ノルウェー-TV(Sommertid)- 31/07/09
訳:Mayumi Thanks to Nilsth
Tone;わたしの隣のホテルの中で、今a-haはイギリスのマスコミと話をしています。これから9枚目のアルバムを英国でリリースするのです。ラッキーなことにわたしたちは2日間a-haと行動を共にすることができました。
a-haに会えるのをすごく楽しみにしています。わたしが着いたとき、すでにイギリスのマスコミと話し始めているところでした。今後、とても忙しいスケジュールが待っていることは間違いないでしょう。
〜メンバーが取材を受けている様子〜
電話を取るモートン、
モートンとポール、
イギリスのプレスと会話中のマグネ:
とても楽しいよ。また同じことを繰り返すのではなくて、まるで初めてやるようにね。
Tone;これはどうしようもない質問だと思うことはありますか?
モートン:しょっちゅうだよ。
Tone;今の質問みたいに? (笑)
モートン:そうだね、これもどうしようもない質問の例だね。
Tone;昨日、a-haは、イギリスでもっとも人気がある番組のひとつ、ジョナサン・ロス・ショーに出演しました。同じ日に大変有名なゲストも参加していました。
マグネ:僕らは、バックステージで、デンゼル・ワシントンと、クエンティン・タランティーノと一緒に座っていたんだ。クエンティンはなんと僕の靴をうらやましがったんだ。面白かったよ。
Tone: われわれは、a-haがこれからリハーサルに向かうのを待っているところです。土曜日にラジオ局で演奏する曲のためのリハーサルです。
Tone;ロンドンの街を半分走り、リハーサルスタジオに到着しました。こちらで、明日のコンサートのためのリハーサルが行われます。
モートン:そうだね、このプロモツアーをかなり長くやっていることに最近気づいたよ。この2ヶ月間、しゃべってばかりだったな。
Tone;あんまり良いことだとは思わないですか?
モートン:そうだね、あんまり覚えてないんだ。何しろみんな年寄りだからさ。
Tone;それで何度も繰り返す…?
モートン:2、3個思い出さないといけないことがあるからね。だからやり遂げないといけない。マンネリ化するためにもね。
マグネ:(メガフォンで)モートン・ハルケット!ステージへ来てください、モートン・ハルケット、ステージへ来てください。
モートン:これはセサミ・ステーション(ノルウェー版セサミ・ストリート)?
Tone;a-haの生演奏を特別に見ることができて、とても光栄です。そうですね、スゴク良くできた箇所もあるし、少々忘れてしまった部分もあるようです。明日どんな音になるのか楽しみです。今夜はこの辺で帰ることにします。a-haとスタッフにはこのまま仕事を続けてもらいましょう。
Tone;すでにコンサートが始まるまであと数時間になりました。すでに行列ができています。a-haはイギリスでもまだ人気者であることは確かなようです。
〜コンサート〜
司会者:ロンドンのラウンドハウスです。ようこそ、a-ha!!
The Sun Always Shines On TVの演奏
(バックステージに入っていく、Toneとモートン)
Tone;コンサートの後、もっとも聖なる場所へ入ることを許可されました。バックステージです。
モートン:OK
Tone;あなたのすぐ近くに座らないといけないんです。別に言い寄ろうとしているわけではないんですよ。さあ準備できました。これしかマイクが無いんです。(胸のマイクを指す)見えますか。
モートン:マイクの方を見た方がいいのかな?
Tone;(笑)いいえ、カメラの方を向いてくださいね。
Tone;満足な出来でしたか?
モートン:満足しているかって?僕が満足したことなんてあったかな?
Tone;満足したことが無いんですね。でもどのだったら満足できるのでしょう?
モートン:こういうのは楽しいよ。ツアーのリハーサルというわけではないけれど、思い出せるしね。(前回のツアーから)まったくリハーサルしてないんだ。3人で一緒にステージに立つのは久しぶりだよ。ライブの気分を思い出すよ。
Tone;まだすべては始まったばかりなのです。10月から長い世界ツアーが始まります。でもまだ100%満足したわけではないようです。
ポール:すごく良い観客だったし、ライブができたことも良かった。でもね、小さな問題が…。いつも誰かが小さなトラブルに見舞われるんだ。今日は僕の番だったというわけだよ。片耳からしか音が聴こえてこなかったんだよ。 フルホルメン…
マグネ:僕もそういう経験があるよ。このままステージの床が開いてそのまますべり降りて、車に飛び乗って帰りたかったよ。
ポール:どれを思い出して言ってるんだい?
マグネ:えーと…
(モートンが、Hunting High And Lowを低く、外れた音程でハミングしはじめる)
マグネ:あれはちょっとした…葬送行進曲だったな。
マグネ:すごくテンポが速くなったんだ。演奏することが出来なくなった…。ちょっとミッキー・マウスみたいだったんだ。Oh no…。
Tone;何度か演奏したことがある曲ですよね?
マグネ:そうだね、でも、あと25年しかないからね。そのころには弾けるようになるかな。
Tone;たった今入ってきた情報によると、a-haは、久しぶりの成功を収めることになりそうです。英国のアルバムチャートで発売後すぐに2位を獲得したのです。
モートン:これまでの反応は素晴らしいよ。すごくハッピーだ。
マグネ:これが興奮している僕らだよ。
モートン:いや、でも僕らには家にも興奮させてくれる人たちがいるからね。
Tone;いつもそんなに安定してないんですか?
モートン:僕らが?
Tone;あなたはとても安定していると思います。
モートン:そう?それはありがとう。彼女はとても良い娘だね。
〜メンバーが取材を受けている様子〜
電話を取るモートン、
モートンとポール、
イギリスのプレスと会話中のマグネ:
とても楽しいよ。また同じことを繰り返すのではなくて、まるで初めてやるようにね。
Tone;これはどうしようもない質問だと思うことはありますか?
モートン:しょっちゅうだよ。
Tone;今の質問みたいに? (笑)
モートン:そうだね、これもどうしようもない質問の例だね。
Tone;昨日、a-haは、イギリスでもっとも人気がある番組のひとつ、ジョナサン・ロス・ショーに出演しました。同じ日に大変有名なゲストも参加していました。
マグネ:僕らは、バックステージで、デンゼル・ワシントンと、クエンティン・タランティーノと一緒に座っていたんだ。クエンティンはなんと僕の靴をうらやましがったんだ。面白かったよ。
Tone: われわれは、a-haがこれからリハーサルに向かうのを待っているところです。土曜日にラジオ局で演奏する曲のためのリハーサルです。
Tone;ロンドンの街を半分走り、リハーサルスタジオに到着しました。こちらで、明日のコンサートのためのリハーサルが行われます。
モートン:そうだね、このプロモツアーをかなり長くやっていることに最近気づいたよ。この2ヶ月間、しゃべってばかりだったな。
Tone;あんまり良いことだとは思わないですか?
モートン:そうだね、あんまり覚えてないんだ。何しろみんな年寄りだからさ。
Tone;それで何度も繰り返す…?
モートン:2、3個思い出さないといけないことがあるからね。だからやり遂げないといけない。マンネリ化するためにもね。
マグネ:(メガフォンで)モートン・ハルケット!ステージへ来てください、モートン・ハルケット、ステージへ来てください。
モートン:これはセサミ・ステーション(ノルウェー版セサミ・ストリート)?
Tone;a-haの生演奏を特別に見ることができて、とても光栄です。そうですね、スゴク良くできた箇所もあるし、少々忘れてしまった部分もあるようです。明日どんな音になるのか楽しみです。今夜はこの辺で帰ることにします。a-haとスタッフにはこのまま仕事を続けてもらいましょう。
Tone;すでにコンサートが始まるまであと数時間になりました。すでに行列ができています。a-haはイギリスでもまだ人気者であることは確かなようです。
〜コンサート〜
司会者:ロンドンのラウンドハウスです。ようこそ、a-ha!!
The Sun Always Shines On TVの演奏
(バックステージに入っていく、Toneとモートン)
Tone;コンサートの後、もっとも聖なる場所へ入ることを許可されました。バックステージです。
モートン:OK
Tone;あなたのすぐ近くに座らないといけないんです。別に言い寄ろうとしているわけではないんですよ。さあ準備できました。これしかマイクが無いんです。(胸のマイクを指す)見えますか。
モートン:マイクの方を見た方がいいのかな?
Tone;(笑)いいえ、カメラの方を向いてくださいね。
Tone;満足な出来でしたか?
モートン:満足しているかって?僕が満足したことなんてあったかな?
Tone;満足したことが無いんですね。でもどのだったら満足できるのでしょう?
モートン:こういうのは楽しいよ。ツアーのリハーサルというわけではないけれど、思い出せるしね。(前回のツアーから)まったくリハーサルしてないんだ。3人で一緒にステージに立つのは久しぶりだよ。ライブの気分を思い出すよ。
Tone;まだすべては始まったばかりなのです。10月から長い世界ツアーが始まります。でもまだ100%満足したわけではないようです。
ポール:すごく良い観客だったし、ライブができたことも良かった。でもね、小さな問題が…。いつも誰かが小さなトラブルに見舞われるんだ。今日は僕の番だったというわけだよ。片耳からしか音が聴こえてこなかったんだよ。 フルホルメン…
マグネ:僕もそういう経験があるよ。このままステージの床が開いてそのまますべり降りて、車に飛び乗って帰りたかったよ。
ポール:どれを思い出して言ってるんだい?
マグネ:えーと…
(モートンが、Hunting High And Lowを低く、外れた音程でハミングしはじめる)
マグネ:あれはちょっとした…葬送行進曲だったな。
マグネ:すごくテンポが速くなったんだ。演奏することが出来なくなった…。ちょっとミッキー・マウスみたいだったんだ。Oh no…。
Tone;何度か演奏したことがある曲ですよね?
マグネ:そうだね、でも、あと25年しかないからね。そのころには弾けるようになるかな。
Tone;たった今入ってきた情報によると、a-haは、久しぶりの成功を収めることになりそうです。英国のアルバムチャートで発売後すぐに2位を獲得したのです。
モートン:これまでの反応は素晴らしいよ。すごくハッピーだ。
マグネ:これが興奮している僕らだよ。
モートン:いや、でも僕らには家にも興奮させてくれる人たちがいるからね。
Tone;いつもそんなに安定してないんですか?
モートン:僕らが?
Tone;あなたはとても安定していると思います。
モートン:そう?それはありがとう。彼女はとても良い娘だね。
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2010-01-13
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ブラジル-新聞(Correo)- 06/12/09
訳:Mayumi Thanks to Jakob
『Riding the Crest』がArcade Fireの『Neon Bible』に影響されていることについて、ポールは、a-haのアルバムでは、当初の試みとは違ってだいぶソフトなサウンドになったと語りました。
『Nothing Is Keeping You Here』は、ニック・ドレイク(※夭逝したイギリスのミュージシャン(1948-1974)。死後に作品を高く評価される)に刺激されて出来た曲です。歌詞の中にもそれを思わせる箇所がいくつか登場します。その他、最近よく聴いているバンドは、The Shins、Muse、 Death Cab for Cuties、 古いNew Order、The Killers、Kasabian、 Eelsです。
Correioは、ブラジルのバイーヤ州で発行されている新聞です。ポールは、2010年に、バイーヤのサルヴァドールに戻って来たいと語りました。
後半の質問は以下の通りです。
来年から始まるワールドツアー、そして12月4日にオスロでのファイナルコンサートをもって、a-haの活動を終える決断をしたのはなぜでしょうか。
25年もの長い年月、同じバンドをやってきたからね。それに、バンドの多数が続けたいと言わなかったら、続けることはできない。
a-haの後には何をするつもりですか?
他のバンドやアーティストと一緒に仕事をしたり、曲を書いてみたい。新しいバンドも始めてみたいし、もしかしたら違うスタイルの音楽を書いてみるかもしれない。たとえば、ミュージカル。解散後は、今までやることができなかったことに挑戦する時間がたっぷりあるからね。これからは、自分が書いている作品はどんな類のものなのか、僕をどこへ導いてくれるのか客観的に見なければならないね。
後半の質問は以下の通りです。
来年から始まるワールドツアー、そして12月4日にオスロでのファイナルコンサートをもって、a-haの活動を終える決断をしたのはなぜでしょうか。
25年もの長い年月、同じバンドをやってきたからね。それに、バンドの多数が続けたいと言わなかったら、続けることはできない。
a-haの後には何をするつもりですか?
他のバンドやアーティストと一緒に仕事をしたり、曲を書いてみたい。新しいバンドも始めてみたいし、もしかしたら違うスタイルの音楽を書いてみるかもしれない。たとえば、ミュージカル。解散後は、今までやることができなかったことに挑戦する時間がたっぷりあるからね。これからは、自分が書いている作品はどんな類のものなのか、僕をどこへ導いてくれるのか客観的に見なければならないね。
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2009-12-18
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ポーランド-音楽雑誌(Teraz Rock)- 9月号
訳:Mayumi Thanks to Gosia
パートII
ポール・ワークター=サヴォイ
マグネはこういうシンセ・ポップアルバムをレコーディングするまでかなり熟慮したと語っていました。あなたから観てどうでしたか?
2つの理由からそうなったんだ。良いアルバムを作るために、まず曲を集めた。シーケンサーやオーマティックのパーカッションを使ったので、時間をたっぷりかけられると思った。そして、これまでのアルバムは、僕らがライブで演奏するサウンドに近くなっていたから、もう一度シーケンサーなどを使う方法に戻ろうと思った。よりオーガニックなものになっていたんだ。だから、今回は原点に帰ることにした。でも僕はいかにも80年代のようなサウンドにしたくはなかった。現代風に感じてもらえたらよいなと思う。
最近のモートンのコメントで、このアルバムでは何種類もの違うバージョンを試してみたけれど、結局シンセサウンドに落ち着いた、ということでした。これは本当ですか?
本当だよ。だけど、どのアルバムでも僕らは4、5種類のバージョンを用意しているんだ。テンポを早くしたり、遅くしてみて、どうなるか試してみる。音程を変えてみて、どの高さがモートンの声に一番合うのか
探ったりもする。それぞれの曲でいろんな試みをしている。こうしようと白黒はっきりつけられるものではないんだ。昔、シンセサウンドを主に使っていた時代でも、『Hunting High And Low』 『I've Been Losing You』『The Living Daylights』など、シンセ以外の楽器も基調になっている曲も作ってきた。僕にとっては、曲が醸し出す雰囲気やムードの方が、どの楽器を使うかということよりも重要なんだ。
『Riding The Crest』は、「エレクトロ・ブルース」と表現していましたね。どういうことなのか説明をお願いします。
Arcade Fireの『Neon Bible』というアルバムを気に入っていてね。その中の数曲はブルースのコードを使っている。a-ha用の曲にも使えると思った。もっとシンプルなやりかたで、もっとエレクトロバージョンで。それがこの曲を書くことになったきっかけだよ。最初の試みよりももっとポップに仕上がったけれどね。
『Real Meaning』は、ロシアから自宅に電話をかけたときに思いついた曲だと読みました。
どこから曲のアイデアを思いつくかなんてわからないものなんだよ。いつも衝動的にはじまるんだ。TVで天気予報を見ているとき、にいきなりアイデアを思いついたりね。『Real Meaning』の場合はこんな風だったんだ。どこの町にいたのか忘れちゃったけれど、ホテルの部屋でギターを抱えて座っていた。そしてNYの自宅に電話をしたんだ。誰も居なくて、留守番電話のメッセージが回り始めた。それで、歌い始めたんだ。冗談のつもりだった。でも、突然思いついたんだ。「おい、これは良い曲になりそうだ」って。そこから『Real Meaning』が生まれた。僕の思いつきはそんな風に衝動的なんだ。誰かに話しかけられただけで、それが突然曲を書こうという刺激になったりする。
『Start the Simulator』で技術用語を使うことを思いついたきっかけは何だったのでしょう?
これは悲しい話なんだ。僕らにとってとても近い人が亡くなった。この気持ちを表現するために書き始めたんだけど、何を書いてもとても薄っぺらいものに感じられてしまった。そこで、この技術用語を使うことで、ありきたりな言い回しから脱出できたんだ。とても個人的なことを、アポロのマニュアルに載っているアメリカの宇宙用語で表現してみた。アルバムの中でも気に入っている曲だよ。少なくとも、好きな曲の1つだね。『I
Sing the Body Electric(ミュージカル『Fame』の中の曲)という曲をすごく気に入っているんだけど、これに近いスタイルでやってみようと思ったんだ。どこか宇宙的なものをね。
『Shadowside』は、すごくノルウェー的だと言っていましたね。メロディー、それともコードでしょうか?または雰囲気ですか?
ノルウェーで生まれて、この地独特の音楽を聞きながら育ったら、何か影響が残るはずだよね。どうしてこうなったかということを説明するのは難しいよ。海側のノルウェー人はとてもメランコリックなんだ。『Shadowside』ではその雰囲気を出したいと思った。コード進行に関しては、そこにギリシャ音楽の要素も盛り込んだ。曲を聴いていて、次はこのコードでくるか!と驚かせるのが好きなんだ。だから、いつも違ったヘンなコードを使おうと努力してる。
『The Bandstand』では、有名になる前にアメリカへ初めて行ったときの経験を思い出すものになっているということですね。なぜでしょうか?
この曲を書き始めたときは、まったく違う歌詞だった。でも、キャッチーなシンセ・リフができあがったとき、僕の気持ちは80年代へ戻っていた。歌詞を変えて、あの時代の僕らにリンクさせる価値があると感じたんだ。それで、最終的に僕らのNYへの最初の旅を思い出す作品になった。ポケットに40ドルだけ入れて、大きなバス停から4時間かけて大学のキャンパスに行き、演奏した頃の自分を思い出すよ。あの時代の思い出の歌なんだ。
現在はアメリカで暮らしていますよね。今でも自分はヨーロッパ人だと思っていますか、それともすっかりアメリカ人なのですか?
アメリカで1993年から暮らしているから、この地により親しみは感じているけれど、心の底ではまだノルウェー人なんだ。ニューヨークは、暮らしていくのには大変な場所だよ。ここでは退屈することは無い。何かしらやることがある。だから、ニューヨークにいるとときどき頭がおかしくなりそうになるんだ。そういう時は、ノルウェーの気楽で退屈な暮らしが懐かしくなる。
オスロとロンドンで去年ソロ・ライブをやったときの感想を教えてください。
あれはとても良い試みだったと思うよ。まず、ノルウェーで3公演行った。最初は、ヨーロッパの首都を回る計画だった。サーカスみたいにね。でも、このプロジェクトにかかわる人の数が多すぎる気づいた。そこで、ロイヤル・アルバートホールを借りて、一夜限りの特別なコンサートをすることにしたんだ。僕ら3人ともそれぞれソロ作品をたくさん作っているし、a-haにも大きな影響を与えているからね。その多くがa-haの作品ともなっている。今回のアルバムでもだよ。シンセリフの多くは、ソロ作品から持ってきたものだ。それに、ファンにソロ活動がどんな風にa-ha、3人で作る曲に影響しているのか見てもらいたかった。
a-haの前作『Analogue』は4年前にリリースされていますね。長い間バンドは沈黙していたということになりますが、これで終わってしまった可能性というのもあったのですか?
アルバム制作は僕らにとってはかなり時間がかかる作業なんだ。もちろん、ソロの仕事をするために休止することもある。a-haのアルバムに2年かかったら、翌年は自分たちのソロをやる、という具合にね。でも、いつも計画してそうなっているわけではないんだ。良い曲が集まったら、レコーディングを開始する、というだけのことだよ。もし、アルバム作りに必要な数の曲が生まれなかったら、アルバムはできないからね。大々的にカムバックしたつもりではないんだ。僕らのやり方がそうだというだけのことだよ。
今回のアルバム制作は、前回とは違っていたと感じますか?
今回のアルバム制作で楽しかったのは、ニューヨークのスタジオの一室に全員集まって、7週間一緒に作業をしたことだよ。他のミュージシャンは居なかった。僕らのルーツに帰ったんだ。全員それぞれ自宅にスタジオやコンピュータを完備している。個人的に作業をしがちになるんだ。だけど、他のメンバーの意見を聞いたり、それぞれアイデアを持ち寄ったことは素晴らしい経験だった。そういう環境では、(一人で作るのとは)違う音楽が生まれるからね。
たくさんの古い楽器を使ったと聞きました。
50%は、新しい仮想楽器を使ったんだ。その他は、古いものを使った。NYで集まったとき、自分の古いシンセサイザーなどを持ち込んだんだ。だから自由に使うことができた。古い楽器は特殊な雰囲気を醸し出す。他の楽器では再現することができない独特な音を出すんだ。全部古い楽器でやってみようとしたけれど、いつもうまくいくわけでもなかった。でも、他の楽器にはできない音を出せるんだよ。
今回のアルバムでは、あなたが作詞・作曲の中心になっていますね。いくつかの曲ではマグネと共同で書いています。今回モートンの役割はどんなものだったのでしょう。
モートンの役割は各アルバムで違うんだ。たとえば、『Lifelines』では、彼が指導した曲もたくさんある。最新作では、久しぶりに僕が初めて大きな影響力になってる。a-haが行きたい方向に合う曲を指摘したんだ。でも、モートンもバンドのメンバーの一員だからね。彼もそれぞれの曲に対して意見を持っているし、a-haの曲らしくなるように気を配っている。それぞれまったく違う風に演奏することもできるわけだから。
最近こんな風に言っていましたね。「曲を作ることはとても大変なことだけれど、最大の喜びをもたらす」と。これについて説明してくれますか?
曲が使い物になるかもわからないんだから大変だよ。どこから生まれてくるかもわからないしね。いま書いている曲がすごく良いものにになるか、それとも他に行ったほうが良いのかわからないからね。
a-haの歴史は80年代初頭に始まりました。しばらく活動を休止した時期もありました。バンドのハイライトをげるとしたらどれでしょうか。
確かなものとしては、アメリカでの初のヒット曲(『Take On Me』)を出したときだね。これによって、物事が大きく変わったし、バンドが初めてブレークするきっかけにもなった。それから、アルバム『Scoundrel
DayS』。すごく良いアルバムで、あちこちですごい勢いで聴かれるようになった。007映画のテーマソング『The Living Daylights』をレコーディングしたことも助けになったね。それ以外には、4枚目のアルバム以降、僕らはライブ・バンドとしての自分たちを発見したんだ。『East of the Sun West of the Moon』が出るまでは、自分たちは良いライブバンドではなかったと思う。対照的に『Memorial Beach』では、大きなアメリカのクラブで演奏するようになった。それから数年間の活動休止期間があった。実はとても重要な期間になった。すごく生産的だったし、音楽に対して違うアプローチをするようになったんだ。活動を再開したときに、これが大きな助けとなった。25年もやっているというよりも、新しく生まれ変わった気分になれたからね。特に重要なのは前作『Analogue』だよ。このアルバムのおかげで全英で久しぶりにヒットを飛ばすことが出来た。それにたくさんのアーティストが僕らがやってきたことをどれだけ好きか言ってくれたことも素晴らしかった。誰かが自分の作った音楽を聴いてくれて、気に入って注目してくれることはとても大事なことだからね。
最近のモートンのコメントで、このアルバムでは何種類もの違うバージョンを試してみたけれど、結局シンセサウンドに落ち着いた、ということでした。これは本当ですか?
本当だよ。だけど、どのアルバムでも僕らは4、5種類のバージョンを用意しているんだ。テンポを早くしたり、遅くしてみて、どうなるか試してみる。音程を変えてみて、どの高さがモートンの声に一番合うのか
探ったりもする。それぞれの曲でいろんな試みをしている。こうしようと白黒はっきりつけられるものではないんだ。昔、シンセサウンドを主に使っていた時代でも、『Hunting High And Low』 『I've Been Losing You』『The Living Daylights』など、シンセ以外の楽器も基調になっている曲も作ってきた。僕にとっては、曲が醸し出す雰囲気やムードの方が、どの楽器を使うかということよりも重要なんだ。
『Riding The Crest』は、「エレクトロ・ブルース」と表現していましたね。どういうことなのか説明をお願いします。
Arcade Fireの『Neon Bible』というアルバムを気に入っていてね。その中の数曲はブルースのコードを使っている。a-ha用の曲にも使えると思った。もっとシンプルなやりかたで、もっとエレクトロバージョンで。それがこの曲を書くことになったきっかけだよ。最初の試みよりももっとポップに仕上がったけれどね。
『Real Meaning』は、ロシアから自宅に電話をかけたときに思いついた曲だと読みました。
どこから曲のアイデアを思いつくかなんてわからないものなんだよ。いつも衝動的にはじまるんだ。TVで天気予報を見ているとき、にいきなりアイデアを思いついたりね。『Real Meaning』の場合はこんな風だったんだ。どこの町にいたのか忘れちゃったけれど、ホテルの部屋でギターを抱えて座っていた。そしてNYの自宅に電話をしたんだ。誰も居なくて、留守番電話のメッセージが回り始めた。それで、歌い始めたんだ。冗談のつもりだった。でも、突然思いついたんだ。「おい、これは良い曲になりそうだ」って。そこから『Real Meaning』が生まれた。僕の思いつきはそんな風に衝動的なんだ。誰かに話しかけられただけで、それが突然曲を書こうという刺激になったりする。
『Start the Simulator』で技術用語を使うことを思いついたきっかけは何だったのでしょう?
これは悲しい話なんだ。僕らにとってとても近い人が亡くなった。この気持ちを表現するために書き始めたんだけど、何を書いてもとても薄っぺらいものに感じられてしまった。そこで、この技術用語を使うことで、ありきたりな言い回しから脱出できたんだ。とても個人的なことを、アポロのマニュアルに載っているアメリカの宇宙用語で表現してみた。アルバムの中でも気に入っている曲だよ。少なくとも、好きな曲の1つだね。『I
Sing the Body Electric(ミュージカル『Fame』の中の曲)という曲をすごく気に入っているんだけど、これに近いスタイルでやってみようと思ったんだ。どこか宇宙的なものをね。
『Shadowside』は、すごくノルウェー的だと言っていましたね。メロディー、それともコードでしょうか?または雰囲気ですか?
ノルウェーで生まれて、この地独特の音楽を聞きながら育ったら、何か影響が残るはずだよね。どうしてこうなったかということを説明するのは難しいよ。海側のノルウェー人はとてもメランコリックなんだ。『Shadowside』ではその雰囲気を出したいと思った。コード進行に関しては、そこにギリシャ音楽の要素も盛り込んだ。曲を聴いていて、次はこのコードでくるか!と驚かせるのが好きなんだ。だから、いつも違ったヘンなコードを使おうと努力してる。
『The Bandstand』では、有名になる前にアメリカへ初めて行ったときの経験を思い出すものになっているということですね。なぜでしょうか?
この曲を書き始めたときは、まったく違う歌詞だった。でも、キャッチーなシンセ・リフができあがったとき、僕の気持ちは80年代へ戻っていた。歌詞を変えて、あの時代の僕らにリンクさせる価値があると感じたんだ。それで、最終的に僕らのNYへの最初の旅を思い出す作品になった。ポケットに40ドルだけ入れて、大きなバス停から4時間かけて大学のキャンパスに行き、演奏した頃の自分を思い出すよ。あの時代の思い出の歌なんだ。
現在はアメリカで暮らしていますよね。今でも自分はヨーロッパ人だと思っていますか、それともすっかりアメリカ人なのですか?
アメリカで1993年から暮らしているから、この地により親しみは感じているけれど、心の底ではまだノルウェー人なんだ。ニューヨークは、暮らしていくのには大変な場所だよ。ここでは退屈することは無い。何かしらやることがある。だから、ニューヨークにいるとときどき頭がおかしくなりそうになるんだ。そういう時は、ノルウェーの気楽で退屈な暮らしが懐かしくなる。
オスロとロンドンで去年ソロ・ライブをやったときの感想を教えてください。
あれはとても良い試みだったと思うよ。まず、ノルウェーで3公演行った。最初は、ヨーロッパの首都を回る計画だった。サーカスみたいにね。でも、このプロジェクトにかかわる人の数が多すぎる気づいた。そこで、ロイヤル・アルバートホールを借りて、一夜限りの特別なコンサートをすることにしたんだ。僕ら3人ともそれぞれソロ作品をたくさん作っているし、a-haにも大きな影響を与えているからね。その多くがa-haの作品ともなっている。今回のアルバムでもだよ。シンセリフの多くは、ソロ作品から持ってきたものだ。それに、ファンにソロ活動がどんな風にa-ha、3人で作る曲に影響しているのか見てもらいたかった。
a-haの前作『Analogue』は4年前にリリースされていますね。長い間バンドは沈黙していたということになりますが、これで終わってしまった可能性というのもあったのですか?
アルバム制作は僕らにとってはかなり時間がかかる作業なんだ。もちろん、ソロの仕事をするために休止することもある。a-haのアルバムに2年かかったら、翌年は自分たちのソロをやる、という具合にね。でも、いつも計画してそうなっているわけではないんだ。良い曲が集まったら、レコーディングを開始する、というだけのことだよ。もし、アルバム作りに必要な数の曲が生まれなかったら、アルバムはできないからね。大々的にカムバックしたつもりではないんだ。僕らのやり方がそうだというだけのことだよ。
今回のアルバム制作は、前回とは違っていたと感じますか?
今回のアルバム制作で楽しかったのは、ニューヨークのスタジオの一室に全員集まって、7週間一緒に作業をしたことだよ。他のミュージシャンは居なかった。僕らのルーツに帰ったんだ。全員それぞれ自宅にスタジオやコンピュータを完備している。個人的に作業をしがちになるんだ。だけど、他のメンバーの意見を聞いたり、それぞれアイデアを持ち寄ったことは素晴らしい経験だった。そういう環境では、(一人で作るのとは)違う音楽が生まれるからね。
たくさんの古い楽器を使ったと聞きました。
50%は、新しい仮想楽器を使ったんだ。その他は、古いものを使った。NYで集まったとき、自分の古いシンセサイザーなどを持ち込んだんだ。だから自由に使うことができた。古い楽器は特殊な雰囲気を醸し出す。他の楽器では再現することができない独特な音を出すんだ。全部古い楽器でやってみようとしたけれど、いつもうまくいくわけでもなかった。でも、他の楽器にはできない音を出せるんだよ。
今回のアルバムでは、あなたが作詞・作曲の中心になっていますね。いくつかの曲ではマグネと共同で書いています。今回モートンの役割はどんなものだったのでしょう。
モートンの役割は各アルバムで違うんだ。たとえば、『Lifelines』では、彼が指導した曲もたくさんある。最新作では、久しぶりに僕が初めて大きな影響力になってる。a-haが行きたい方向に合う曲を指摘したんだ。でも、モートンもバンドのメンバーの一員だからね。彼もそれぞれの曲に対して意見を持っているし、a-haの曲らしくなるように気を配っている。それぞれまったく違う風に演奏することもできるわけだから。
最近こんな風に言っていましたね。「曲を作ることはとても大変なことだけれど、最大の喜びをもたらす」と。これについて説明してくれますか?
曲が使い物になるかもわからないんだから大変だよ。どこから生まれてくるかもわからないしね。いま書いている曲がすごく良いものにになるか、それとも他に行ったほうが良いのかわからないからね。
a-haの歴史は80年代初頭に始まりました。しばらく活動を休止した時期もありました。バンドのハイライトをげるとしたらどれでしょうか。
確かなものとしては、アメリカでの初のヒット曲(『Take On Me』)を出したときだね。これによって、物事が大きく変わったし、バンドが初めてブレークするきっかけにもなった。それから、アルバム『Scoundrel
DayS』。すごく良いアルバムで、あちこちですごい勢いで聴かれるようになった。007映画のテーマソング『The Living Daylights』をレコーディングしたことも助けになったね。それ以外には、4枚目のアルバム以降、僕らはライブ・バンドとしての自分たちを発見したんだ。『East of the Sun West of the Moon』が出るまでは、自分たちは良いライブバンドではなかったと思う。対照的に『Memorial Beach』では、大きなアメリカのクラブで演奏するようになった。それから数年間の活動休止期間があった。実はとても重要な期間になった。すごく生産的だったし、音楽に対して違うアプローチをするようになったんだ。活動を再開したときに、これが大きな助けとなった。25年もやっているというよりも、新しく生まれ変わった気分になれたからね。特に重要なのは前作『Analogue』だよ。このアルバムのおかげで全英で久しぶりにヒットを飛ばすことが出来た。それにたくさんのアーティストが僕らがやってきたことをどれだけ好きか言ってくれたことも素晴らしかった。誰かが自分の作った音楽を聴いてくれて、気に入って注目してくれることはとても大事なことだからね。
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2009-12-17
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ポーランド-音楽雑誌(Teraz Rock)- 9月号
訳:Mayumi Thanks to Gosia
パートI
朝からジャック・ダニエル
マグネ・フルホルメン
a-haの公式サイトにも、『Foot of the Mountain』は、a-haが世界中で最も売れているバンドのひとつだったころの初期の音に戻った、と記載されていますね。
昔のやり方に戻ることに夢中になっていたわけではないんだ。今回のアルバムではもっといろいろ分析もしてみた。9枚目になるこのアルバムで、ここ数年一緒にやってきたミュージシャンと同じように作業するのではつまらないと考えたんだ。僕らは自分たちを客観的に観察してみて、長いキャリアで何を得たのか考えた。初期の頃、最高だったのは、僕とポールだけでスタジオに篭って、電子系楽器だけを使用していたことだった。
ギター、ベース、ドラムに手が届くようになってから、ずっとそれらの楽器を使ってきたけれど、ある音を出そうとしたとき簡単に再現できるようになってしまった。それは自分たち自身から離れすぎてしまったときに起こったことでもある。それで、またエレクトロニクスに戻るのが一番だと考えた。でも個人的にはこれは一歩前進した、ということでもあるんだ。
ヴァイオリンや、ギターを使うのを止めて、実験的な道に戻る。a-haの音楽には、確かに独自の要素が存在するね。それが特別なものを作り出すんだ。
まず、曲の作りがノルウェーのメランコリックな気候にすごく関連していること。次の要素は、モートン・ハルケットの声。独特だよね。彼の歌にはとても情熱ガこめられている。時々だけど、オーケストラやピアノをバックに歌うと、モートンの解釈は甘くなりすぎてしまうことがある。ドラマがメロドラマになってしまうんだよ。これを無くしたいと考えた。
それに、アメリカ風の伝統的なギターロックの部分も無くしたいと思った。モートンがロック調をバックに歌うと、繊細すぎる感じがしてしまうから。彼の声は、一日60本のマルボロを吸い、朝からジャック・ダニエルを飲むシンガーのものとは違うんだ。そこで、すべてを分析し始めた。過去を振り返ってみて、自問してみた。なぜ僕はエレクトロニックなバックでモートンの歌を聴くのが好きなのだろうと。モートンの歌の中のパッションは、どこか冷たい殺風景な電子音のバックで映えるんだ。僕らにもドグマがあった。ラース・フォン・トリアー(※デンマークの映画監督。技術的なミニマリズムを唱えたドグマ95という原則を発表した。作品は「老人と海」「ダンサーインザダーク」など)みたいにね。
僕らは、アコースティックやロックギター、オーケストラを使わないということにした。バンドを使ってアイデアを出すと、バンドの音を排除したり、大きな変化を求めることは難しい。曲の構成をプログラミングしておくと、変化させることが容易になる。プログラムしなおしたり、テンポを変えたりね。もっと自由になれるんだ。アレンジやシーケンスを作るのは得意分野だと思うよ。
昔に戻ったのではなくて、僕らの知識や積み重ねてきたものを振り返って、前に進んだというところだよ。パレットをより大きくしたんだ。僕らは、3人でスタジオに入って、エレクトロサウンドを試してみることから始まった。そして長年やっているうちに、コンサートを数多くやり、だんだんコンサートバンドになっていった。元々エレクトロニクスサウンドだった曲にもギターやドラム、ベース、ピアノを使うようになった。それらの曲をまったく違う種類の音で演奏してきたんだ。だから、今回こういう暴挙とも思える決断をして、すべてエレクトロニクスの世界に戻ることにしたんだ。
今回だけですか?アルバム『Analogue』ではどうでしたか?あなた方はたいてい、個人で制作作業をしていましたね。今回、スタジオで一緒に作業をしてみて、何か変わりましたか?
変わったよ。もし今回一緒に作業しないのだったら、もうアルバムは作りたくないと思っていたんだ。ポールはニューヨーク、僕はノルウェーの自宅のスタジオで、a-haにふさわしいアルバムを作ろうと、それぞれ作業してきた。でも、実際は3人のばらばらなソロ作品の集合体だったんだ。こういうやり方は望ましくなかった。a-haはa-haでいて欲しかった。それで、半ば無理やり全員1室に集まってもらって言ったんだ。「一緒にやらないいのだったら、もうアルバムは作らない」と。共同作業はうまくいったと思うよ。
シングル『Foot of the Mountain』は、あなたの作品『The Longest Night』を基に作られていますね。どのようにして(合作をするという)アイデアに戻ったのでしょうか。
最初はアルバムに収録する予定の2曲だったんだ。でも、『The Longest Night』はすでに僕のソロアルバムで使っていた。この曲を作っていたときは、a-haぽい曲だと思っていたんだ。だけど、前作からのブレーク期間が長すぎたため、しびれを切らしてソロアルバムを出した。もう一曲は、ポールが作った『Foot of the Mountain』という曲で、コーラス部分はこちらから取った。コーラス部分が一番良くできていたからね。『The Longest Night』はコーラス以外は良かった。そこで、2曲を合体させることにしたんだ。2種類の歌詞に分かれているんだけど、一緒にして、少しコードでスピードアップを図った。わくわくしたよ。過去にも同じことをしたことがあった。『Manhattan Skyline』がそうだね。僕がスローな部分を書いて、ポールが速い部分を書いた。それをつなぎ合わせたんだ。
他にもソロ作品として出した曲『What There Is』がありますね。
そうだね、でもこの曲の場合は、さっきとは違うんだ。ずいぶん前に映画用の曲(※サントラ『Ti Kniver I Hjertet』収録のOtto's Tama-オットーのテーマ曲-)を作った。レコーディングの準備をしていたとき、ポールは、ニューヨークのスタジオで、何か使えるアイデアが無いか探していたんだ。そして、僕の映画用音楽を見つけた。ポールは「おい、これはヒット曲になりそうだな」と言ったんだ。そして、僕が書いたコード進行を基に曲を書いた。コーラスは、原曲から取った。ポールが組立てて、そこから新しいものを生み出したんだ。
去年、あなたとポール、モートンは、オスロとロンドンで変わった趣向のコンサートをしましたね。まず、それぞれがソロ曲を演奏して、最後に一緒に演奏しました 。
世界中のたくさんのファンから、「あなたたちのソロ演奏を聞いてみたい、でもソロのライブをしませんね」と言われていたんだ。僕らのソロ作品がa-haほど世間の注目を集めていないことは気づいていた。大勢のバンドメンバーを引き連れてソロツアーはできなかった。そのためのお金が無かったからね。もっと小さな会場を借りて観客に近い雰囲気でやったみたりした。でも、ファーストクラスで旅をしてホテルに泊まる生活から、バスで眠る暮らしに戻るのは大変だよ。数日くらいならやってもいいけれど、1年間そんな生活はできない。そこで、ファンを喜ばせられる方法は無いか考えたんだ。僕らのソロライブをうまく組み合わせて合同で行うことにしたらどうだろう?たとえば、ロイヤル・アルバートホールはどうだろう?そして、実現することができた。もちろん、ある程度のリスクは覚悟していた。これはa-haのコンサートではなくて、3人のミュージシャンによる合同のライブだ。でも、みんなに僕らのソロ・プロジェクトがa-haのために重要であることを見せられたと思う。バンド内の創造性にとってどれだけ重要なのかということを。
ギター、ベース、ドラムに手が届くようになってから、ずっとそれらの楽器を使ってきたけれど、ある音を出そうとしたとき簡単に再現できるようになってしまった。それは自分たち自身から離れすぎてしまったときに起こったことでもある。それで、またエレクトロニクスに戻るのが一番だと考えた。でも個人的にはこれは一歩前進した、ということでもあるんだ。
ヴァイオリンや、ギターを使うのを止めて、実験的な道に戻る。a-haの音楽には、確かに独自の要素が存在するね。それが特別なものを作り出すんだ。
まず、曲の作りがノルウェーのメランコリックな気候にすごく関連していること。次の要素は、モートン・ハルケットの声。独特だよね。彼の歌にはとても情熱ガこめられている。時々だけど、オーケストラやピアノをバックに歌うと、モートンの解釈は甘くなりすぎてしまうことがある。ドラマがメロドラマになってしまうんだよ。これを無くしたいと考えた。
それに、アメリカ風の伝統的なギターロックの部分も無くしたいと思った。モートンがロック調をバックに歌うと、繊細すぎる感じがしてしまうから。彼の声は、一日60本のマルボロを吸い、朝からジャック・ダニエルを飲むシンガーのものとは違うんだ。そこで、すべてを分析し始めた。過去を振り返ってみて、自問してみた。なぜ僕はエレクトロニックなバックでモートンの歌を聴くのが好きなのだろうと。モートンの歌の中のパッションは、どこか冷たい殺風景な電子音のバックで映えるんだ。僕らにもドグマがあった。ラース・フォン・トリアー(※デンマークの映画監督。技術的なミニマリズムを唱えたドグマ95という原則を発表した。作品は「老人と海」「ダンサーインザダーク」など)みたいにね。
僕らは、アコースティックやロックギター、オーケストラを使わないということにした。バンドを使ってアイデアを出すと、バンドの音を排除したり、大きな変化を求めることは難しい。曲の構成をプログラミングしておくと、変化させることが容易になる。プログラムしなおしたり、テンポを変えたりね。もっと自由になれるんだ。アレンジやシーケンスを作るのは得意分野だと思うよ。
昔に戻ったのではなくて、僕らの知識や積み重ねてきたものを振り返って、前に進んだというところだよ。パレットをより大きくしたんだ。僕らは、3人でスタジオに入って、エレクトロサウンドを試してみることから始まった。そして長年やっているうちに、コンサートを数多くやり、だんだんコンサートバンドになっていった。元々エレクトロニクスサウンドだった曲にもギターやドラム、ベース、ピアノを使うようになった。それらの曲をまったく違う種類の音で演奏してきたんだ。だから、今回こういう暴挙とも思える決断をして、すべてエレクトロニクスの世界に戻ることにしたんだ。
今回だけですか?アルバム『Analogue』ではどうでしたか?あなた方はたいてい、個人で制作作業をしていましたね。今回、スタジオで一緒に作業をしてみて、何か変わりましたか?
変わったよ。もし今回一緒に作業しないのだったら、もうアルバムは作りたくないと思っていたんだ。ポールはニューヨーク、僕はノルウェーの自宅のスタジオで、a-haにふさわしいアルバムを作ろうと、それぞれ作業してきた。でも、実際は3人のばらばらなソロ作品の集合体だったんだ。こういうやり方は望ましくなかった。a-haはa-haでいて欲しかった。それで、半ば無理やり全員1室に集まってもらって言ったんだ。「一緒にやらないいのだったら、もうアルバムは作らない」と。共同作業はうまくいったと思うよ。
シングル『Foot of the Mountain』は、あなたの作品『The Longest Night』を基に作られていますね。どのようにして(合作をするという)アイデアに戻ったのでしょうか。
最初はアルバムに収録する予定の2曲だったんだ。でも、『The Longest Night』はすでに僕のソロアルバムで使っていた。この曲を作っていたときは、a-haぽい曲だと思っていたんだ。だけど、前作からのブレーク期間が長すぎたため、しびれを切らしてソロアルバムを出した。もう一曲は、ポールが作った『Foot of the Mountain』という曲で、コーラス部分はこちらから取った。コーラス部分が一番良くできていたからね。『The Longest Night』はコーラス以外は良かった。そこで、2曲を合体させることにしたんだ。2種類の歌詞に分かれているんだけど、一緒にして、少しコードでスピードアップを図った。わくわくしたよ。過去にも同じことをしたことがあった。『Manhattan Skyline』がそうだね。僕がスローな部分を書いて、ポールが速い部分を書いた。それをつなぎ合わせたんだ。
他にもソロ作品として出した曲『What There Is』がありますね。
そうだね、でもこの曲の場合は、さっきとは違うんだ。ずいぶん前に映画用の曲(※サントラ『Ti Kniver I Hjertet』収録のOtto's Tama-オットーのテーマ曲-)を作った。レコーディングの準備をしていたとき、ポールは、ニューヨークのスタジオで、何か使えるアイデアが無いか探していたんだ。そして、僕の映画用音楽を見つけた。ポールは「おい、これはヒット曲になりそうだな」と言ったんだ。そして、僕が書いたコード進行を基に曲を書いた。コーラスは、原曲から取った。ポールが組立てて、そこから新しいものを生み出したんだ。
去年、あなたとポール、モートンは、オスロとロンドンで変わった趣向のコンサートをしましたね。まず、それぞれがソロ曲を演奏して、最後に一緒に演奏しました 。
世界中のたくさんのファンから、「あなたたちのソロ演奏を聞いてみたい、でもソロのライブをしませんね」と言われていたんだ。僕らのソロ作品がa-haほど世間の注目を集めていないことは気づいていた。大勢のバンドメンバーを引き連れてソロツアーはできなかった。そのためのお金が無かったからね。もっと小さな会場を借りて観客に近い雰囲気でやったみたりした。でも、ファーストクラスで旅をしてホテルに泊まる生活から、バスで眠る暮らしに戻るのは大変だよ。数日くらいならやってもいいけれど、1年間そんな生活はできない。そこで、ファンを喜ばせられる方法は無いか考えたんだ。僕らのソロライブをうまく組み合わせて合同で行うことにしたらどうだろう?たとえば、ロイヤル・アルバートホールはどうだろう?そして、実現することができた。もちろん、ある程度のリスクは覚悟していた。これはa-haのコンサートではなくて、3人のミュージシャンによる合同のライブだ。でも、みんなに僕らのソロ・プロジェクトがa-haのために重要であることを見せられたと思う。バンド内の創造性にとってどれだけ重要なのかということを。
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2009-12-17
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ノルウェー-新聞(Dagbladet)- 23/05/09
By Sven Ove Bakke 訳:Mayumi
7百万人がa-haを観た…
ハイディ・クルム司会の「トップ・モデル」で最新アルバムからの曲を披露
今週、ドイツでのプロモーション活動をしているa-ha。ドイツ版「Next Top Model」の最終回に出演し、素晴らしいスタートを切りました。
ケルン(ダーグブラーデ):ドイツは、a-haにとってもっとも重要な市場のひとつです。ゴールデンタイムに生中継される7百万人が視聴しているテレビ番組でシングルのお披露目をできたことは、何物にも変えがたいことでした。
「Germany's Next Top Model」は、現在妊娠中のスーパーモデル、ハイディ・クルムが司会を務める番組で、今年ドイツでもっとも人気があった番組のひとつです。Pro7/Sat1で放映されました。この局はa-haが所属するレコードレーベル『Starwatch」を所有しています。
木曜日に放映された番組は、ケルンのLanxessアリーナで収録されました。a-haにとってはなじみが深い会場です。2005年の『Analogue』ツアーの幕開けの場所でもあり、今年の10月27日に再びこの場所で次のヨーロッパツアーの最初のコンサートを行います。
高く設置されたステージ、モートン・ハルケット、マグネ・フルホルメン、ポール・ワークター=サヴォイは、一人ずつ自分の箱の中に立ちました。それは、a-haのメンバーを揶揄しているようにも見えました。メンバー同士の創作上の確執は、ノルウェーのメディアの間では、すでによく知られています。
「エルヴィス・プレスリーの映画のように、ちょっとふざけている感じがしたよ」マグネはにやっと笑いました。「エルヴィスの『'68カムバック・スペシャル』のことだよ」。
「あの中ではほとんどまっすぐに立っていられなかった。すごく天井が低くてね」とフルホルメン。
「だけど、すごく眺めは良かったよ。それは観てもらえるんじゃないかな」モートン・ハルケット。そして最新アルバムのレコーディングについて語ってくれました。ファーストシングル『Foot
of the Mountain』のように、かなりの手ごたえがあったようです。
「このアルバムでは同じ方向に行こうと、はっきり決めていたんだ。もっとシンセを基準にした音作りに戻ることにした。素晴らしいレコーディングになった。
バンドとして生まれ変わった気分だよ」とハルケットはダーグブラーデに語りました。
アルバムは、−ノルウェーの発売日より3日早い−6月19日に発売されます。レコードレーベルであるStarwatchのA&R部門(アーティストの活動を後押しする部門)の主任であるマーカス・ハートマンは、20万から40万枚の売り上げを予想しています。ドイツでは、20万枚からプラチナ盤になります。
昨日、ドイツで『Foot of the Mountain』がリリースされました。バンドは、さらにミュンヘンで、Black Eyed PeasやRazorlightなどの有名アーティストと共に、100万人の視聴者を誇る音楽番組『The Dome』の収録をおこないます。
今後ドイツで、6ヶ月間のテレビ出演を含む多くのプロモーション活動を行う予定です。ケルンでは、主にラジオ局向けのインタビューを行いました。たくさんのインタビュアーの中には、RTLラジオの人気DJで元ポルノ女優のミカエラ・シャフラスもいました。
さらに、忙しい間を縫って、ベルリンで『Foot Of the Mountain』のミュージック・ビデオの撮影も行いました。マグネ・フルホルメンは、このビデオについて、「抽象的で、ニ面性がある。風船を飛ばすような感じかな」と語りました。
「良くも悪くも、僕らはミュージックビデオで知られているからね。僕らのビデオの多くは記念すべき作品になった。(アーティストのイメージとしては)喜ばしいことでもないんだけど、(成功への)道具にもなったね。」とマグネは感じているようです。
「二日で5本のビデオを撮影して、すぐにYouTubeに載せるのが最近のやり方なのかもしれないね。でも僕らは、ビデオの制作にかなり労力を費やしているんだ。20年の経験があるからね。1本の良質のビデオは、10年間におよぶ退屈なモーニング・ショーの出演分に値するよ」とマグネは語りました。
a-haは、英国でもかなりのプロモーション活動を行う予定です。
プロモーション活動を始める前に、「Foot of the Mountain」はBBCラジオ2で放送されています。バンドは、さらなるプロモーション活動の準備をしています。アルバムは、7月6日あたりにリリースされます。そして、ヨーロッパツアーの一環として、3つの大きなアリーナコンサートをおこないます。最初のコンサートはO2アリーナで行われます。
「『Analogue』ツアーでは、ウレンブリー・アリーナでソールド・アウトを記録しました。バーミンガムとマンチェスターでも前と同じアリーナでコンサートをします。英国の期待度は、わたしたちが思った以上です。今度はこちらがボールを追いかけてコントロールする番なのです」とマネージャーのハラルド・ヴィークは、満足げに語りました。
「Germany's Next Top Model」は、現在妊娠中のスーパーモデル、ハイディ・クルムが司会を務める番組で、今年ドイツでもっとも人気があった番組のひとつです。Pro7/Sat1で放映されました。この局はa-haが所属するレコードレーベル『Starwatch」を所有しています。
木曜日に放映された番組は、ケルンのLanxessアリーナで収録されました。a-haにとってはなじみが深い会場です。2005年の『Analogue』ツアーの幕開けの場所でもあり、今年の10月27日に再びこの場所で次のヨーロッパツアーの最初のコンサートを行います。
高く設置されたステージ、モートン・ハルケット、マグネ・フルホルメン、ポール・ワークター=サヴォイは、一人ずつ自分の箱の中に立ちました。それは、a-haのメンバーを揶揄しているようにも見えました。メンバー同士の創作上の確執は、ノルウェーのメディアの間では、すでによく知られています。
「エルヴィス・プレスリーの映画のように、ちょっとふざけている感じがしたよ」マグネはにやっと笑いました。「エルヴィスの『'68カムバック・スペシャル』のことだよ」。
「あの中ではほとんどまっすぐに立っていられなかった。すごく天井が低くてね」とフルホルメン。
「だけど、すごく眺めは良かったよ。それは観てもらえるんじゃないかな」モートン・ハルケット。そして最新アルバムのレコーディングについて語ってくれました。ファーストシングル『Foot
of the Mountain』のように、かなりの手ごたえがあったようです。
「このアルバムでは同じ方向に行こうと、はっきり決めていたんだ。もっとシンセを基準にした音作りに戻ることにした。素晴らしいレコーディングになった。
バンドとして生まれ変わった気分だよ」とハルケットはダーグブラーデに語りました。
アルバムは、−ノルウェーの発売日より3日早い−6月19日に発売されます。レコードレーベルであるStarwatchのA&R部門(アーティストの活動を後押しする部門)の主任であるマーカス・ハートマンは、20万から40万枚の売り上げを予想しています。ドイツでは、20万枚からプラチナ盤になります。
昨日、ドイツで『Foot of the Mountain』がリリースされました。バンドは、さらにミュンヘンで、Black Eyed PeasやRazorlightなどの有名アーティストと共に、100万人の視聴者を誇る音楽番組『The Dome』の収録をおこないます。
今後ドイツで、6ヶ月間のテレビ出演を含む多くのプロモーション活動を行う予定です。ケルンでは、主にラジオ局向けのインタビューを行いました。たくさんのインタビュアーの中には、RTLラジオの人気DJで元ポルノ女優のミカエラ・シャフラスもいました。
さらに、忙しい間を縫って、ベルリンで『Foot Of the Mountain』のミュージック・ビデオの撮影も行いました。マグネ・フルホルメンは、このビデオについて、「抽象的で、ニ面性がある。風船を飛ばすような感じかな」と語りました。
「良くも悪くも、僕らはミュージックビデオで知られているからね。僕らのビデオの多くは記念すべき作品になった。(アーティストのイメージとしては)喜ばしいことでもないんだけど、(成功への)道具にもなったね。」とマグネは感じているようです。
「二日で5本のビデオを撮影して、すぐにYouTubeに載せるのが最近のやり方なのかもしれないね。でも僕らは、ビデオの制作にかなり労力を費やしているんだ。20年の経験があるからね。1本の良質のビデオは、10年間におよぶ退屈なモーニング・ショーの出演分に値するよ」とマグネは語りました。
a-haは、英国でもかなりのプロモーション活動を行う予定です。
プロモーション活動を始める前に、「Foot of the Mountain」はBBCラジオ2で放送されています。バンドは、さらなるプロモーション活動の準備をしています。アルバムは、7月6日あたりにリリースされます。そして、ヨーロッパツアーの一環として、3つの大きなアリーナコンサートをおこないます。最初のコンサートはO2アリーナで行われます。
「『Analogue』ツアーでは、ウレンブリー・アリーナでソールド・アウトを記録しました。バーミンガムとマンチェスターでも前と同じアリーナでコンサートをします。英国の期待度は、わたしたちが思った以上です。今度はこちらがボールを追いかけてコントロールする番なのです」とマネージャーのハラルド・ヴィークは、満足げに語りました。
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2009-05-27
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