宣教師が非難の的になるのは不当だ <the NMS magazine 1995>
訳:Mayumi
「僕が子供の頃、一般的に宣教師が嫌われている時期があった。特に帝国主義について語るような(政治的に)左翼の人間にね。白人が犯したありとあらゆる過ちは、宣教師のせいにされたんだ。実際に起こったことへの大きな誤解だと思う」
アーティスト、モートン・ハルケットは語った。
モートン・ハルケットにとって、宣教活動はなじみの深いものだ。彼の育った家に置いてあった雑誌は、宣教師を非難するたぐいのものではなかった。
「僕の両親は、世界中で宣教師がどんな活動をしているのか、常に注目してきたし、家に宣教師たちがよく訪ねてきていた」
自分の能力や信ずることを天職にしている、ごく普通の人々との出会いだと、彼は説明する。
彼の家族からも何人か宣教活動にたずさわってきたし、今でもその一端として活動を続けている人もいる。彼は、宣教師が文化的な面の帝国主義者よばわりされていることを理解しているし、そのことを残念に思っている。
「問題なのは、僕らの文化や思想によってキリスト教がどのように影響されたか、という部分を直視しない人が多いことだと思う。それに残念ながら、常にはっきりとしたゴールがみえていない信者が多いと思う。ゴールではなくて、意味を考えるほうに気をとられているようだね。すべては自由のもとに行われなければならない。力ずくで人々の心を勝ち取ることはできない」
彼は、TVやラジオによる福音伝道は好きではないが、個人の集会は信じるという。
「福音(ゴスペル)は小人数で共有するべきだよ。小さいけれど、オープンな集会でね。(宣教は)1晩でできることではないよ。時間をかけておこなわれるプロセスだ。どんな場合でも、人の心に入りこむべきものなんだ。頭の中に侵入するのではなくてね。
「NMS(ノルウェー・宣教師組合)のような団体の宣伝のやり方についてどう思われますか」
「メディアとくっついてしまうべきではないと思う。(うまくいったとしても)短期的な成功でしかないと思んだ。成功するためには、底辺から築いていくしかないと思うんだ。実際に人々と会って話をすることで伝道できれば良いと思う」
なじみ深い典礼:
モートン・ハルケットは、ポップグループ、a-haのボーカリストとして最も有名だろう。a-haは80年代半ばに、諸外国で占められていたミュージック・シーンにノルウェーを紹介したバンドである。今春、最初のソロ・アルバムと共に、モートン・ハルケットの名前が、再び話題にのぼることになりそうだ。
(Ragnar)Bjerkreimによるコンサート・ミサ曲集の「Missa Caritatis」が2月22日に発売された。モートン・ハルケットは、ソロシンガーとして、ソプラノのBodil Arnesenと共に参加している。
「このアルバムに参加することにした理由は、Ragnarがやろうとしていることが、僕にとっても大切な基準にもとづいたものだったからだ」
映画 “Kamilla of Tyven”の撮影中に、モートン・ハルケットはサウンド・トラックの作曲を手がけたRagnar Bjerkreimと音楽的な出会いをした。Bjerkreimは朝の礼拝(典礼)の歌詞を元に、コンサート・ミサ曲を書き上げた。典礼はモートン・ハルケットにとって、なじみ深い儀式である。
「青春時代、よく教会へ足を運んだんだ。典礼は、教会にかかわって育ってきた人間には理解できるものだと思う。教会とまったく関係ない人にはいかがわしいものにしか見えないだろうね。そういう人たちは典礼に関心を示さないことが多いけど、内側から(典礼とはなにか)理解していないからだろうね。
破滅が好き:
レコード会社、Kirkelig Kulturverkstedから『Poetenes Evangelium』が発売されたのは1993年だった。モートン・ハルケットの声と歌い方は、このアルバムのムードをかもし出す非常に大切な部分となっている。『Poetenes Evangelium』と『Missa Caritatis』は、明らかに、キリスト教の思想と信仰に関係している作品だ。
「これらのアルバム制作に参加するようになった動機はなんですか?」
「僕のキリスト教信仰と直接関係しているからではなくて、まったく初めて僕の声が楽器として使われることになったからなんだ。まあ、僕はたまたま信者だけど、信者でなかったとしても、僕の声が作品の中で重要な楽器であることはかわりないよ」
「(これらの作品に参加したことで)a-haやあなたのソロ・キャリアを破滅させる恐れはありますか?」
「僕にわかることで一番良いのは破滅するっていうことだよ。Poetenes Evangeliumは僕のキャリアでハイライトのひとつだと思う。プレスのレビューが悪くなかったから、そう言っているわけではないよ。このアルバムが僕や、リスナーにくれたものはなにか、よくわかっているつもりだ。僕自身、これほどありのままのものに取り組んだことはなかった。自分の声と直感を駆使して、よく理
解していなかった歌詞の内容と向き合った。良い音楽的な経験になったし、こういった情況ですごく緊張感があったよ。
※H+D MLにポストされたモノを翻訳しました。(転載許可確認済)
元記事:Ranveig Ronningen、英訳:Jakob Sekse
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