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モートン・ハルケットに何が起こっても、a-haと言うだろうか? <by Michael Cable Daily Express 29/07/95>

訳:Mayumi

ポップスターの地位は、モートンを打ちのめしてしまったが、今、彼はソロ・アーティストとして成功を収めようとしている。

ロビー・ウィリアムズが重いプレッシャーによる苦痛を訴えてTake Thatを離れたように、そしてマット・ゴスがBrosの厳しい現実について告白したように、a-haのピンナップ・スターのモートン・ハルケットもまた、ティーンのスーパースターでいることは、常に素晴らしいわけではない、ということを証明した。

80年代後半に、ノルウェーのグループ、a-haは成功を極めたが、モートンは、トップアイドルとしての生活からくるプレッシャーで、肉体的にそして精神的にも参ってしまったという。

「全てに疲れ果てた状態に陥ってしまったんだ」とモートンは当時を振り返る。「僕の体は腫れ物だらけになってしまった。味覚がまったく無くなってしまい、色盲になってしまった。全て無味乾燥になってしまい、まるで自分が灰皿になってしまったみたいだった。まるで96歳の老人になったように感じて、生きていくのが嫌になってしまった」

「世間やマスコミの要求に殺されかねなかった。エルビス(プレスリー)もこれに殺されてしまったんだ。自分でコントロールする方法がわからなかったり、そこから離れるタイミングを知らなかったら、いずれだめになってしまう。過労で倒れることで、自分自身を正常な状態に戻す必要があった」

a-haは立て続けに8枚のシングルをトップテンに送りこんだが、それから7年経った今姿を見せることは無く、(活動停止は)永久的なものになってしまったようだ。モートンは35歳になり、すっかり生気を取り戻した今、ソロアーティストとして喧騒のポップビジネスへ返り咲こうとしている。

ファーストシングルの『A Kind of Christmas Card』とソロデビューアルバム『Wild Seed』をリリースする準備をしているが、モートン自身、a-haと同じレベルの商業的成功を望むのは難しいことを十分承知しているようだ。

「(商業的な成功については)心配していないんだ。a-haと同じレベルの成功を望んで、プレッシャーを感じているわけではないからね。競争したり比べることにまったく興味は無い。このアルバムが、(アーティストとして)今後も続けていける程度に成功してくれたらそれで満足だよ」

モートンは、『Take On Me』や『The Sun Always Shines on TV』がヒットした当時のa-haが経験した狂乱状態を再び経験することを望んでいない。

スターになることは、モートンにとって17歳の頃からの夢だった。そして、8年後のある日突然その夢がかなうことになった。1985年にファーストシングルの『Take On Me』が世界中で大ヒットしたのだ。モートンと、バンド仲間のポール・ワークター、マグス・フルホルメンは、早くからスターの現実に幻滅することになった。

「どこへ行っても、ものすごい美人が僕の足元にひれふしたものだよ。だけど、それに便乗したことはなかった。それでは簡単すぎるよ。僕はいつでも自分で追いかけて獲物を捕らえるほうが魅力的だと考えていた。だから、小鳥たちを簡単に手に入れることはしなかった。胸をはって言えるよ」

現在、モートンはスウェーデン人女優のカミーラと結婚していており、上は6歳から下は2歳まで3人の子供がいる。「はじめは、世間の注目やら成功を楽しんでいた。楽しかったし、素晴らしい時もあったんだ。だけど、成功するためだけに働いていたことはなかった。僕らにとって、音楽が重要なものだった。(音楽的に)成長することを許されないのがとても悲しかった。たくさんの人に依存されるようになって、a-haは、ハンバーガーみたいにレコードを大量生産するポップミュージックの工場に成り果ててしまったんだ」

「スターの座にいたときは公共物として、世間が思いこんでいるような有名人としての行動を求められた。3年後には、もう十分だと思ったよ」

ファンの目から逃れるためにアマゾン旅行に出たが、そのとき起こった事件は、ついにモートンの忍耐の限界を超えてしまった。

「人里離れた小さな集落にある小ぢんまりとした宿屋に泊まっていたんだ。」モートンは思い出を語る。「インディアンの村へ向かうためにカヌーで川上へ向かった。宿に戻ったとき、すでにそこは人があふれれかえっていて、僕の周りはすっかり混乱状態さ。川からその様子をみるまでもなく、何が起こっているのか、感づいていた。その頃には、そういうことを嗅ぎ分ける六感がだいぶ発達していたんだ」

「完璧に妄想症にかかったようだった。だけどすべて現実に起こったんだ。それが僕を打ちのめしたんだ。その後、僕は意識を失って倒れてしまった。僕が過労でブレークダウンの状態になったとき、人々は僕を閉鎖的な人間だと言い始めたんだ」

「3枚のマルチ・ミリオンセールスを記録したアルバムと、2回にわたるワールドツアーの後に起こった出来事は、a-haの終焉を示すきっかけとなった。その後、チャートの記録は下降する一方だった。しかし、その後も南アメリカでは注目を集めた。

1991年に、モートンは、ロック・イン・リオ・フェスティバルで、20万人もの観客の前で歌った。その日のことを、彼はこう語っている。「僕らのことを12時間も待ちつづけてくれた、ものすごい数の群衆の前でステージに立った時、僕は何も感じなかった。自問したよ。『一体何が欲しいって言うんだ。これ以上のものは絶対に望めないのに』とね」

モートンは、一からやりなおすことを決意した。しかし、フォトセッションのカメラの前では、胸をあわらにして立っている。彼がそうすることでソロ・キャリアの成功を助けるのを望んでいるとしたら、アイドル時代と何が変わったというのだろうか。

「まず、自分で曲を書いたんだ。a-haではやったことがなかったよ」モートンは、誇らしげに語った。

「ボスニアと、ティモールの政治的な状況に影響された曲を書いた。その曲には強い思い入れがあるんだ。それからサンセット大通りの23歳の売春婦についての曲もある。ヒュー・グラントの売春事件の前に書いたものだ」

a-haから自由になって、人生の展望がすっかり変わったと言う。それゆえ、肌を見せたピンナップ用のポーズを取ることへも問題は無いという。

「あまり神経を尖らせないことを学んだんだ。自分の見た目がいいとは思わないよ。だけど、(プロモーションのための撮影などに)周りと調子を合わせることを学んだ。他の人が望むのだったら、そうさせてあげるさ」

モートンとカミーラは、ハンプシャー(イギリス)、スウェーデン、ノルウェーにある家に生活の場を振り分けているが、近々スカンディナビアに永住することを考えている。3人の子供たちと共にモートンが幸せで安定した家庭を築いているからこそ、すぐ答えが出たのだろう。

「3人の子供がいるからといって、単純に幸せとは限らない。そういう考え方を止めなければならないよ。今の僕に必要な無秩序のうちの一部分だよ」
もっと子供が欲しいかと尋ねるとこんな答えが返ってきた。
「わからないよ。誰と子供を作るかなんてわからないし、知りたくないし、答えを決めたくない。別に無差別に乱交をしたいというわけじゃないよ。そんなことには魅力を感じない。それと同時に、実際世界中のどの女性の上にもまたがれる気分にもなるんだ。僕は性的欲求がとても強い。どの男性よりも強いと思うよ」

そういうことは、奥さんの耳にはあまり心地よくないのでは
「ああ、彼女は僕がこういうことを言っても気にしないよ。実際に行動にうつしたら気にするだろうけれどね」

「自分の人生を思い切り生きたい。だけどそれはあちこちでセックスすることを言っているのではないよ。たくさんの女性にその気にさせられるけれどね」

それではどうやって自分の欲求をコントロールしているのだろうか?
モートンは笑って答えた。「彼女たちのベッドルームの壁から、見つめるだけで我慢できるよ」

2000-05-10 | EDIT
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