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BAND > モートン・ハルケット > インタビュー
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歩く亡霊(モートンへのロングインタビュー) <Dagbladet 2008>

5月5日付Dagbladet.no Text: Ingvild Wedaa Tennfjord Translation by Locust/a-ha fan café

訳:Mayumi

モートン・ハルケット(48)を理解するためには、まず、モートンが実際には存在していないことを理解しなければならない。

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三位一体:1986年に、ポール、マグネ、モートンは、ポップス界で頂点を極めた。オックスフォードストリートでのサイン会。モートンは世界中のジーンズを穴だらけにした張本人だった。

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熱狂:a-haは世界中をツアーした。カリフォルニアのプールサイドにて白い水着姿でリラックスするモートン。

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ノーベルアート:アニー・レノックス、ケヴィン・スペイシーと共に。モートンは、2007年度ノーベルコンサートのメインアトラクションの一人だった。

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元同居人と:2003年、モートンはアン・メッテ・ウンドリエンとの間に4番目の子ども、ヘニーをもうけた。その翌年に、ノルディック・ミュージック・アワードの会場へ向かう二人。

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家族:モートンとカミーラは、1989年に結婚し、結婚生活は9年間続いた。二人の間には3人の子どもがいる。写真は、ヤーコブ、ヨナタンと一緒のもの。この翌年、トミーネを授かった。

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80年代には、誰もがモートンと関係を持っていた。何人かの人間は、『Take On Me』をほかの人より文字通りに解釈していたが、ヘルメットをかぶったバイカーたちの助けにならなかったようだ。

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慈善事業家:僕は、自分で使いきれないくらい持っている。とモートンは語る。1996年、TV3の文化的な番組「Safari」の一環で、グアテマラを訪れた。

モートンについて:

誕生日:1959年9月14日
家族:離婚暦あり、4人の子どもがいる
10年後:VGとDagbladetが合体した『Gangbladet』を読み、"Bergenmasturbator"との噂は、モートンが常に酔っ払っていて、マスターベーションすらできない状態なので、もう使えないという記事を読む。
これには怒るということ:前の質問の答えを見てね。
もっとも価値があること:メディアの批評
最悪のこと:これがまったく的を得てないということを学ばないこと
恐れていること:集団ヒステリー
子供時代になりたかったもの:ターザン
もっとも安心できる場所(Best Net Place):蝶の網の中
最近買った洋服(Clothes):僕の葬式用の麻布(Linen cloth)
忘れられない本:"Mengele Zoo" Gert Nygårdshaug著 テーマが忘れられないものだった。
尊敬する人:祖父母
好きな番組:A minutes silence

2008-05-11 | Trackbacks [0] | EDIT

お互いから別居して <VG 2005>

訳:May−Junniさん

Morten Harket(45歳)とAnne Mette Undlien(36歳)の約5年にわたる同棲関係は破局を迎えた。

しかしながら、2人はすでにプロジェクトの計画もあるほど、いい友人同士だ。

「この先のことはまったくわからないわ。でも、これが今はベストだったのよ」と、アンネ・メッテは語った。

彼らには娘、Henny(2歳)がいて、新年からフールムにあるモートン宅とフログネルのアンネ・メッテのところに交互に住んでいる。彼は一人でその家にとどまり、アンネ・メッテはオスロの新しいフラットで生活を始めた。海沿いにあるその大きな家から、引越し後わずか2ヶ月ほどでアンネ・メッテは出ていったことになる。

2005-03-18 | Trackbacks [0] | EDIT

宣教師が非難の的になるのは不当だ <the NMS magazine 1995>

訳:Mayumi

「僕が子供の頃、一般的に宣教師が嫌われている時期があった。特に帝国主義について語るような(政治的に)左翼の人間にね。白人が犯したありとあらゆる過ちは、宣教師のせいにされたんだ。実際に起こったことへの大きな誤解だと思う」
アーティスト、モートン・ハルケットは語った。

モートン・ハルケットにとって、宣教活動はなじみの深いものだ。彼の育った家に置いてあった雑誌は、宣教師を非難するたぐいのものではなかった。
「僕の両親は、世界中で宣教師がどんな活動をしているのか、常に注目してきたし、家に宣教師たちがよく訪ねてきていた」
自分の能力や信ずることを天職にしている、ごく普通の人々との出会いだと、彼は説明する。
彼の家族からも何人か宣教活動にたずさわってきたし、今でもその一端として活動を続けている人もいる。彼は、宣教師が文化的な面の帝国主義者よばわりされていることを理解しているし、そのことを残念に思っている。
「問題なのは、僕らの文化や思想によってキリスト教がどのように影響されたか、という部分を直視しない人が多いことだと思う。それに残念ながら、常にはっきりとしたゴールがみえていない信者が多いと思う。ゴールではなくて、意味を考えるほうに気をとられているようだね。すべては自由のもとに行われなければならない。力ずくで人々の心を勝ち取ることはできない」
彼は、TVやラジオによる福音伝道は好きではないが、個人の集会は信じるという。
「福音(ゴスペル)は小人数で共有するべきだよ。小さいけれど、オープンな集会でね。(宣教は)1晩でできることではないよ。時間をかけておこなわれるプロセスだ。どんな場合でも、人の心に入りこむべきものなんだ。頭の中に侵入するのではなくてね。

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

放浪するモートン・ハルケット <Treff 1996>

訳:Mayumi

「信仰は心の葛藤であり、人生はとても大切なもの。でも長い目で見たゴールとは、永遠の命だ」
モートン・ハルケットはこう語った。彼はこれからエルサレムへ放浪の旅に出ようとしている。
イースター(復活祭)はとっくに過ぎたが、モートン・ハルケットはこれからエルサレムへ向かおうとしている。簡単な道のりではない。信仰もまた、葛藤である。
「心の葛藤はさまざまな方向をさしている。だからゴールをめざしてさすらうのは良いことだよ」
「ゴールとは何でしょう?『死』ですか?」
「死ではない。命はとても大切なもの。だからこそ命があることを実感することはとても大事なことだと思うよ」
モートン・ハルケットは丸い目がねをはずして、上を見上げた。彼は考え込んでいる。大切なものについて話し合うのは悪くない。
「一番大きな葛藤とは何でしょう?」
「遠い将来にあるものに左右されながら、毎日の生活を送るのは難しいね。一方では、今、この場所で生きていかなかなければいけないけれど、同時に長期的な前途について念頭におかなければならないのだから」
「長期的な前途とは、永遠の命のことですか?」
「その通りだよ」

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

真っ黒い悪魔の上で燃やされるキリスト <NettPuls PART 3 04/04/99>

訳:Mayumi

モートン・ハルケットと出会った人のほとんどが、彼はナイスガイだと言うだろう。名声が彼を何か別のものにしてしまっているのだ。「『世間』は『頭1つ出た』人間をいつでも嫌うものなんだよ」モートンはよく仰々しい発言をし、センセーショナルな結論を出すことになるのだが、それは他の人の出す結論とはまったく逆であることが多い。モートン自身は、音楽とは関係無いたくさんの重要な事項に対しても意見をした経験がある。例えば、彼のBellonaへの支援(ノルウェーの団体で、グリーンピースに似ている)は、ポップスターはまったく意味のあることを言うべきではないという概念とは対照的なものだ。それにも関わらず、モートンは、もちろん有名人としての顔がさらされることへの危険性が十分わかる知性を備えている。二重のモラルに対する反論は免れられまい。

「とても難しいことだよ。僕は、丘を登って「この丘は僕のものだ。僕が作ったんだ!」と言うことには大反対だよ。そういうことを言うとしたら、内部で働く機会が与えられたときだろうね。それだったら全て本当だからね。避けられるのなら、自分の顔は絶対に使うべきではない。この場合自体は、裏側の影響力でなければいけないね」とモートンは言う。

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

真っ黒い悪魔の上で燃やされるキリスト <NettPuls PART 2 10/03/99>

訳:Mayumi

「ポールとマグネは、僕が歌ったり実際に演奏するのを見る前からバンドに欲しがった。でかい態度と個性こそが全てだったんだ。最初、彼らは僕をドラマーとして欲しがった。ポールは、誰もボーカルに迎える気がなかった。同時に僕には、僕以外シンガーにはなれない、とわかっていた」ノルウェーで最も有名なスターであるモートンは、インタビューの第2部でそう語った。(この部分を)どこで読んだのか覚えておいてください。これから話が終わるまでかなりの長さを擁します。

ソルジャーブルー時代、モートンはマグネ・フルホルメンとポール・ワークターに出会った。1979年のことである。ポールとマグネにとっての初めての本格的なバンドであるブリッジスに、モートンは感心した。モートン、マグネ、ポールは3人のまったく違う個性である。しかし、お互い、大きな音楽的野心という共通点を見出した。

a-haは1982年の9月に誕生した。

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

真っ黒い悪魔の上で燃やされるキリスト <NettPuls PART 1 23/02/99>

訳:Mayumi

彼が、15年間ノルウェーでいちばん有名なポップアイドルであリ続けているのは間違い無い。Aquaのレーネは彼よりもアルバムをたくさん売ったが、彼女はこれとは別のカテゴリーに属する人である。a-haはかつて、そして現在でも(?)たいへん“素晴らしい”ポップバンドだ!a-haはカムバックを計画中と聞いているが、カムバック前の空いている時間に、彼は珍しくPULSのインタビューを受けた。みなさん、なんと彼は全部で2000万枚もアルバムを売った人物なのです!

幼少時代、モートン・ハルケットはエレクトリック・ギターの音を聞いたことはほとんどなかった。しかし、彼には鉄の意志があり、さらに並外れた適応能力を持っていた。ユーライア・ヒープの『Wonderworld(邦題:幻夢劇)』(1975年)のおかげで、モートンは救いようがないくらい音楽にのめりこんだ。そして、音楽の力で世界を変えられると信じるようになった。

「僕らは実際に演奏をすることが少なかった。もっぱら頭のなかでプレイしていたんだ」モートンは、音楽キャリアのスタートを切った頃をそう回想した。

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

母親としてのわたしの人生 <Elle 2000>

訳:Mayumi

“母親”という言葉を辞書で引いてみると、『出産した子供と関わっている女性』とあります。まだ子供を産んだことのない、女性であっても母親になったことがない人にとっては、母親の役割は少々ミステリアス。いろんな疑問が浮かびます。母親の役割ってみんなが言うとおりのものなの?本当に、みんなが信じている通りになるの?母親に‘なりたい’と最初からわかっている人もいるの?そ
れとも、自然のなりゆきでなるの?子供たちのことをこういう風に感じたり、考えなければならないというルールは存在するの?

Elle誌は、出産経験のある4人の女性をお招きして、出産、子供たち、そして母親とは何かということについて語ってもらいました。4人のお母さんたちの子供は、それぞれ違う年頃で、兄弟の数や性別もちがいます。そして、母親は結婚している人、離婚している人、別居中の人、恋人と同居中の人とさまざまです。4つのまったく違う‘母親’の話をお届けします。

名前: Camilla Malmquist Harket (35才)
キャリア: 女優/歌手
子供: Jacob(11才)、Jonathan(9才半)、Tomine(7才)
現在:子供たちとオスロに在住

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

カミーラ・マルムクヴィスト=ハルケットが語る真実 <Tique 1994>

インタビュー&文:Tone Tobianson 訳:Mayumi

彼女はラプンツェル(童話のお姫様)のように塔の中に腰掛け、長い髪を垂らしてモートンだけを待っていた。彼女は家庭に入り、メディアやカメラマンから遠ざかっていた。彼女の美しさと知性はモートンだけのものだった。そして今、彼女はあまり家に帰ってこない黒いベンツの騎士を待つのに飽き飽きしているという。彼は騎士?王子様?それともトロール?いったい誰にわかるのだろうか?

カミーラは外の世界へ出て、自らの権利のために戦おうとしている。

彼女の第一印象は華奢であるということだった。まるで風が吹けば飛んでいってしまいそうだ。モートンを一瞬にして惹きつけた、トレードマークである長い金色の髪が、彼女の華奢な体からかもし出すはかなげで今にも壊れてしまいそうな雰囲気をより強調している。彼女はまさに丘の上のお姫様のようだった。

そしてお姫様は待ち続けている…でもその姿にだまされてはいけない。この7年間、カミーラはアイドルである夫の影に隠れて生活してきた。しかし彼女自身の意思で、塔の中に閉じ篭りモートンのためだけに髪を垂らしていたのだ。

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

彼はまた戻ってきました! <Young Miss(ドイツ) 08/12/95>

訳:みこ

ノルウェーのバンドa-haのスター、モートン・ハルケットは、まるで地球上から消えてしまったかのようでした。今、新しいソロ・アルバム『Wild Seed』を携え、彼は戻ってきました。オラフ・ヴィーラーがモートンに、これまでの何ヶ月かの間、何をしていたのか聞きました。

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

a-haでの成功は耐えられないものになった <Het Nieuwsblad 27/09/95>

訳:みこ

「僕は全て窓から放り出した。本当に価値があるのか証明されないかぎり、何にも価値が無いように思えたんだ。何もかもが下に落ちていくのを見ていた。それから何か残ってないか見に行った。そうしたら、ギターが残っていたんだ」と、モートン・ハルケットは語る。a-haのヒット曲の歴史の中で、彼は作曲はしなかった。しかし、今では『Wild Seed』 のアルバム全部の曲を一人で作曲したのである。そうすることで彼は、a-haでの大成功の結果陥った暗い深みから、ようやく抜け出すことができたのだ。『Take on Me』(85年)や『The Sun Always Shines on TV』(86年)、『Stay On These Roads』(88年)のようなヒットシングルはモートン・ハルケットを幸せにはしてくれなかった。ポップスターであることも彼を幸せにはしてくれなかった。これは彼の再生の物語である。

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

詩を書けないシンガーと、歌を歌えない詩人 <Aftenposten 26/08/95>

訳:みこ

(このインタビューはノルウェー語記事をSabineさんが英訳したものを、さらに、みこが日本語に訳しました。英訳文中に一部、ノルウェー語のままの個所が残っていましたが、そこは日本語に訳していません。[ ]内の訳注はSabineさんの、文末の訳注はみこによるものです。)

モートン・ハルケットはこれまで作曲をしたことは無かった。Haavard Remはこれまで英語で詩を書いたことは無かった。しかし今、彼らはやり遂げた。その成果が二人のデビュー・アルバム、『Wild Seed』だ。

この共同作業は二人に強烈な印象を残した。

「僕らが初めて会ったのは、1992年のある冬の日の午後で、モートンの兄弟の家でだったよね」と、Haavard Remと話す。

「僕はそこにいた?」とモートンは確信が無い。

2000-05-10 | Trackbacks [0] | EDIT

イギリスでの行き詰まり <Arbeiderbladet 25/08/95>

訳&訳注:みこ

モートン・ハルケットのシングル『A Kind of Christmas Card』はノルウェーのチャートのトップに踊り出ました。しかし、かつてa-haが世界へはばたくきっかけとなったイギリスでは、ハルケットのソロ・デビューは行き詰まっています。

「今では、僕のレコード会社、ワーナー・ミュージックはこのシングルを引き上げて、次の『Spanish Steps』を出すつもりなんだ」。「それでも、他の国のチャートの上位を記録すれば、『A Kind of Christmas Card』をもう一度売り出す道が開けるかもしれない」と、モートン・ハルケット(35)は語ります。

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モートン・ハルケットに何が起こっても、a-haと言うだろうか? <by Michael Cable Daily Express 29/07/95>

訳:Mayumi

ポップスターの地位は、モートンを打ちのめしてしまったが、今、彼はソロ・アーティストとして成功を収めようとしている。

ロビー・ウィリアムズが重いプレッシャーによる苦痛を訴えてTake Thatを離れたように、そしてマット・ゴスがBrosの厳しい現実について告白したように、a-haのピンナップ・スターのモートン・ハルケットもまた、ティーンのスーパースターでいることは、常に素晴らしいわけではない、ということを証明した。

80年代後半に、ノルウェーのグループ、a-haは成功を極めたが、モートンは、トップアイドルとしての生活からくるプレッシャーで、肉体的にそして精神的にも参ってしまったという。

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単独での成長 モートンは新たなa-haのプロジェクトに向けて多くを学んだ <by Gro Rognmo VG 15/07/95>

訳:あきこ

モートン・ハルケットの、世界的に進出しつつある、ソロアーティストとしてのキャリアはa-haにも活用できるであろう。モートンは新たに多くの事を学んだのだ。

「1人になる事は、全くもってためになる事だと思う。このアルバム(Wild Seed)を作るのは、信じられないくらいのチャレンジでもあったし、教訓的な事でもあった。たくさんの事を学んだよ。彼らとの今後の共同作業に活かせる事も含めてね。彼らというのは、ポール・ワークターとマグネ・フルホルメンさ」
a-haは活動を休止する時期に来た。自然と彼らは休止中にそれぞれのプロジェクトに取り掛かった。

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