何かのスポーツのナショナル・チームじゃないんだから。
Hot Rod:あなたがまだ幼いときに亡くなったお父様もミュージシャンだったわけですが、彼は、あなたがキャリアを選ぶ上の道標となったのでしょうか?
マグネ:父が亡くなったことは、僕が人生において選択をせまられたときに、大きな影響があったと思う。もしかしたら、生きていたよりも、影響が大きかったかもしれない。僕がこれまで成し遂げてきたことのほとんどは、ある程度は、亡き父のために神殿を築くためのようなものだったから。
Hot Rod:幸運を求めてロンドンで過ごしていた頃、何を考えていましたか?
マグネ:ロンドンは11年の間、僕のホームタウンだった。あの街は、絶対にお金が無いときよりもお金のある時の方がいい街だね。僕は長い間、ロンドンには愛憎半ばする感情を抱いていたんだけれど、今年(訳注:2002年)ロンドンに戻ってみて、今ならまたここに住むことができると思ったよ。あの街には、薄汚れた華やかさと、芯の座ったところが入り混じった独特な雰囲気があって、なぜか僕はそれが大好きなんだ − 人を弱気にさせてくれるから。
Hot Rod::間もなく007の第20作目がリリースされます。1987年に『The Living Daylights』のサウンドトラック製作に参加して、007に関わったときは、どんな気持ちでしたか?偉大なる007その人にも会ったんですよね?
マグネ:偉大なる007が誰のことを指しているのかにもよるけれど‐ティモシー・ダルトンになら会ったよ。個人的には、彼はイマイチなキャスティングだったと思う。彼は舞台俳優としては本当に素晴らしいんだけれどね。彼がヴァネッサ・レッドグレイブ(さらにいい舞台俳優だね)と共演した舞台をロンドンで見たことがある。その後でボンド役の彼を見ると、ちょっとばかばかしい気がしたんだ…。 僕はロジャー・ムーアの方が好きだったな。彼のスタイルというか、あの眉の上げ下げとか、本当にいい演技だった!まあ、少なくともダルトンは、007にユーモアというものを持ちこんだわけで、それは悪いアイディアじゃないよね。ボンド映画では、いろいろな経験をしたよ。あのブロッコリ一家を取り巻いている「ボンド・ファミリー」(バーバラ・ブロッコリによると、彼女の曽祖父さんが、初めて野菜のブロッコリを作ったんだそうだ。彼女はセットで、全員にブロッコリをスプーンで食べさせるという、バカげた儀式みたいなものをやっていたんだよ)って人たちは、まるでロイヤルファミリーみたいに振舞っていたんだ。それに、もちろん、僕たちとジョン・バリーとの、あの「伝説的」な揉め事のせいで、かなり後味が悪かったよ。彼はベルギーの新聞のインタビューで、僕たちをヒトラー・ユーゲント呼ばわりまでしたしね。そのおかげで、その後、ベルギーで有名になれたんだけど。
Hot Rod:どのバンドも違った個性がぶつかり合う中で音楽作りをしている、と言われているわけです。例えばスパイス・ガールズには、かわい子ちゃんタイプやら、怖いタイプやら、セクシーなタイプやらいますね。ビートルズにも、夢見がちなタイプに、元気なタイプ、知的なタイプ、ちょっと風変わりなタイプといたわけです。a-haのメンバーについてはどうですか?
マグネ:僕に言わせれば、3人ともすごく怖いタイプだね。デビュー当時、僕たちに割り振られたイメージは、僕たちは自分たちの仕事を、自分たちの思うようにできないというイメージだったけど。僕はラッキーなタイプって言われていたな。つまり、道化役としてしか真面目に受けとってもらえないというわけだよ。
Hot Rod:あなたが憧れの有名人にあったときは、どんな感じでしたか?うっとりしましたか? 緊張しましたか?それとも感激のあまり言葉を無くしましたか?
マグネ:モナコで、ただの一ファンとして振舞ってしまったことがあるんだ。モートンと僕は、ロビー・ロバートソン(The Band)とジョージ・ハリソンと一緒に飲みに行ったことがあるんだ。二人とも、僕に音楽的影響を与えてくれた人達のリストの上位にくる人たちなんだ(ちなみに、そのとき二人ともペヨーテでハイになっていた…)。小洒落たナイトクラブの前に立って、4人で茂みの中に立ち小便をしたんだ。そうしたら、ジョージ・ハリソンが「パパラッチの喜びそうな光景だよな…」と言ったんだ。最高にロックンロールな瞬間だったな。この業界にいたら、以前から知っていたアーティストにとは(知らなかった人もだけど)、たいていの人には顔を会わす機会があるんだけど、ほとんどの人はただ感じが良くて礼儀正しい人たちで、個人的にはそんなに印象に残るわけでもない。あるとき、僕は、ヘニー・オンスター・ アートセンターでの展覧会のことで、ニューヨークのオノ・ヨーコに電話しなくてはならなかったんだけど、あのときは本当にドキドキしたよ。僕は、本当に何を言ったらいいのか分からなくなってしまっていたんだけれど、彼女の第一声は「ごめんなさい、でも今シチメンチョウの料理をしている真っ最中なのよ…」だったんだ。僕は、これはすごくクールな台詞だと思って、何か気の利いた返事をしようと、脳みそを絞って考えて…結局、感謝祭の日に、シチメンチョウのお腹に具を詰めながら、電話をかけなおすことにしたんだ。
Hot Rod:あなたは以前、ツアーの間は「しかめっ面のヘタレ」になってしまうと言っていたそうですが、大規模なツアーがついこの間終了した今も、同じ気持ちですか?
マグネ:そうでもないな。歳をとったら、ツアー生活を楽しめるようになってきたよ。惨めなものだね。絶対に、いわゆる中年の危機ってやつだな。でも、以前よりもいろいろなことができるようになったからというのもあるかもしれない。つまり、キーボードとかギターとか、いろんな楽器を弾いたり、リードシンガーもやったりするのは楽しかったから。僕は自分が得意でないことをやっている時の方が楽しいんだよ。ツアーというのは、旅をするのに訪問先を見学することもないし、大勢の人に会うのに、その人達の人生に関わるわけでもない。昔は認めたくなかったけれど、本当は僕は落ちつきがないタイプで、流浪の民のような生活の方が、僕に向いているのかもしれないね。
アートについて
Hot Rod:初めて展覧会を開いたのは1989年でしたよね。それ以来、あなたの作品は発展あるいは変化してきたと思いますか?
マグネ:もう酷くなる一方で…。真面目な話、95年が僕にとっての飛躍の年だったと思う。(ヘニー・オンスター・アートセンターで「Kutt」展が開催された年。)今までのところ、あれが僕にとって最初で最後の、ただひとつのコンセプトに基づいた展覧会だったんだ。あの展覧会以降は、自分が得意なことだけをやって居眠り運転をしているみたいな状態に陥ってしまうのが、何よりも怖くてね。僕はいつも常に何かを、本当の意味で創り出していたいんだ。それが物作りというものの一面なんだよ。でも最近は、何かをやり始めると、その反応を観察して喜んでいるところが大きいね。僕は、アートとは何かを「運ぶ」手段だと思っている。「運ぶ」という言葉は、僕が追い求めているものを、よく表していると思う。つまり、僕自身や他の人たちを、ある場所から別のところへと運んでくれるもの、という意味なんだ。
Hot Rod:正式にアートを学んだことがないそうですが、そのことで何か苦労はありますか?
マグネ:無いよ。それこそが、僕の最大の強みだと思っている。
Hot Rod:以前の作品で、あなたはお父様の死などのテーマを扱っていたことがありますよね。アートはあなたにとって、魂を浄化するためのプロセスなんでしょうか?
マグネ:時々墓泥棒みたいな気分になるけど。でも同時に、父の死は僕の人生にとって重大な出来事だったのだし、思い出を埋め合わせるために、絵や版画、オブジェのような何か形のあるものに置きかえるというのが、僕のやり方なんだ。それに、セラピー受けるより安上がりだし。
Hot Rod:最も影響を受けたアーティストは?
マグネ:本当にたくさんの人達から影響を受けている。多すぎて、名前を挙げていけばキリがないよ。僕は17歳のときヘニー・オンスター・アートセンターで働いていたんだけれど、その頃に会った、いろいろな分野で活躍しているアーティストたち全員から影響を受けている。彼らが展示物をどんな風にまとめるのかを目にしたり、作品を飾るのを手伝ったり、作品についてどう考えているのかを学んだり…こういうことが、若い頃の僕にものすごく影響があったんだ。それから、ノルウェーのアーティスト仲間たちと密に協力しあいながら仕事をする機会があると、すごく影響を受けるよ。例えば、名前を挙げていけばキリがないけれど、シェル・ヌーペンとかオラフ・クリストファー・イェンセン、シェル・エリック・キリ・オルセンたちだよ。
Hot Rod:世界中の好きな場所で展覧会を開けるとしたら、どこで開きたいですか? またその理由は?
マグネ:コペンハーゲン郊外のルイジアナがいいね。本当に美しいところなんだ。
Hot Rod:切手のデザインの仕事は本当に素晴らしいですよね。あなたの作品が、世界中の家々に郵便で届くわけですよ。この仕事を依頼されたとき、どう思いましたか?
マグネ:このことについては、格好つけるつもりはないよ。すごい仕事だと思った!
Hot Rod:バレンタインが切手のテーマだったわけですが、あのように小さなスペースに印刷されることを考えれば、図柄をありきたりのものにならないようにするのは、大変ではありませんでしたか?
マグネ:僕は、ありきたりのものが悪いとは思っていないよ。ポップ・ミュージシャンなら、ありきたりの様式の中でも自由に表現することは可能だと知っているからね。僕はこのプロジェクトとそれに続く展覧会用の作品を、実際の切手サイズで制作することにしたんだ。僕は、単なるミニチュア・アートにはしたくなくて、1インチ四方の名作を作ることを目指したんだ。小さいサイズのフォーマットそのものが、僕にとって挑戦だったんだ。なにか特定のテーマではなくてね。自分自身にこういう制限を加えることで、創造的な面では自由になれることがあるとい、気づかされるんだ。このプロジェクトの場合は、ビジュアル版俳句を作っているような気持ちになった−つまり、スペースが限られているからこそ、新しい言葉づかいが生まれるみたいな感じだったんだよ。それに、「本物の切手を作る機会なんて、この1回しかないぞ。だからこの機会を最大限に活用するんだ、切手と郵便の歴史に残るようなものにしなくちゃ」と思ったんだ。僕が作ったシリーズでは、糸とロープを使って、「結びつけ、つなぎ合わせる」というロマンティックなテーマをビジュアルで表現したんだ。僕は、販売期限が印刷されているような切手はイヤだと言ったんだ。そうすると彼ら(ノルウェー郵政省)は、バレンタイン用のスタンプから、このe-mailの時代にこそ「本物」の手紙を書こうというキャンペーンに使うことに、計画を変更してくれたんだ。
Hot Rod:複数の素材で本当の意味で成功している美術家というのは少ないですよね。あなたはそれを成し遂げたわけですが、なぜ可能だったのだと思いますか?
マグネ:その意見には賛成しないな。成功している人はたくさんいるよ。ただ、「良い」ものを作った人が少ないだけだよ。
Hot Rod:あなたは、どの素材を使って製作するのが好きですか?
マグネ:今まで使ったことのない素材だね。一番楽しいのは、新聞やテレビ、彼らが僕に対して、そして彼ら自身に期待していることをいじくることだな。
Hot Rod:例えばデビッド・ボウイやジョン・レノン、ロン・ウッド、ポール・マッカートニーにジェーン・シーモアやチャールズ皇太子など、セレブも画家としてギャラリーのドアをくぐることができると証明してみせた有名人は他にもいるわけですが、他の誰と比べても、あなたは才能があるし、しかも「持久力」があると証明してみせたわけです。そのことを誇りに思いますか?
マグネ:その中だと、チャールズ皇太子の作品が一番好きかな…。
Hot Rod:私が挙げた人たちよりも、もっと興味深い、複数の分野で活躍するセレブをご存知なのかもしれませんが…
マグネ:(僕は、世界のロイヤルファミリーはみんな、アートの仕事をして、自分の作品の展覧会を開催させるようにするべきだという意見なんだ。そして、もしその作品がクソなら、社会的地位を剥奪されるようにするというわけ!裕福でグウタラだから才能を磨くことができていなかった、新しいバルテュスや将来のバーニーが、ロイヤルファミリーの中に隠れていたとしたら? たった一人すばらしい人がいるだけで価値があるよ…でも、今日すぐにでも展覧会を開きたいと主張するような、厚かましい上に才能のないやつの出番は無しだよ。)40歳の男に、「持久力」があって誇りに思いますかだって? それって引っ掛け質問? そうだね、結局は、作品というものは後に残るものだよね。時には、自分の成し遂げたものを見て、ちょっとばかり誇らしく思うこともあるけれども、うまくいかなかったことに意気消沈することの方が多いんだから。
Hot Rod:クリスマス・シーズンに、あなたは、クー・クラックス・クランを扱った、HotRod galleryの「Black and White Xmas show」で作品を展示しましたよね−あいかわらず厄介な題材ばかりのギャラリーです。あなたはどのようにして、この題材に取り組んだんでしょうか?
マグネ:そうだね。実を言うと、子供のときに見たテレビの映像を思い出しながら作ったんだ。この展覧会のタイトルは、どういうわけかテレビ、60年代のテレビの映像を思い起こさせたから。タイトルは、ビリー・ホリデイの『奇妙な果実』という歌から取った。あの頃、他にもいくつかのショー用に、切り絵と折り紙を使った作品を制作していたところで、僕は同じことを、白と黒の紙という本当にシンプルなものでやってみようと思ったんだ。白い紙の円錐に穴を開けて、白いクリスマスツリーのような形に仕上げて、黒い紙を人の形をつくって、それを不愉快なクリスマスの飾りに仕立てたんだ。
Hot Rod:あなたがオスロ中央駅のクリスマスツリーに、14,000クローネのコインとお札(お札を折り紙にして、綺麗な星を作った)で飾り付けをして、結局お金は全部盗難に遭った件は、世界中のマスコミの関心を集めましたよね。そもそも、あの飾り付けのコンセプトは何だったんですか? また、わずか数日で、お金が全て盗まれてしまって、どんな気持ちでしたか?
マグネ:そうだね、ニューヨークの友達から、CNNでニュースを見たよと言われたときは、本当にショックだったよ!お金に関することなら、どんなことでも人の興味を惹くんだからね…。僕は、他のアーティストたちと一緒に、14,000クローネ(約2,000米ドル)を使ってツリーの飾り付けをするように依頼されたんだ。僕はそのお金そのものを、飾りとして使っただけなんだよ。僕が予想していた以上の議論が巻き起こったようだね。あまりにもデカダンすぎて不愉快だという人もいれば、非常に意味深だという人もいた。僕は、滑稽だと思っていたんだけれど。マスコミは、僕が盗難を警察に通報したのかどうかばかり知りたがっていたけれど、もちろん、まったく的外れなことだよ。僕は彼らに、お金を盗んだ奴らは、実は僕の作品を完成させてくれて、その報酬を得ただけのことなんだよ、と話したんだ。マスコミっていうのは、往々にして、自分たちがやったことに気づいていない。あのツリーは地上3メートル以上のところにつるされていたんだから、テレビのニュースで報道されなかったら、あれが本物のお金だなんて気づく人はいなかっただろうにね。
ソロ・キャリア
Hot Rod:過去に、そして現在、音楽的にもっとも影響を受けたのは誰ですか?
マグネ:若いときには、ドアーズが新しい世界を開いてくれた。誰もが言うだろうけど、その後はビートルズが、僕の目指すミュージシャン像だった。いろんなバンドに夢中になったけど、当時は僕にとっては大切なことだったんだ。最近は少し興味が変わってきて、ジェフ・バックリー、カート・コバーン、PJ・ハーベイ、シンニード・オコナー、ベック、レディオヘッド(トム・ヨーク)、エイミー・マン、レナード・コーエンなんかに影響を受けているよ。
Hot Rod:現在のノルウェーの音楽シーンには、才能あふれるミュージシャンがいると思いますか? それとも、今でもいないと思いますか?
マグネ:世界的に活躍できそうな、才能を持った人がたくさんいるよ。僕たちが若い頃よりも、ずっとたくさんいると思う。たぶん、音楽に対する姿勢が変わってきたからじゃないかな。いわゆる「北欧の奇跡」ってやつのおかげで、若い世代の人たちは、何の苦労もせずに、より広い分野で活躍できるようになったんだと思う。この国で問題なのは、音楽をとりまくビジネス環境なんだよ。いいマネージメントとか、レコード会社とか、アーティストの発掘とか、エージェントとか、そういうのがまだ十分でない。この国のアーティストは、自分達の周りのことを、ほとんど何もかもやらなくてはいならない場合が多いんだ。まあ、それは必ずしも悪いことばかりでもないけれど。
Hot Rod:a-haの活動のせいで、自分自身のプロジェクトのための時間が十分に確保できないということはありませんか?
マグネ:もし、1日を28時間にすることを、基本政策に盛り込んでくれる政党があったら、絶対その党に投票するんだけどな。
Hot Rod:舞台に最初の一歩を踏み出すときには、今でも神経が苛立ったりしますか?それとも、そういうものは、時が経つにつれて、慣れていくものなんでしょうか?
マグネ::ノー。(ノー??)
Hot Rod:ソロパフォーマーとして演奏した経験から何を得ることができましたか? またこの表現分野をさらに開拓していきたいと思いますか?
マグネ:バンドを再結成して以来、僕は「4分間のポップソング」というものの可能性に、再び目覚めたんだ。初めて、僕は突飛な実験音楽だとか、映画のサントラじゃなくて、「ちゃんとした」レコードを自分自身で作りたいと思うようになったよ。
Hot Rod:あなたは、たくさんの楽器を演奏できますよね‐その中にはクラビコードみたいな変わったものもあるわけですが‐あなたの好きな楽器は何ですか? また、その理由は?
マグネ:楽器をプレイ(演奏)することとは、僕にとっては、まさに恐れずにプレイ(遊ぶ)することなんだ。でも、僕をパーティーの席でピアノの前に座らせようとしても、役に立たないよ。僕が一番気に入っている楽器は、チェンバレン。まるで気まぐれなメロトロンといった感じの楽器なんだ。
Hot Rod:モートン・ハルケットは、あなたのことを、まったくもって無秩序で、自制というものを知らない人だと言っていたそうですが、ソロ活動を初めてから、変わったと思いますか?
マグネ:モートンに聞いてくれ。僕より自制心のある人なんていないと思うんだけれど。これまでの人生で本当にたくさんの人に会っているから、いちいち昔のイメージを訂正してまわるわけにもいかないよね…。
家庭生活
Hot Rod:現在の世界の状況は、親として怖くなりませんか?
マグネ:怖くなるけれども、怖くなることは良いことでもあると思うんだ。おかげで、以前のようには無関心ではいられなくなるからね。
Hot Rod:あなたは結婚して10年、その前にも長年お付き合いをしていたわけですが、家庭で夫婦の関係や、家族との関係を幸せに保つ秘訣は何なんでしょうか?
マグネ:どんな関係においても、それぞれルールがあると思うんだ。僕たちが出会ってから22年になるけれど、22年後にまた聞いてみてよ。僕は、いつだってエゴイスティックな馬鹿だったよ。それが成功の秘訣なのかもしれないね。
マグネの思い
Hot Rod:あなたは、a-haの一員として世界中を旅して来たわけですが、なぜノルウェーに戻ろうと思ったのですか?
マグネ:孤独が必要だったからだよ。ショービズの世界から抜け出して、距離を置くためだったんだ。それに、ちょうどその頃生まれたばかりの息子を、自分のなじんでいる土地で育てたかったんだ。
Hot Rod:オスロという街はずいぶんと面白い地名が多いですよね。Skullerud(英語の「Skull Road=骸骨通り」と発音が似ている)だとか、Bogerud(英語だと「鼻くそ通り」に聞こえる)だとか、それにもちろんManglerud(英語のmangleとは、追突事故を起こした車がつぶれてひん曲がった様子を指す言葉)というのもありますよね。観光客が、オスロのことを陰気で奇妙な雰囲気があると思うのも無理は無いと思うんですが。あなたなら、オスロの魅力は何だと言いますか?
マグネ:あまり魅力的じゃないかも。実は僕はオスロにはあまり行かないんだ。オスロに行くといつも僕は、オスロが表面的には「大都会」になったことに驚くんだ。でも、僕は、都会の若者が一見何の努力もせずに自信にあふれているのを観察するのが好きでね(中年オヤジにはうらやましいだけなんだけど)。
Hot Rod:あなたはステキな、いかにもバイキング風の名前(直訳すると「松島」)をしてらっしゃいますが、ノルウェー人であることは、あなたにとってどんな意味がありますか?
マグネ:世界中のどのホテルのカウンターでも、僕のバカみたいな名前のスペルを説明しなくちゃならないこと。
Hot Rod:天国の存在を信じていますか?
マグネ:天国とは、何も起きない場所のことだよ。
Hot Rod:もし、自分の葬式を選べるなら、どんな葬式にしたいですか?(音楽、場所、スタイルなど)また、あなたのお友達は、あなたの人生を一言で表現するなら、なんて説明すると思いますか?
マグネ:「…ヤツは、ワガママ野郎だった」
Hot Rod:今までに行ったことのある場所で、一番素晴らしい場所はどこですか?
マグネ:中国。僕は96年に2ヶ月間、上海にいたんだ。あそこでは、僕は宇宙人みたいな気持ちだったよ。
Hot Rod:今までに見たことのあるものの中で、最も美しいものとは?
マグネ:最近見たCNNのルポなんだけど、オーストラリアの94歳のおばあさんが、生まれて初めての自分の家を買うために、銀行のローンを組んでいたんだ!
Hot Rod:あるインタビューで、有名でいることが耐えられなくなった頃、閉所恐怖症と広場恐怖症と高所恐怖症に苦しんでいた時期があったと話していたのを読んだのですが、どうやって克服できたのですか? また、同じような気持ちになって苦しんでいる人にアドバイスがあれば、お願いします。
マグネ:そういう症状がある限り、その症状を楽しむこと。もっと悪いことが起きるかもしれないなんて考えたりせずにね。
Hot Rod:40歳の誕生日を迎えたばかりですが、もうすでに多くのことを成し遂げてきたし、やっぱり40を過ぎれば年寄りだと、今でも思いますか?
マグネ:僕は、自分の人生でやりたいと思っていることを、ほとんどやり遂げていないと思っている。自分のやってきたことを抱えて生きて行かなくてはならないという事実を受け入れられるようにはなったけれど、それでもまだ僕は、いつでも変わることができるかもしれないという思いにしがみついているんだ。新しい行動を起こすことで、自分自身の歴史をひっくり返す…改装工事みたいに人生を変えることができるんだと思っていたいんだ。
Hot Rod:シェイクスピアの有名なセリフに「音楽が恋の糧であるなら、つづけてくれ」というのがありますね。アートも音楽もどちらも「世界共通語」なわけですが、あなたが、絵あるいは歌を通して人々に伝えたいと思っているメッセージ、感情、あるいはアイディアとは、いったい何なのでしょうか?
マグネ:もし誰かを好きになりたいと思っているんだったら、僕を好きになって。
