歩く亡霊(モートンへのロングインタビュー) <Dagbladet 2008>
5月5日付Dagbladet.no Text: Ingvild Wedaa Tennfjord Translation by Locust/a-ha fan café
訳:Mayumi
モートン・ハルケット(48)を理解するためには、まず、モートンが実際には存在していないことを理解しなければならない。
[image]
三位一体:1986年に、ポール、マグネ、モートンは、ポップス界で頂点を極めた。オックスフォードストリートでのサイン会。モートンは世界中のジーンズを穴だらけにした張本人だった。
[image]
熱狂:a-haは世界中をツアーした。カリフォルニアのプールサイドにて白い水着姿でリラックスするモートン。
[image]
ノーベルアート:アニー・レノックス、ケヴィン・スペイシーと共に。モートンは、2007年度ノーベルコンサートのメインアトラクションの一人だった。
[image]
元同居人と:2003年、モートンはアン・メッテ・ウンドリエンとの間に4番目の子ども、ヘニーをもうけた。その翌年に、ノルディック・ミュージック・アワードの会場へ向かう二人。
[image]
家族:モートンとカミーラは、1989年に結婚し、結婚生活は9年間続いた。二人の間には3人の子どもがいる。写真は、ヤーコブ、ヨナタンと一緒のもの。この翌年、トミーネを授かった。
[image]
80年代には、誰もがモートンと関係を持っていた。何人かの人間は、『Take On Me』をほかの人より文字通りに解釈していたが、ヘルメットをかぶったバイカーたちの助けにならなかったようだ。
[image]
慈善事業家:僕は、自分で使いきれないくらい持っている。とモートンは語る。1996年、TV3の文化的な番組「Safari」の一環で、グアテマラを訪れた。
モートンについて:
誕生日:1959年9月14日
家族:離婚暦あり、4人の子どもがいる
10年後:VGとDagbladetが合体した『Gangbladet』を読み、"Bergenmasturbator"との噂は、モートンが常に酔っ払っていて、マスターベーションすらできない状態なので、もう使えないという記事を読む。
これには怒るということ:前の質問の答えを見てね。
もっとも価値があること:メディアの批評
最悪のこと:これがまったく的を得てないということを学ばないこと
恐れていること:集団ヒステリー
子供時代になりたかったもの:ターザン
もっとも安心できる場所(Best Net Place):蝶の網の中
最近買った洋服(Clothes):僕の葬式用の麻布(Linen cloth)
忘れられない本:"Mengele Zoo" Gert Nygårdshaug著 テーマが忘れられないものだった。
尊敬する人:祖父母
好きな番組:A minutes silence
知りたいこと:実際に群集とは存在するのか?
存在するかどうかという質問は、ちょっと早かったようです。でもこんな風に答えてくれました。モートンは、これ以上くだらないことに答えたくなかったようです。
「このお皿は存在していますか?」
「僕らが思っているようには存在してないよ」
「でも触って感じることはできますよね」
「それじゃ、僕から質問するよ:ドナルド・ダックは存在しているか?存在しないと答える人もいるだろう。しかし、君はドナルドの彼女が誰かということも知っているよね?ドナルドは僕たちの意識下に存在しているんだ。この皿も僕と君の意識下に存在している。でも現実に存在しているかどうかというと、それは個別に存在しているんだ」
「どういうことなんでしょう?」
「精神的な面という意味かな?この世はすべて、精神によって構成されているんだ」
「精神によってというと?」
「世界は、明らかに無から始まったんだ。宇宙の外には何もない。中身だけだ。僕らが住むシャボン玉の中は、何もないところから始まった。何にも存在しないところからね。無は存在すべてよりも大きいという理屈になる」
モートンのこの考えが初めて公共電波で伝えられたのは、 トロンハイムの記者会見の時でした。その後、あまりふれられてこなかったこの話題に、レポーターは再び挑みます。
「でもRBKについてはどうでしょう?ローゼンボルグは好きですか?」
翌日の新聞には、モートンは、すべては藁にしかすぎないと語った、と見出しが出ました。
「母国では、これについて真剣に話し合える場はないんだ」
「どんなことについて話し合いたいのですか?」
「語るべきことは、僕らが理解しているつもりの現実とは何を基盤にしているのかということだよ。存在しているとはどういうことなのか」
霧の王様などというニックネームが広まるゆえんです。
「霧の王様以上に僕がなりたい役もないよ。僕にはぴったりな役だよ」
「それがクビを絞めるようなことになってもですか?」
「それで打撃を受けたことはないな。今まで誰も僕を有効なやり方で捕まえることなんてできなかったね」
3分40秒。 『Take On Me』の長さです。1985年にアメリカでトップに輝きました。ノルウェー出身のグループとしては初の快挙でした。突然、すべてが可能になったのです。世界制服も夢ではありませんでした。ノルウェーは沸きかえりましたが、モートンは冷静なままでした。モートンには、17歳からそうなることがわかっていたということです。
「どうしてわかったのか、わからないよ。だけど、それを疑ったことは無かった。ちょっと酔いしれてたのかもしれないけど、音楽を通じて世界に出て行かれると思っていた」
「あなたが本当は『Take On Me』を気に入っていないというのは本当ですか?」
「違うよ、だけど、他のバージョンだったらと思うことがある」
「弦楽器等を使うとか?」
「弦楽器じゃなくて…もっと活気があるバージョン」
「活気ですか?」
「もっと伸びやかで、同時に明るい軽快さもあるような。あの曲はちょっとシンセのストリングスの音のイメージばかりで。でも『Take On Me』には異論はないよ。ヒットしたんだし!」
「あなたの目的は、世界的に有名になることだったのでしょうか?」
「それは、目的じゃないよ。ただそういうものだったということだよ」
「あなたが声を大にして言いたいことだったのでしょうか?」
「時々ね」
「それは、他の子供たちに殴られていたからなんでしょうか?」
「いや、これは、青春時代の話だよ。まだ覚えているんだ。すごく音楽的に高まる経験をしたんだ」
「自分で書いた曲ですか、それとも他の人の曲ですか?」
「いや、まだ一度も聴いたことが無い音楽だった。何時間にもわたって聞こえてきた。精神的に入り込んできたという感じだった。音楽は、まだ出来上がっていなかった。そして、その後もできなかった。なぜなら、それを引き出す正しい道具を持ってなかったからね。まだ誰の手によって書かれたものではなかった」
「音符を書くことを学んでいたらよかったですね」
「音符は、僕には意味をなさないものなんだ」
モートンの両親は、気をつけて励ましてあげないといけない子供だと理解することになります。 2歳の時、バンドが演奏する音楽を聴いて興奮しておもらしをしてしまったモートン。ピアノに向かって鍵盤を小さな指で鳴らしました。4歳か5歳のころになると、まるで翼を得たかのような気分でした。車の中のバックシートで、"Kom mai, du skjønne, milde"を歌いました。しかし、ピアノの先生がやってきたとたん、すべてが壊れてしまったのです。
「あのきらめきは燃え尽きてしまった。すぐに冷え切った暗い場所へもぐりこんでしまったんだ」
「なぜですか?」
「僕は教えられたく無かった。体験したかったんだ」
レストランのメニューには、小麦かじゃがいもが入った料理しかありませんでした。 ハルケットが、スペルトかライ麦のメニューはあるかと訊くと、ウェイターは、まるで精神論でも語るかのように答えました。グルテンフリーのものはありましたが、食べたいと思うような代物ではありませんでした。
「グルテンフリーは、病院食だね、美味しくはない。だからスペルト小麦を勧めるんだ。僕は、根菜と、コーラを頼むことにするよ。普通にね」
ウェイターは、緊張した面持ちで、奥へ入っていきました。根菜があるかどうかもわからなかったようです。
「小麦は食べないのに、コーラは大丈夫だと言えるんですか?」
「言えないよ。砂糖の摂取にも気をつけるべきだよね。だけど、小麦はもっと悪いんだ」
「コーラは、とても美味しい…」
「僕は ダイエットにあまりにも忠実な生活をしたいとは思わない。ケーキがあれば食べるよ。だけど、今日まで小麦がしてきたことを考えるとね。頭をぼーっとさせるし、太ってしまう。栄養士たちは、小麦もスペルトと同じように体に良いと言う。だけど、それが正しいとは思えないんだ。それは、スペルト小麦の質が落ちてきていることからも言える」
「どうしてですか?」
「要望が高いのにあまりにも生産量が少ないんだ。それで、スペルトの質が落ちてしまった。いずれ改善されることを願ってるよ。」
「Peppesのピザがスペルト小麦でできたピザ生地を使っていることは悪い兆候ですか?」
「良い面と悪い面と両方さ。僕がスペルトダイエットを始めたころより品質が下がっている。環境に良いスペルト以外はね」
13年前、 モートンは、三位一体から初めて離れ、ソロアルバム『Wild Seed』をリリースしました。満足な出来上がりでした。批評家も気に入ったようです。次のソロアルバムまでにこれほど時間が空くことになると予想する人はいませんでした。
「あれから妙に時間がたってしまったね。変だよね」モートンは考え深げに答えました。
確かに奇妙です。モートンは現在48歳です。しかし、彼の肉体は、歳を重ねることと、若い女性のアイドルでいられなくなることを拒絶しているように見えます。時間がそこで止まってしまったという感じすらします。40代の多くの男性がそうであるように、モートンの耳の前には小じわがありますし、顔に刻まれたしわも深くなっています。それでも、1986年にブレスレットを巻きつけ、歌っていた彼の姿がいまだに表に浮かび上がってくるのです。
「アルバムが市場にでることは怖くありませんか?」
「こういう時に心配になることってあるんだろうね。僕はそうはならないんだ。確かに恐怖はそこにあるね。だけど、長いことそうやって気にしていてもしょうがない。恐れていてもどうにもならないんだしね」
「そういう感情を閉ざしてしまうのですか?」
「僕はそいつの目をまっすぐに見つめるんだ」
「"恐怖"の目ですか?」
「そう。そうすれば消え去る。問いかけるんだ。これは合理的なものか?違う。それに対して何かできるのか?できない。音楽との出会いは、自由きままに、突然出会うものだよ。他の人たちの感情をコントロールすることはできない。僕がいったん手放したら、自分の脚でしっかり立たなければならないんだ」
「批評家たちは、ナイフを研いで待ち構えているんでしょうか、それとも両腕を広げて迎え入れてくれているんでしょうか?」
「両方だと思うよ。間違いなく、彼らとってはいらいらする面もあると思う。僕はこの仕事を長年やっているからね。まったく、他にいないのか?と思うだろうね。でもそれに耐えてもらわないとね」
モートンは、ファルセットヴォイスで有名ですが、 ソングライターとしても有名になりたいと思っているのでしょうか。a-haが復活した後でも、メインのソングライターはポールとマグネです。
「『Wild Seed』は、ソングライターに出世したターニングポイントといえますか?」
「それ以上のものがあるよ。君が言っているのは(ソングライターとしても)世間に認められたということだよね。だけど、あのレコードは、僕自身へソングライターであるということに気づかせてくれた。音楽の世界で自分の居場所、アーティストとしての自分を発見できたんだ。そういうのってなんていうんだっけ?」
「アートと呼んでもいいのですか?」
「呼んでもいいよ。アートとは、自分に対して表現することだよ。自分の気づかなかった一面を知ることができる。音楽でそれができるのなら、それはアートだ。だけど、純粋なエンターテイメントになることもできるね」
「あなたの中でアートの部分はどれくらいなのでしょう?」
「いや…もし僕がこれをエンターテイメントとしてやっているだけだったら、とっくに辞めていたよ」
「それでは、a-haがラスべガスのショーで演奏することはありえないんですね?」
「僕ら自身でいられるんだったら、ありえるよ」
「惹きつけて止まない魅力的な音楽を作る、というのがモートンの望みです。「惹きつけて止まない魅力」。たった4分足らずのポップ・ソングの中に凝縮するのは簡単なことではありません」
「僕は、惹きつけて止まない魅力的な音楽を作りたいんだ。面白い分野だよ。音楽に引き寄せられるように感じるということだからさ。でも実際そうなっていっているのに気づかない。潜在意識がそうなるということだよ。親しみやすい音楽にすると共に、もっと深みのある層を作っていく。押し付けがましくではなくて」
「このアルバムは、みなを引き寄せて止まない魅力、を獲得したと思いますか?」
「わからない。あまりにも近くにいたからね。もう客観的には見られないんだ」
「イライラするんじゃないですか?」
「うーん…たいてい、出来上がる前に決断しないといけないからね」
「衝動的にということですか?」
「いつもそういう風にしたほうがいいこともあるね」
ある日、空港にいたモートンは、 スウェーデン人の女優を見かけました。モートンは、自分のガードマンに、彼女を自分のところへ連れてくるように言いました。それはただの冗談だったのですが、ガードマンは、モートンは、どの女性でも手に入れられるという意味に捉えました。
過程は省略します。その女性は、しばらくして、カミーラ・ハルケットという名前になりました。ヨーロッパ大陸で、夫が海神のように崇拝されている間、彼女は3人の小さな子供たちと平凡に暮らしていました。あるインタビューで、カミーラは自分のキャリアはお預けになったと語っています。
「女性とはうまくやってきたと思いますか?」
「人数という意味で?」
「質、という意味です。彼女たちは、あなたの子供を産みたいと思ったのですよね?」
「そうだね。変わってるよね」
「あなたはどんな父親だと思いますか?」
「躾けや秩序を守らせることには厳しいよ。それに、子供たちが限界を超えていないかということは気にかけている」
3人の最初の子供たちは今ではかなり成長しました。カミーラと離婚後は、同棲相手もいました。この同棲期間についてはあまり語られることはなく、アクアのレーネとの短いロマンスのほうが注目されたくらいです。しかし、この期間は充実していて、モートンはもう一人娘を授かりました。その子はもう5歳になります。
「今子供を持つというのは、以前と違いますか?」
「そうだね。残念ながら。今みたいに、上の3人の子供たちとも同じくらいの時間を過ごせたらよかったと思う。僕は若くて、あまり経験がなかった。ずっと離れていたわけじゃないけど、今の僕以上に、家に帰らなかったからね。小さい子供にとって、それがどんなに長く感じるかということを理解するのは大事だね」
「時間が許すようになったということですか、それともあなた自身の理解度が深まったということでしょうか?」
「以前の僕は、子供たちと過ごすための時間を取っておくなんて、と思っていた。今ではまったく逆だね。家族と十分な時間を過ごせないことが怖いんだ。でも一緒にするのは簡単じゃないね」
「家族と仕事というですか?」
「仕事の過程は、時には非情でもっと時間を割かないといけないこともある。仕事は、あまりこちらの意見には耳を傾けないし、家族と一緒にするのは難しいこともある。でも、家族と一緒に十分な時間を過ごせないと、芸術面でも支障がでてくるんだ」
「超有名人として働いた後、どうやって自分自身を保っていられるのでしょう?」
「有名であることは、僕に何の影響も与えないよ。社会現象っていうだけだから」
「巨大なコンサート会場全体が興奮状態になっていてもそういう風に考えようとするのですか?」
「もちろん。それで影響を受けたりしないよ。プライベートの僕とはまったく関係ないから」
「それでは、あなたは20年間も幻想の世界で過ごしているのですか?」
「そうだよ。多くの人たちにとっては。今は現実のレベルでの話だよね。誰も僕をひきずりこむことはできない。君にも同じことはできない。君はどこで独りなんだ。ずっとそのままだよ」
もうすぐ、ノルウェーとドイツでアルバムがリリースされます。 同時に、コンサートも控えています。3人の誰が演奏しているときでも、『Take On Me』を演奏してくれという叫びが聞かれることでしょう。a-haは終わってしまったわけではありません。バンドの存在は、じれったいほど確固たるものです。
「僕ら全員、a-haの作品、さらなる前進を待ち望んでいるんだ。ポール、マグネ、モートンではなくてね」
「いつも、ポール、マグネ、モートンではなかったのですか?」
「初期のころは違うよ。その後もちょこちょことね。でも僕らの誰もa-haじゃない」
「マグネは、ファーストアルバムの後、間違った方向に行ってしまった、と言っています。それは少し無礼だと思いませんか?」
「そうだね、タブロイド誌が書きそうなことだね。それが彼の狙いだよ」
「それでは、本当にそう思っているわけではないんですね?」
「いや、部分的にそう思っているんだよ。僕も多少は賛成できるけど、同時にそれは本当ではないとも言えるね。間違い以上のことをやってきたから。a-haを成功させるのはとても大変なことだよ。今の僕らだったら、もっとやれることがあったかもね」
「音楽以外に、取り組んでいることはありますか?」
「まあ、観ててよ。僕はアクティブでいたいんだ。それに、僕は自分が使える以上のものを持っている」
「もっと具体的に言ってもらえますか?」
「いや、それは実際の意味をなすまで、意味が無いことなんだ」
「もう少しヒントをくれませんか?じゃないと今夜眠れません」
「ヒントをあげたら、もっと妄想と想像が広がってしまうよ。ただ、僕は自分が使えるより多くのものを持っているって言っただけだよ」
知りたいこと:実際に群集とは存在するのか?
存在するかどうかという質問は、ちょっと早かったようです。でもこんな風に答えてくれました。モートンは、これ以上くだらないことに答えたくなかったようです。
「このお皿は存在していますか?」
「僕らが思っているようには存在してないよ」
「でも触って感じることはできますよね」
「それじゃ、僕から質問するよ:ドナルド・ダックは存在しているか?存在しないと答える人もいるだろう。しかし、君はドナルドの彼女が誰かということも知っているよね?ドナルドは僕たちの意識下に存在しているんだ。この皿も僕と君の意識下に存在している。でも現実に存在しているかどうかというと、それは個別に存在しているんだ」
「どういうことなんでしょう?」
「精神的な面という意味かな?この世はすべて、精神によって構成されているんだ」
「精神によってというと?」
「世界は、明らかに無から始まったんだ。宇宙の外には何もない。中身だけだ。僕らが住むシャボン玉の中は、何もないところから始まった。何にも存在しないところからね。無は存在すべてよりも大きいという理屈になる」
モートンのこの考えが初めて公共電波で伝えられたのは、 トロンハイムの記者会見の時でした。その後、あまりふれられてこなかったこの話題に、レポーターは再び挑みます。
「でもRBKについてはどうでしょう?ローゼンボルグは好きですか?」
翌日の新聞には、モートンは、すべては藁にしかすぎないと語った、と見出しが出ました。
「母国では、これについて真剣に話し合える場はないんだ」
「どんなことについて話し合いたいのですか?」
「語るべきことは、僕らが理解しているつもりの現実とは何を基盤にしているのかということだよ。存在しているとはどういうことなのか」
霧の王様などというニックネームが広まるゆえんです。
「霧の王様以上に僕がなりたい役もないよ。僕にはぴったりな役だよ」
「それがクビを絞めるようなことになってもですか?」
「それで打撃を受けたことはないな。今まで誰も僕を有効なやり方で捕まえることなんてできなかったね」
3分40秒。 『Take On Me』の長さです。1985年にアメリカでトップに輝きました。ノルウェー出身のグループとしては初の快挙でした。突然、すべてが可能になったのです。世界制服も夢ではありませんでした。ノルウェーは沸きかえりましたが、モートンは冷静なままでした。モートンには、17歳からそうなることがわかっていたということです。
「どうしてわかったのか、わからないよ。だけど、それを疑ったことは無かった。ちょっと酔いしれてたのかもしれないけど、音楽を通じて世界に出て行かれると思っていた」
「あなたが本当は『Take On Me』を気に入っていないというのは本当ですか?」
「違うよ、だけど、他のバージョンだったらと思うことがある」
「弦楽器等を使うとか?」
「弦楽器じゃなくて…もっと活気があるバージョン」
「活気ですか?」
「もっと伸びやかで、同時に明るい軽快さもあるような。あの曲はちょっとシンセのストリングスの音のイメージばかりで。でも『Take On Me』には異論はないよ。ヒットしたんだし!」
「あなたの目的は、世界的に有名になることだったのでしょうか?」
「それは、目的じゃないよ。ただそういうものだったということだよ」
「あなたが声を大にして言いたいことだったのでしょうか?」
「時々ね」
「それは、他の子供たちに殴られていたからなんでしょうか?」
「いや、これは、青春時代の話だよ。まだ覚えているんだ。すごく音楽的に高まる経験をしたんだ」
「自分で書いた曲ですか、それとも他の人の曲ですか?」
「いや、まだ一度も聴いたことが無い音楽だった。何時間にもわたって聞こえてきた。精神的に入り込んできたという感じだった。音楽は、まだ出来上がっていなかった。そして、その後もできなかった。なぜなら、それを引き出す正しい道具を持ってなかったからね。まだ誰の手によって書かれたものではなかった」
「音符を書くことを学んでいたらよかったですね」
「音符は、僕には意味をなさないものなんだ」
モートンの両親は、気をつけて励ましてあげないといけない子供だと理解することになります。 2歳の時、バンドが演奏する音楽を聴いて興奮しておもらしをしてしまったモートン。ピアノに向かって鍵盤を小さな指で鳴らしました。4歳か5歳のころになると、まるで翼を得たかのような気分でした。車の中のバックシートで、"Kom mai, du skjønne, milde"を歌いました。しかし、ピアノの先生がやってきたとたん、すべてが壊れてしまったのです。
「あのきらめきは燃え尽きてしまった。すぐに冷え切った暗い場所へもぐりこんでしまったんだ」
「なぜですか?」
「僕は教えられたく無かった。体験したかったんだ」
レストランのメニューには、小麦かじゃがいもが入った料理しかありませんでした。 ハルケットが、スペルトかライ麦のメニューはあるかと訊くと、ウェイターは、まるで精神論でも語るかのように答えました。グルテンフリーのものはありましたが、食べたいと思うような代物ではありませんでした。
「グルテンフリーは、病院食だね、美味しくはない。だからスペルト小麦を勧めるんだ。僕は、根菜と、コーラを頼むことにするよ。普通にね」
ウェイターは、緊張した面持ちで、奥へ入っていきました。根菜があるかどうかもわからなかったようです。
「小麦は食べないのに、コーラは大丈夫だと言えるんですか?」
「言えないよ。砂糖の摂取にも気をつけるべきだよね。だけど、小麦はもっと悪いんだ」
「コーラは、とても美味しい…」
「僕は ダイエットにあまりにも忠実な生活をしたいとは思わない。ケーキがあれば食べるよ。だけど、今日まで小麦がしてきたことを考えるとね。頭をぼーっとさせるし、太ってしまう。栄養士たちは、小麦もスペルトと同じように体に良いと言う。だけど、それが正しいとは思えないんだ。それは、スペルト小麦の質が落ちてきていることからも言える」
「どうしてですか?」
「要望が高いのにあまりにも生産量が少ないんだ。それで、スペルトの質が落ちてしまった。いずれ改善されることを願ってるよ。」
「Peppesのピザがスペルト小麦でできたピザ生地を使っていることは悪い兆候ですか?」
「良い面と悪い面と両方さ。僕がスペルトダイエットを始めたころより品質が下がっている。環境に良いスペルト以外はね」
13年前、 モートンは、三位一体から初めて離れ、ソロアルバム『Wild Seed』をリリースしました。満足な出来上がりでした。批評家も気に入ったようです。次のソロアルバムまでにこれほど時間が空くことになると予想する人はいませんでした。
「あれから妙に時間がたってしまったね。変だよね」モートンは考え深げに答えました。
確かに奇妙です。モートンは現在48歳です。しかし、彼の肉体は、歳を重ねることと、若い女性のアイドルでいられなくなることを拒絶しているように見えます。時間がそこで止まってしまったという感じすらします。40代の多くの男性がそうであるように、モートンの耳の前には小じわがありますし、顔に刻まれたしわも深くなっています。それでも、1986年にブレスレットを巻きつけ、歌っていた彼の姿がいまだに表に浮かび上がってくるのです。
「アルバムが市場にでることは怖くありませんか?」
「こういう時に心配になることってあるんだろうね。僕はそうはならないんだ。確かに恐怖はそこにあるね。だけど、長いことそうやって気にしていてもしょうがない。恐れていてもどうにもならないんだしね」
「そういう感情を閉ざしてしまうのですか?」
「僕はそいつの目をまっすぐに見つめるんだ」
「"恐怖"の目ですか?」
「そう。そうすれば消え去る。問いかけるんだ。これは合理的なものか?違う。それに対して何かできるのか?できない。音楽との出会いは、自由きままに、突然出会うものだよ。他の人たちの感情をコントロールすることはできない。僕がいったん手放したら、自分の脚でしっかり立たなければならないんだ」
「批評家たちは、ナイフを研いで待ち構えているんでしょうか、それとも両腕を広げて迎え入れてくれているんでしょうか?」
「両方だと思うよ。間違いなく、彼らとってはいらいらする面もあると思う。僕はこの仕事を長年やっているからね。まったく、他にいないのか?と思うだろうね。でもそれに耐えてもらわないとね」
モートンは、ファルセットヴォイスで有名ですが、 ソングライターとしても有名になりたいと思っているのでしょうか。a-haが復活した後でも、メインのソングライターはポールとマグネです。
「『Wild Seed』は、ソングライターに出世したターニングポイントといえますか?」
「それ以上のものがあるよ。君が言っているのは(ソングライターとしても)世間に認められたということだよね。だけど、あのレコードは、僕自身へソングライターであるということに気づかせてくれた。音楽の世界で自分の居場所、アーティストとしての自分を発見できたんだ。そういうのってなんていうんだっけ?」
「アートと呼んでもいいのですか?」
「呼んでもいいよ。アートとは、自分に対して表現することだよ。自分の気づかなかった一面を知ることができる。音楽でそれができるのなら、それはアートだ。だけど、純粋なエンターテイメントになることもできるね」
「あなたの中でアートの部分はどれくらいなのでしょう?」
「いや…もし僕がこれをエンターテイメントとしてやっているだけだったら、とっくに辞めていたよ」
「それでは、a-haがラスべガスのショーで演奏することはありえないんですね?」
「僕ら自身でいられるんだったら、ありえるよ」
「惹きつけて止まない魅力的な音楽を作る、というのがモートンの望みです。「惹きつけて止まない魅力」。たった4分足らずのポップ・ソングの中に凝縮するのは簡単なことではありません」
「僕は、惹きつけて止まない魅力的な音楽を作りたいんだ。面白い分野だよ。音楽に引き寄せられるように感じるということだからさ。でも実際そうなっていっているのに気づかない。潜在意識がそうなるということだよ。親しみやすい音楽にすると共に、もっと深みのある層を作っていく。押し付けがましくではなくて」
「このアルバムは、みなを引き寄せて止まない魅力、を獲得したと思いますか?」
「わからない。あまりにも近くにいたからね。もう客観的には見られないんだ」
「イライラするんじゃないですか?」
「うーん…たいてい、出来上がる前に決断しないといけないからね」
「衝動的にということですか?」
「いつもそういう風にしたほうがいいこともあるね」
ある日、空港にいたモートンは、 スウェーデン人の女優を見かけました。モートンは、自分のガードマンに、彼女を自分のところへ連れてくるように言いました。それはただの冗談だったのですが、ガードマンは、モートンは、どの女性でも手に入れられるという意味に捉えました。
過程は省略します。その女性は、しばらくして、カミーラ・ハルケットという名前になりました。ヨーロッパ大陸で、夫が海神のように崇拝されている間、彼女は3人の小さな子供たちと平凡に暮らしていました。あるインタビューで、カミーラは自分のキャリアはお預けになったと語っています。
「女性とはうまくやってきたと思いますか?」
「人数という意味で?」
「質、という意味です。彼女たちは、あなたの子供を産みたいと思ったのですよね?」
「そうだね。変わってるよね」
「あなたはどんな父親だと思いますか?」
「躾けや秩序を守らせることには厳しいよ。それに、子供たちが限界を超えていないかということは気にかけている」
3人の最初の子供たちは今ではかなり成長しました。カミーラと離婚後は、同棲相手もいました。この同棲期間についてはあまり語られることはなく、アクアのレーネとの短いロマンスのほうが注目されたくらいです。しかし、この期間は充実していて、モートンはもう一人娘を授かりました。その子はもう5歳になります。
「今子供を持つというのは、以前と違いますか?」
「そうだね。残念ながら。今みたいに、上の3人の子供たちとも同じくらいの時間を過ごせたらよかったと思う。僕は若くて、あまり経験がなかった。ずっと離れていたわけじゃないけど、今の僕以上に、家に帰らなかったからね。小さい子供にとって、それがどんなに長く感じるかということを理解するのは大事だね」
「時間が許すようになったということですか、それともあなた自身の理解度が深まったということでしょうか?」
「以前の僕は、子供たちと過ごすための時間を取っておくなんて、と思っていた。今ではまったく逆だね。家族と十分な時間を過ごせないことが怖いんだ。でも一緒にするのは簡単じゃないね」
「家族と仕事というですか?」
「仕事の過程は、時には非情でもっと時間を割かないといけないこともある。仕事は、あまりこちらの意見には耳を傾けないし、家族と一緒にするのは難しいこともある。でも、家族と一緒に十分な時間を過ごせないと、芸術面でも支障がでてくるんだ」
「超有名人として働いた後、どうやって自分自身を保っていられるのでしょう?」
「有名であることは、僕に何の影響も与えないよ。社会現象っていうだけだから」
「巨大なコンサート会場全体が興奮状態になっていてもそういう風に考えようとするのですか?」
「もちろん。それで影響を受けたりしないよ。プライベートの僕とはまったく関係ないから」
「それでは、あなたは20年間も幻想の世界で過ごしているのですか?」
「そうだよ。多くの人たちにとっては。今は現実のレベルでの話だよね。誰も僕をひきずりこむことはできない。君にも同じことはできない。君はどこで独りなんだ。ずっとそのままだよ」
もうすぐ、ノルウェーとドイツでアルバムがリリースされます。 同時に、コンサートも控えています。3人の誰が演奏しているときでも、『Take On Me』を演奏してくれという叫びが聞かれることでしょう。a-haは終わってしまったわけではありません。バンドの存在は、じれったいほど確固たるものです。
「僕ら全員、a-haの作品、さらなる前進を待ち望んでいるんだ。ポール、マグネ、モートンではなくてね」
「いつも、ポール、マグネ、モートンではなかったのですか?」
「初期のころは違うよ。その後もちょこちょことね。でも僕らの誰もa-haじゃない」
「マグネは、ファーストアルバムの後、間違った方向に行ってしまった、と言っています。それは少し無礼だと思いませんか?」
「そうだね、タブロイド誌が書きそうなことだね。それが彼の狙いだよ」
「それでは、本当にそう思っているわけではないんですね?」
「いや、部分的にそう思っているんだよ。僕も多少は賛成できるけど、同時にそれは本当ではないとも言えるね。間違い以上のことをやってきたから。a-haを成功させるのはとても大変なことだよ。今の僕らだったら、もっとやれることがあったかもね」
「音楽以外に、取り組んでいることはありますか?」
「まあ、観ててよ。僕はアクティブでいたいんだ。それに、僕は自分が使える以上のものを持っている」
「もっと具体的に言ってもらえますか?」
「いや、それは実際の意味をなすまで、意味が無いことなんだ」
「もう少しヒントをくれませんか?じゃないと今夜眠れません」
「ヒントをあげたら、もっと妄想と想像が広がってしまうよ。ただ、僕は自分が使えるより多くのものを持っているって言っただけだよ」
≪ 続きを隠す
2008-05-11
|
Trackbacks [0]
|
EDIT
宣教師が非難の的になるのは不当だ <the NMS magazine 1995>
訳:Mayumi
「僕が子供の頃、一般的に宣教師が嫌われている時期があった。特に帝国主義について語るような(政治的に)左翼の人間にね。白人が犯したありとあらゆる過ちは、宣教師のせいにされたんだ。実際に起こったことへの大きな誤解だと思う」
アーティスト、モートン・ハルケットは語った。
モートン・ハルケットにとって、宣教活動はなじみの深いものだ。彼の育った家に置いてあった雑誌は、宣教師を非難するたぐいのものではなかった。
「僕の両親は、世界中で宣教師がどんな活動をしているのか、常に注目してきたし、家に宣教師たちがよく訪ねてきていた」
自分の能力や信ずることを天職にしている、ごく普通の人々との出会いだと、彼は説明する。
彼の家族からも何人か宣教活動にたずさわってきたし、今でもその一端として活動を続けている人もいる。彼は、宣教師が文化的な面の帝国主義者よばわりされていることを理解しているし、そのことを残念に思っている。
「問題なのは、僕らの文化や思想によってキリスト教がどのように影響されたか、という部分を直視しない人が多いことだと思う。それに残念ながら、常にはっきりとしたゴールがみえていない信者が多いと思う。ゴールではなくて、意味を考えるほうに気をとられているようだね。すべては自由のもとに行われなければならない。力ずくで人々の心を勝ち取ることはできない」
彼は、TVやラジオによる福音伝道は好きではないが、個人の集会は信じるという。
「福音(ゴスペル)は小人数で共有するべきだよ。小さいけれど、オープンな集会でね。(宣教は)1晩でできることではないよ。時間をかけておこなわれるプロセスだ。どんな場合でも、人の心に入りこむべきものなんだ。頭の中に侵入するのではなくてね。
「NMS(ノルウェー・宣教師組合)のような団体の宣伝のやり方についてどう思われますか」
「メディアとくっついてしまうべきではないと思う。(うまくいったとしても)短期的な成功でしかないと思んだ。成功するためには、底辺から築いていくしかないと思うんだ。実際に人々と会って話をすることで伝道できれば良いと思う」
なじみ深い典礼:
モートン・ハルケットは、ポップグループ、a-haのボーカリストとして最も有名だろう。a-haは80年代半ばに、諸外国で占められていたミュージック・シーンにノルウェーを紹介したバンドである。今春、最初のソロ・アルバムと共に、モートン・ハルケットの名前が、再び話題にのぼることになりそうだ。
(Ragnar)Bjerkreimによるコンサート・ミサ曲集の「Missa Caritatis」が2月22日に発売された。モートン・ハルケットは、ソロシンガーとして、ソプラノのBodil Arnesenと共に参加している。
「このアルバムに参加することにした理由は、Ragnarがやろうとしていることが、僕にとっても大切な基準にもとづいたものだったからだ」
映画 “Kamilla of Tyven”の撮影中に、モートン・ハルケットはサウンド・トラックの作曲を手がけたRagnar Bjerkreimと音楽的な出会いをした。Bjerkreimは朝の礼拝(典礼)の歌詞を元に、コンサート・ミサ曲を書き上げた。典礼はモートン・ハルケットにとって、なじみ深い儀式である。
「青春時代、よく教会へ足を運んだんだ。典礼は、教会にかかわって育ってきた人間には理解できるものだと思う。教会とまったく関係ない人にはいかがわしいものにしか見えないだろうね。そういう人たちは典礼に関心を示さないことが多いけど、内側から(典礼とはなにか)理解していないからだろうね。
破滅が好き:
レコード会社、Kirkelig Kulturverkstedから『Poetenes Evangelium』が発売されたのは1993年だった。モートン・ハルケットの声と歌い方は、このアルバムのムードをかもし出す非常に大切な部分となっている。『Poetenes Evangelium』と『Missa Caritatis』は、明らかに、キリスト教の思想と信仰に関係している作品だ。
「これらのアルバム制作に参加するようになった動機はなんですか?」
「僕のキリスト教信仰と直接関係しているからではなくて、まったく初めて僕の声が楽器として使われることになったからなんだ。まあ、僕はたまたま信者だけど、信者でなかったとしても、僕の声が作品の中で重要な楽器であることはかわりないよ」
「(これらの作品に参加したことで)a-haやあなたのソロ・キャリアを破滅させる恐れはありますか?」
「僕にわかることで一番良いのは破滅するっていうことだよ。Poetenes Evangeliumは僕のキャリアでハイライトのひとつだと思う。プレスのレビューが悪くなかったから、そう言っているわけではないよ。このアルバムが僕や、リスナーにくれたものはなにか、よくわかっているつもりだ。僕自身、これほどありのままのものに取り組んだことはなかった。自分の声と直感を駆使して、よく理
解していなかった歌詞の内容と向き合った。良い音楽的な経験になったし、こういった情況ですごく緊張感があったよ。
※H+D MLにポストされたモノを翻訳しました。(転載許可確認済)
元記事:Ranveig Ronningen、英訳:Jakob Sekse
「NMS(ノルウェー・宣教師組合)のような団体の宣伝のやり方についてどう思われますか」
「メディアとくっついてしまうべきではないと思う。(うまくいったとしても)短期的な成功でしかないと思んだ。成功するためには、底辺から築いていくしかないと思うんだ。実際に人々と会って話をすることで伝道できれば良いと思う」
なじみ深い典礼:
モートン・ハルケットは、ポップグループ、a-haのボーカリストとして最も有名だろう。a-haは80年代半ばに、諸外国で占められていたミュージック・シーンにノルウェーを紹介したバンドである。今春、最初のソロ・アルバムと共に、モートン・ハルケットの名前が、再び話題にのぼることになりそうだ。
(Ragnar)Bjerkreimによるコンサート・ミサ曲集の「Missa Caritatis」が2月22日に発売された。モートン・ハルケットは、ソロシンガーとして、ソプラノのBodil Arnesenと共に参加している。
「このアルバムに参加することにした理由は、Ragnarがやろうとしていることが、僕にとっても大切な基準にもとづいたものだったからだ」
映画 “Kamilla of Tyven”の撮影中に、モートン・ハルケットはサウンド・トラックの作曲を手がけたRagnar Bjerkreimと音楽的な出会いをした。Bjerkreimは朝の礼拝(典礼)の歌詞を元に、コンサート・ミサ曲を書き上げた。典礼はモートン・ハルケットにとって、なじみ深い儀式である。
「青春時代、よく教会へ足を運んだんだ。典礼は、教会にかかわって育ってきた人間には理解できるものだと思う。教会とまったく関係ない人にはいかがわしいものにしか見えないだろうね。そういう人たちは典礼に関心を示さないことが多いけど、内側から(典礼とはなにか)理解していないからだろうね。
破滅が好き:
レコード会社、Kirkelig Kulturverkstedから『Poetenes Evangelium』が発売されたのは1993年だった。モートン・ハルケットの声と歌い方は、このアルバムのムードをかもし出す非常に大切な部分となっている。『Poetenes Evangelium』と『Missa Caritatis』は、明らかに、キリスト教の思想と信仰に関係している作品だ。
「これらのアルバム制作に参加するようになった動機はなんですか?」
「僕のキリスト教信仰と直接関係しているからではなくて、まったく初めて僕の声が楽器として使われることになったからなんだ。まあ、僕はたまたま信者だけど、信者でなかったとしても、僕の声が作品の中で重要な楽器であることはかわりないよ」
「(これらの作品に参加したことで)a-haやあなたのソロ・キャリアを破滅させる恐れはありますか?」
「僕にわかることで一番良いのは破滅するっていうことだよ。Poetenes Evangeliumは僕のキャリアでハイライトのひとつだと思う。プレスのレビューが悪くなかったから、そう言っているわけではないよ。このアルバムが僕や、リスナーにくれたものはなにか、よくわかっているつもりだ。僕自身、これほどありのままのものに取り組んだことはなかった。自分の声と直感を駆使して、よく理
解していなかった歌詞の内容と向き合った。良い音楽的な経験になったし、こういった情況ですごく緊張感があったよ。
※H+D MLにポストされたモノを翻訳しました。(転載許可確認済)
元記事:Ranveig Ronningen、英訳:Jakob Sekse
≪ 続きを隠す
2000-05-10
|
Trackbacks [0]
|
EDIT
真っ黒い悪魔の上で燃やされるキリスト <NettPuls PART 3 04/04/99>
訳:Mayumi
モートン・ハルケットと出会った人のほとんどが、彼はナイスガイだと言うだろう。名声が彼を何か別のものにしてしまっているのだ。「『世間』は『頭1つ出た』人間をいつでも嫌うものなんだよ」モートンはよく仰々しい発言をし、センセーショナルな結論を出すことになるのだが、それは他の人の出す結論とはまったく逆であることが多い。モートン自身は、音楽とは関係無いたくさんの重要な事項に対しても意見をした経験がある。例えば、彼のBellonaへの支援(ノルウェーの団体で、グリーンピースに似ている)は、ポップスターはまったく意味のあることを言うべきではないという概念とは対照的なものだ。それにも関わらず、モートンは、もちろん有名人としての顔がさらされることへの危険性が十分わかる知性を備えている。二重のモラルに対する反論は免れられまい。
「とても難しいことだよ。僕は、丘を登って「この丘は僕のものだ。僕が作ったんだ!」と言うことには大反対だよ。そういうことを言うとしたら、内部で働く機会が与えられたときだろうね。それだったら全て本当だからね。避けられるのなら、自分の顔は絶対に使うべきではない。この場合自体は、裏側の影響力でなければいけないね」とモートンは言う。
「僕は、自転車に乗った伝道師のひとりとして扱われないようにいろんなことをしてきた。そうなったら最悪だよ。僕が自然環境支援をしていた時期、仕事場にそういう勢力があった。その時、ちょうど僕はメルセデス500を買ったんだ。僕からの反発をこめてね。伝道師にされないようにさ(?!)」
「僕は良い子では無くなった。そうだよね?僕は自転車に乗ったまぬけな男じゃない。仕事をする時は常に、ジャンボに乗って行ったり来たりする。自分の車を持っていなかったら、誰かが僕を迎えに来て僕が行きたいところへ連れて行ってくれるだけさ。(自転車用の)ヘルメットをかぶってダーグブラーデ誌に写真を撮ってもらうことは、間違っているしそんなの偽りだよ」
「人々の目を僕から離すことができればできるほど、いいことだよ。僕は世間からこういう人間だとかああいう人間だとか決めつけられたくない。彼らに不確かに感じて欲しい。そうすれば、もっと新しいものに繊細になれるしオープンになれる」
モートンの音楽に対する哲学
モートンのソロ・キャリアがスタートする前は、成功を危ぶむ声が多かった。モートンははたして、ポール・ワークター・サヴォイが書いた曲が無くても成功できるのだろうか?誰に何がわかるというのだろう。a-haにいた10年間の間、“サインをするだけ”だったモートン・ハルケットが、シングルヒットしそうな曲を何曲も収録された フル・アルバム『Wild Seed』を作り上げたのだ!本当に“ビギナー”によって書かれた作品なのだろうか?誰かが『A King of Christmas Card』のような完璧なポップソングを作ろうとしても足元にも及ばないだろう。そして更に素晴らしい曲が続く。アルバムはいまだに売れつづけており、ノルウェーの15万5千世帯で見つけることができる。もし海外でも立派にプロモーションされていたら、アルバムが世界中で売れていたかどうかは神のみぞ知るところだ。
『Wild Seed』の制作は有益なものだった。そして、創作者のモートンに言わせると『システムから抜け出すためのチャレンジ』だったそうだ。これに続く『Vogts Villa』の売り上げは、『Wild Seed』 に及ばなかったものの、力強い美しい旋律、メロディーを重視した時代を超えた伝統的な曲作りという印象を与える。モートンには、“最新流行を追う”必要を感じることは無いようだ。
「たいてい、新しい音楽を聴くだけの気力がわいてこないんだ。自分の頭のスペースを全部使い切らないように気をつけているからね。自分が夢中になれるものだけ欲しい。他にはなにもいらないよ。a-haがブレークして以来、新しい音楽トレンドを追うことはほとんどなくなったよ」
「良いものが作られなくなったというわけではないよ。もちろん、作られていると思う。自分が見失っているものは沢山あるのは確かだね。だけど、同時に僕は、自分にうったえかけるもの、僕の心を捕らえることをやっているんだ。影響を受けるならそれのほうがこちらよりも良いかどうかは、まったく机上の論理さ」
「それは、ダーグブラーデ誌がカラー印刷かそれともモノクロ印刷になるのか、または何曜日なのか、または、君の車が何色か、というくらいの興味しかない。全てはこれにつきる。この例えで、僕が言う意味がわかるかい?」
「ジャズ、タンゴ、ロック、なんでもありさ。世間の一部の人々とだけとコミュニケーションをとるわけではないからね。今は、コミュニケーションをしてみたい他の人々の“ジャングル・リスト”があるんだ。それだけさ!だから、売れ線の楽しげなポップソングに新たな興味を抱いている。ポップソングは無慈悲ですごく難しいジャンルだからね。ポップソングというのは、非常に小さな形式の中で作られるものだ。そして、同時に普段コミュニケーションをとることが無い人々に語りかけることができる。エキサイティングだよね?」
(転載許可確認済)Thanks to memorialbeach.com 英訳:Cindy Kandolf
「僕は、自転車に乗った伝道師のひとりとして扱われないようにいろんなことをしてきた。そうなったら最悪だよ。僕が自然環境支援をしていた時期、仕事場にそういう勢力があった。その時、ちょうど僕はメルセデス500を買ったんだ。僕からの反発をこめてね。伝道師にされないようにさ(?!)」
「僕は良い子では無くなった。そうだよね?僕は自転車に乗ったまぬけな男じゃない。仕事をする時は常に、ジャンボに乗って行ったり来たりする。自分の車を持っていなかったら、誰かが僕を迎えに来て僕が行きたいところへ連れて行ってくれるだけさ。(自転車用の)ヘルメットをかぶってダーグブラーデ誌に写真を撮ってもらうことは、間違っているしそんなの偽りだよ」
「人々の目を僕から離すことができればできるほど、いいことだよ。僕は世間からこういう人間だとかああいう人間だとか決めつけられたくない。彼らに不確かに感じて欲しい。そうすれば、もっと新しいものに繊細になれるしオープンになれる」
モートンの音楽に対する哲学
モートンのソロ・キャリアがスタートする前は、成功を危ぶむ声が多かった。モートンははたして、ポール・ワークター・サヴォイが書いた曲が無くても成功できるのだろうか?誰に何がわかるというのだろう。a-haにいた10年間の間、“サインをするだけ”だったモートン・ハルケットが、シングルヒットしそうな曲を何曲も収録された フル・アルバム『Wild Seed』を作り上げたのだ!本当に“ビギナー”によって書かれた作品なのだろうか?誰かが『A King of Christmas Card』のような完璧なポップソングを作ろうとしても足元にも及ばないだろう。そして更に素晴らしい曲が続く。アルバムはいまだに売れつづけており、ノルウェーの15万5千世帯で見つけることができる。もし海外でも立派にプロモーションされていたら、アルバムが世界中で売れていたかどうかは神のみぞ知るところだ。
『Wild Seed』の制作は有益なものだった。そして、創作者のモートンに言わせると『システムから抜け出すためのチャレンジ』だったそうだ。これに続く『Vogts Villa』の売り上げは、『Wild Seed』 に及ばなかったものの、力強い美しい旋律、メロディーを重視した時代を超えた伝統的な曲作りという印象を与える。モートンには、“最新流行を追う”必要を感じることは無いようだ。
「たいてい、新しい音楽を聴くだけの気力がわいてこないんだ。自分の頭のスペースを全部使い切らないように気をつけているからね。自分が夢中になれるものだけ欲しい。他にはなにもいらないよ。a-haがブレークして以来、新しい音楽トレンドを追うことはほとんどなくなったよ」
「良いものが作られなくなったというわけではないよ。もちろん、作られていると思う。自分が見失っているものは沢山あるのは確かだね。だけど、同時に僕は、自分にうったえかけるもの、僕の心を捕らえることをやっているんだ。影響を受けるならそれのほうがこちらよりも良いかどうかは、まったく机上の論理さ」
「それは、ダーグブラーデ誌がカラー印刷かそれともモノクロ印刷になるのか、または何曜日なのか、または、君の車が何色か、というくらいの興味しかない。全てはこれにつきる。この例えで、僕が言う意味がわかるかい?」
「ジャズ、タンゴ、ロック、なんでもありさ。世間の一部の人々とだけとコミュニケーションをとるわけではないからね。今は、コミュニケーションをしてみたい他の人々の“ジャングル・リスト”があるんだ。それだけさ!だから、売れ線の楽しげなポップソングに新たな興味を抱いている。ポップソングは無慈悲ですごく難しいジャンルだからね。ポップソングというのは、非常に小さな形式の中で作られるものだ。そして、同時に普段コミュニケーションをとることが無い人々に語りかけることができる。エキサイティングだよね?」
(転載許可確認済)Thanks to memorialbeach.com 英訳:Cindy Kandolf
≪ 続きを隠す
2000-05-10
|
Trackbacks [0]
|
EDIT
真っ黒い悪魔の上で燃やされるキリスト <NettPuls PART 2 10/03/99>
訳:Mayumi
「ポールとマグネは、僕が歌ったり実際に演奏するのを見る前からバンドに欲しがった。でかい態度と個性こそが全てだったんだ。最初、彼らは僕をドラマーとして欲しがった。ポールは、誰もボーカルに迎える気がなかった。同時に僕には、僕以外シンガーにはなれない、とわかっていた」ノルウェーで最も有名なスターであるモートンは、インタビューの第2部でそう語った。(この部分を)どこで読んだのか覚えておいてください。これから話が終わるまでかなりの長さを擁します。
ソルジャーブルー時代、モートンはマグネ・フルホルメンとポール・ワークターに出会った。1979年のことである。ポールとマグネにとっての初めての本格的なバンドであるブリッジスに、モートンは感心した。モートン、マグネ、ポールは3人のまったく違う個性である。しかし、お互い、大きな音楽的野心という共通点を見出した。
a-haは1982年の9月に誕生した。
マグネとポールとの出会い
「ブリッジスは、僕のずっと先をいっていた。すでに、ポールとマグネは才能あるソングライターで、ものすごく成熟していた。ブリッジスは世界的なレベルのミュージシャンともう少しで肩を並べられるレベルに達していた。ブリッジスのアルバム『Fakkeltog』(1980年リリース)には、とても感銘を受けた。そして僕の状況をがらりと変えることになった。ポールとマグネは、自分たちが行きたいところへ行けるだけの力を持っていた。ノルウェーで彼らのようなバンドにめぐり合えたことはまさに衝撃だったよ。すごく興奮した。すでに障害は何もなかったんだ」
そしてa-haの歴史が始まった。
ローリングストーン誌の取材を断る
a-haは新たに再結成し、『失敗という言葉は選択に無い』という原理にしたがって、国際的に成功を収めた。彼らは、成功を“したら”という言葉は使わなかった。そうではなく、成功する“とき”について話をした。
『Take On Me』はビルボード誌のシングルチャートで1位に達した。1985年9月だったが、いまだに歴史的な瞬間である。ローリングストーン誌のインタビューと、ジョニー・カーソン・ショーの出演を断ったのにもかかわらず、リオ・デ・ジャネイロでは20万人もの観客を前に演奏した。
商業的成功を収めれば収めるほど、ノルウェーのマスコミは彼らを”参らせよう“と躍起になった。マスコミの多くはa-haが大きく失敗することを“望んだ”。しかし、20万人の観客を動員したことはどう考えればよいのだろう…。
ノルウェーのプレス
モートンは、ノルウェーのマスコミが“a-haを参らせよう”とすることに対してある程度幻滅をしたようだ。
「彼らは、自分がどんなことを言っているのかわからないんだよ。事実を見ている人には、僕らがどんなにたくさんのTV番組に出演したか、どのくらいヒット曲をだしたのかわかっている…。ほとんどの人が信じていることは、重要さの順序が逆だということを言っているんだ。それとまったく同時に、プレスは海外で僕らが失敗したかのように書きたてた。それは80年代後半の話だけれど、当時ワーナーは僕らを国際的に最も売れたバンドとしてお祝いしてくれたんだよ。」
「それじゃ、銀行預金明細の上にあぐらをかいている人たちと、プレスとどっちが正しいと思う?馬鹿げているし、クレイジーだよ。世間はわかっていないんだ。いいかい、いつまでも文句ばかりいっているのは間違っているけれど、もう1度だけ言わせてもらう。ありのままに言わないのだったら語るべきではない。僕を全てから楽にして欲しいなんて誰からも望まないし、自分の能力以上に僕を持ち上げて欲しいなんて望んでいないよ。リオでは、僕らはライブコンサートの(※観客動員数の)世界記録を打ち立てた。これは歴史的な事実さ。僕が思いついたことでも他の人が本当だと信じ込んでいることでもないんだ」
「スペードはスペードにしかすぎない。それに慣れなければならないし、水に流さなければならないんだ。例えば、僕が他のみんなと違わないという振りをするのは馬鹿げているよ。僕はもちろんみんなと違う!僕個人の人生は他の人の人生とは違う。それは、僕が良いやつなのか悪いやつなのかという問題じゃないんだ。僕は自分の人生は少しばかり違うと言っているだけだよ」
a-haメンバーの間に飛び散る火花
新聞の見出しを読むと、a-haの再結成は予想通りになりそうだ。しかし、モートンとポール・ワークター・サヴォイの緊張状態は予想以上に高いと推測されている。
オスロの新聞社は、スパイを送りこむような真似をした。彼らは、Rockefellerで行われたSavoyの初ライブの後、モートンとポールの間に“険悪なムード”を感じたと告げている。
モートンが『a-haは友情を基本にしたバンドではない』と言ったのは、こういった推測から距離を置く必要を感じたからだろう。
「プレスには理解できないことだよ。彼らは絶対に理解“しよう”としないんだ。a-haは、友情を基本にしたバンドではない。どのみち友情は必要無かった。それは僕らが友人ではないという意味ではないよ。a-haは、常に“今起こっていること”を基本にしてきた。真剣で、大規模なプロジェクト、ものすごい規模のものを僕らはきちんとこなしていかなければならない。それは、僕らが一緒にやることに基づいているのではなく、それを超越しているだ。僕らはプロジェクトに深く関わっているからこそ一緒にいる。そして、僕らの私生活がある。僕ら個人の友人がいる」
「もちろん、とても親密に一緒に働いているときは、一緒にいろんなことをするし、お互いに情がうつるよ。メディアの頭が鈍いのはそこなんだ。彼らは、子供っぽいマンガの絵で、僕らの関係がどうあるのか描写してきた。プレスが、ポールと僕は互いに戦争状態である、と書きたてるのは、内心自分たちの間違いを隠そうとしているからだと思うね。彼らは逐一すべてをでっちあげた上、まるで“僕ら”がそう言っているようにみせかけるんだよ」
バンドがうまくいくために
「世間は、Savoyの『Daylight Wasting』は僕に平手打ちを食わせている曲なのではと疑っているようだね。そうだったらどうだっていうんだい?そんなことにはまったく興味無いね。a-haは昔も今も国際的に活動しているバンドで、国際的なバンドを導く強い勢いは問題を引き起こし得る。それを目の当たりにするのは構わない。いろんなことが起こるし、自分の感情を率直に表して自由になる必要があるんだ」
「ポールが自分の抱えている問題について詞を書いたとすると、自分のやりかたで言葉にしたいことがあったからだよ。それが、たとえ僕の背中を突き刺すことで“ある”にしてもね。僕はOKだよ。まったく構わない。僕はここに座って、彼が本当にそうする必要があるのかどうかよくわからないでいるけれど、そんなことは特に興味無いね。“そんなことには1秒たりとも惑わされないよ!”彼が活動を続けるのには何を必要としているのかということが問題なんだ。マグネにが活動を続けるのは何が必要なのか、そして僕には何が必要なのか…その後で、バンドが活動を続けるにには何が必要なのかということだよ。そうでなけれど、うまくいかないと思うよ。みんながハッピーで静止した状態を望んだことは1度もない。」
僕にはポールを変える事はできない
「最初は退屈なものだった。そして次は現実離れしていた。偶然に、マグネと僕の関係はポールとの関係とはまったく違うものになった。彼らはまったく違う生き物なんだ。ポールには 自分の物事のバランスをはかる自分の世界があって、それから僕に心のドアを開いてくれた。そのドアはマグネの心のドアとは違うんだ。僕とポールの間はかなり緊張があるよ」
「僕には、ポールの性質を変えることや彼を違う人間にすることはできない。それはまるでしまうまのしまを剥ぐようなものだよ。彼は彼自身だし、曲を書いたり、プロデュースすることができるし、彼らしいことをする。それだけさ。僕はただそれに対応したいだけで、現実の範囲で活動し、生産的であることを学んだ。だけど、そうするためにa-haを出る必要があった」
「自分がa-haの中でひどくくすんでしまっていることに気付いた。最後には、僕はポールがやっていることに貢献したり、理解することができなくなっていた。最後には、ポールはたくさんの責任を背負い、同時にほとんどをコントロールしていた。そしてバンドがうまくいかなくなった。僕は何の価値もないままそこに座っているだけだった。僕にはa-haでできることは何も無かったんだ」とモートンは当時を語った。
妹と一緒にBRAVOに掲載される
ノルウェーのマスコミだけがa-haのコンセプトを誤解していたのではなかった。外国のマスコミからも、a-haは初期の頃から不幸な10代のアイドル/一発屋というイメージをつけられた。それはバンドの懐の深さやクリエイティブであることへの野心とはまったく合い入れないものだった。当時、悲喜劇といえる事件があった。モートンは、ドイツの有名なティーン向け雑誌『Bravo』の表紙に載り、記事の見だしになった。『バンティー(・ベイリー、TOMのヴィデオに出演した女優)は僕が初めて本気になった女性』だった。ひとつ、小さな問題があった。モートンと一緒に映っていたのは、妹のイングンだったのだ。
マグネとポールとの出会い
「ブリッジスは、僕のずっと先をいっていた。すでに、ポールとマグネは才能あるソングライターで、ものすごく成熟していた。ブリッジスは世界的なレベルのミュージシャンともう少しで肩を並べられるレベルに達していた。ブリッジスのアルバム『Fakkeltog』(1980年リリース)には、とても感銘を受けた。そして僕の状況をがらりと変えることになった。ポールとマグネは、自分たちが行きたいところへ行けるだけの力を持っていた。ノルウェーで彼らのようなバンドにめぐり合えたことはまさに衝撃だったよ。すごく興奮した。すでに障害は何もなかったんだ」
そしてa-haの歴史が始まった。
ローリングストーン誌の取材を断る
a-haは新たに再結成し、『失敗という言葉は選択に無い』という原理にしたがって、国際的に成功を収めた。彼らは、成功を“したら”という言葉は使わなかった。そうではなく、成功する“とき”について話をした。
『Take On Me』はビルボード誌のシングルチャートで1位に達した。1985年9月だったが、いまだに歴史的な瞬間である。ローリングストーン誌のインタビューと、ジョニー・カーソン・ショーの出演を断ったのにもかかわらず、リオ・デ・ジャネイロでは20万人もの観客を前に演奏した。
商業的成功を収めれば収めるほど、ノルウェーのマスコミは彼らを”参らせよう“と躍起になった。マスコミの多くはa-haが大きく失敗することを“望んだ”。しかし、20万人の観客を動員したことはどう考えればよいのだろう…。
ノルウェーのプレス
モートンは、ノルウェーのマスコミが“a-haを参らせよう”とすることに対してある程度幻滅をしたようだ。
「彼らは、自分がどんなことを言っているのかわからないんだよ。事実を見ている人には、僕らがどんなにたくさんのTV番組に出演したか、どのくらいヒット曲をだしたのかわかっている…。ほとんどの人が信じていることは、重要さの順序が逆だということを言っているんだ。それとまったく同時に、プレスは海外で僕らが失敗したかのように書きたてた。それは80年代後半の話だけれど、当時ワーナーは僕らを国際的に最も売れたバンドとしてお祝いしてくれたんだよ。」
「それじゃ、銀行預金明細の上にあぐらをかいている人たちと、プレスとどっちが正しいと思う?馬鹿げているし、クレイジーだよ。世間はわかっていないんだ。いいかい、いつまでも文句ばかりいっているのは間違っているけれど、もう1度だけ言わせてもらう。ありのままに言わないのだったら語るべきではない。僕を全てから楽にして欲しいなんて誰からも望まないし、自分の能力以上に僕を持ち上げて欲しいなんて望んでいないよ。リオでは、僕らはライブコンサートの(※観客動員数の)世界記録を打ち立てた。これは歴史的な事実さ。僕が思いついたことでも他の人が本当だと信じ込んでいることでもないんだ」
「スペードはスペードにしかすぎない。それに慣れなければならないし、水に流さなければならないんだ。例えば、僕が他のみんなと違わないという振りをするのは馬鹿げているよ。僕はもちろんみんなと違う!僕個人の人生は他の人の人生とは違う。それは、僕が良いやつなのか悪いやつなのかという問題じゃないんだ。僕は自分の人生は少しばかり違うと言っているだけだよ」
a-haメンバーの間に飛び散る火花
新聞の見出しを読むと、a-haの再結成は予想通りになりそうだ。しかし、モートンとポール・ワークター・サヴォイの緊張状態は予想以上に高いと推測されている。
オスロの新聞社は、スパイを送りこむような真似をした。彼らは、Rockefellerで行われたSavoyの初ライブの後、モートンとポールの間に“険悪なムード”を感じたと告げている。
モートンが『a-haは友情を基本にしたバンドではない』と言ったのは、こういった推測から距離を置く必要を感じたからだろう。
「プレスには理解できないことだよ。彼らは絶対に理解“しよう”としないんだ。a-haは、友情を基本にしたバンドではない。どのみち友情は必要無かった。それは僕らが友人ではないという意味ではないよ。a-haは、常に“今起こっていること”を基本にしてきた。真剣で、大規模なプロジェクト、ものすごい規模のものを僕らはきちんとこなしていかなければならない。それは、僕らが一緒にやることに基づいているのではなく、それを超越しているだ。僕らはプロジェクトに深く関わっているからこそ一緒にいる。そして、僕らの私生活がある。僕ら個人の友人がいる」
「もちろん、とても親密に一緒に働いているときは、一緒にいろんなことをするし、お互いに情がうつるよ。メディアの頭が鈍いのはそこなんだ。彼らは、子供っぽいマンガの絵で、僕らの関係がどうあるのか描写してきた。プレスが、ポールと僕は互いに戦争状態である、と書きたてるのは、内心自分たちの間違いを隠そうとしているからだと思うね。彼らは逐一すべてをでっちあげた上、まるで“僕ら”がそう言っているようにみせかけるんだよ」
バンドがうまくいくために
「世間は、Savoyの『Daylight Wasting』は僕に平手打ちを食わせている曲なのではと疑っているようだね。そうだったらどうだっていうんだい?そんなことにはまったく興味無いね。a-haは昔も今も国際的に活動しているバンドで、国際的なバンドを導く強い勢いは問題を引き起こし得る。それを目の当たりにするのは構わない。いろんなことが起こるし、自分の感情を率直に表して自由になる必要があるんだ」
「ポールが自分の抱えている問題について詞を書いたとすると、自分のやりかたで言葉にしたいことがあったからだよ。それが、たとえ僕の背中を突き刺すことで“ある”にしてもね。僕はOKだよ。まったく構わない。僕はここに座って、彼が本当にそうする必要があるのかどうかよくわからないでいるけれど、そんなことは特に興味無いね。“そんなことには1秒たりとも惑わされないよ!”彼が活動を続けるのには何を必要としているのかということが問題なんだ。マグネにが活動を続けるのは何が必要なのか、そして僕には何が必要なのか…その後で、バンドが活動を続けるにには何が必要なのかということだよ。そうでなけれど、うまくいかないと思うよ。みんながハッピーで静止した状態を望んだことは1度もない。」
僕にはポールを変える事はできない
「最初は退屈なものだった。そして次は現実離れしていた。偶然に、マグネと僕の関係はポールとの関係とはまったく違うものになった。彼らはまったく違う生き物なんだ。ポールには 自分の物事のバランスをはかる自分の世界があって、それから僕に心のドアを開いてくれた。そのドアはマグネの心のドアとは違うんだ。僕とポールの間はかなり緊張があるよ」
「僕には、ポールの性質を変えることや彼を違う人間にすることはできない。それはまるでしまうまのしまを剥ぐようなものだよ。彼は彼自身だし、曲を書いたり、プロデュースすることができるし、彼らしいことをする。それだけさ。僕はただそれに対応したいだけで、現実の範囲で活動し、生産的であることを学んだ。だけど、そうするためにa-haを出る必要があった」
「自分がa-haの中でひどくくすんでしまっていることに気付いた。最後には、僕はポールがやっていることに貢献したり、理解することができなくなっていた。最後には、ポールはたくさんの責任を背負い、同時にほとんどをコントロールしていた。そしてバンドがうまくいかなくなった。僕は何の価値もないままそこに座っているだけだった。僕にはa-haでできることは何も無かったんだ」とモートンは当時を語った。
妹と一緒にBRAVOに掲載される
ノルウェーのマスコミだけがa-haのコンセプトを誤解していたのではなかった。外国のマスコミからも、a-haは初期の頃から不幸な10代のアイドル/一発屋というイメージをつけられた。それはバンドの懐の深さやクリエイティブであることへの野心とはまったく合い入れないものだった。当時、悲喜劇といえる事件があった。モートンは、ドイツの有名なティーン向け雑誌『Bravo』の表紙に載り、記事の見だしになった。『バンティー(・ベイリー、TOMのヴィデオに出演した女優)は僕が初めて本気になった女性』だった。ひとつ、小さな問題があった。モートンと一緒に映っていたのは、妹のイングンだったのだ。
≪ 続きを隠す
2000-05-10
|
Trackbacks [0]
|
EDIT