人権活動−99
モートンとマグスは、Worldview Rights(Worldview Rights は、メディアとコミュニケーションを使って民主主義と人権を促進する独立組織)のアーティストです>写真と言葉(英語サイト)
"Worldview is a true face in a world of faceless television." by Morten
1999/04/11
スーパー・デュオ、コソボのために歌う (記事:モートン・OE・カールセン 訳:kyebi)
モートン・ハルケットとエスペン・リンド、ノルウェー最高のミュージック・スターの二人は、私たちの新しいスーパー・デュオだ。今夜彼らは、バルカン半島の戦争犠牲者のためデュエットを歌う。
(写真下の文章)
一緒にプレイ:今夜TV2にスター・デュオがやってくる。モートン・ハルケットとエスペン・リンドは、TV局の『救援』募金運動でレオナルド・コーエンの『ハレルヤ』を演奏する。写真:トロン・ソルベルグ
VGは昨夜、オスロのニィダーレンにあるTV2のオフィスで二人のアーティストに独占取材した。そこで、彼らはTV2の今夜のTV『救援』運動のため一時間近く練習していたのだ。
「僕らは二人ともTV局から番組出演の依頼があったんだけど、僕は何か特別なことをやりたいと言ったんだ。で、僕とモートンで何か一緒に出来ないか(TV2に)聞いてみたんだ」とエスペン・リンドはVGに語る。
とても満足
TV2は、月曜のTV局のヘッドラインで、バルカン半島の戦争犠牲者支援の番組をダイレクト放送する企画していた。エスペン・リンドとモートン・ハルケットをなんとか出演させようという企画は、すぐに持ち上がったが、彼らが一緒に何かをしようとしていると知った週末までTV局側は(二人の出演を)決定していなかった。
モートン・ハルケットは、エスペン・ランドとのコラボレーションにとても満足しているという。
「僕らはお互い以前から何度も顔を合わせてるんだ。だからエスペンが今回一緒にプレイしようと声をかけてくれた時、僕はすごくいいアイディアだと思った」とハルケットはVGに語る。
エスペン・リンドは、一人でプレイする気持ちになれなかったため、イニシアチブを取ったという。
「(インタビュアーに向けて)君がアーティストでチャリティー番組でプレイをしたら、いかにも不自然。だから僕はモートンと何かやりたいと言い出したんだ」とリンド。
くつろいで
今夜彼らが一緒に歌うのは、レナード・コーエンの曲『ハレルヤ』。二人で歌い、エスペン・リンドはクラシック・ギターを弾く。
VGは、昨夜から二人のリハーサルの全てと、互いのレコード会社でくつろいでいるところを取材した。
二人がリハーサルに満足したという話の後の質問で、ハルケットは次のように答えた。
「はっきりしてるよ。他に言いようがない」と、ハルケットは、コソボで起こっていることについて、力強い意見を持つリンドにならって言った。しかし、アーティストとして、彼は今回の紛争についてのコメントは慎みたいと思っている。
「僕は、明確なことを主張するアーティストには少しは反応して見せるよ。こうした問題で、僕らは主張しなければならない人々の前では頻繁に行動を起こす。でも、全ての戦争が残酷なジレンマ(板ばさみ)の状態なのは疑いようもないことだ。戦争を選んだ彼らは、難しい選択をしてしまった」とハルケットは語った。
From VG(写真付き)
1999/09/07
1999年9月7日火曜、NRK TV モーニング・ニュース(Morgen-nytt) (訳:Mayumi)
Erik Wold(EW)とArnhild Myklebust Eggen(AME)がインタビューをしました。
AME:モートン、ようこそ!
モートン:ありがとう。
AWE:グッドモーニングでもありますね。
モートン:君にもグッドモーニング。
AME:この質問はこの時間帯にふさわしいと思います。東ティモール紛争についてですが、あなたもこの問題に関心を寄せていましたね。現在ではどんな状況になっているのかわかりませんが、(あなたの側から)あまり話題に上りませんね?
モートン:最近は、という意味?うーん、全て(僕側の関わりという意味では)いろんなことを言ってきたつもりだよ。だけどノーベル平和賞(1996年)のあたりか、その少し前、丁度事件が起こりそうになっていた頃身を引いたんだ。モチベーションは…東チモール問題に関わるようになった理由は、今現在も変わらないよ。かの地で起こっていることや70年代の中ごろから起こりつづけたことにとても怒りを覚えたんだ。
AME:後にもっとそのことについて語るチャンスはあると思いますが、あなたが関わってきたことに対して聞きたいです。
モートン:どういうこと?
AME:…(東ティモールへの)関わりから身を引いたのでしょうか…それとも目に見える役割から身を引いたのですか?…
モートン:そうだよ、それが僕が言っていることなんだ。20年以上もティモールの人々の運命は西側の人間にとって問題にされなかった。西側の政治家は気がついてはいたんだけど、世間の多くは気付いていなかったし、メディアに取り上げられることも無かった。ようやく93年に初めて数回(問題として取り上げられる)兆候が見られた。だけど、今僕らが目撃していることは25年も前から起こっていたんだ。今日起こっていることは、東ティモールの人々にとって新しいことではないんだよ。
AME:しかしあの当時あなたは目に見える関わり方をしていました。その後、あなたから東ティモール問題についてあまり聞かなくなってしまいましたね。
モートン:なぜかというと…僕は僕にできることをしようとしているからなんだ。(当時は)世間に広めるために何かしらのロビー活動が必要だった。今では僕にできることはそれほどないんだ。
EW:それではこれに関わることでもっとアルバムを売ろうしたり、あなたはモートン・ハルケットだからやったということではないのですね。
モートン:全く違うよ!そんなことは望んでいないよ!
EW:もしかすると、ノーベル平和賞受賞者より目立つことは望まないということですね?
モートン:目立つことを?有名人がこういうことに関わると、メディアは理性的に扱ってくれないんだ。根拠がないことが持ち出されて、僕が良心から活動しているという観点を超えてしまう。そして注目の焦点は、実際起こっていることではなくて、僕個人へ向けられてしまうんだ。関わっている人は誰もそんなことに興味ないよ。
EW:しかし、教えてください。東ティモールはとても遠いところですよね。われわれには現在ニュースでたくさん伝えられています。何度かよく聞かされる時期がありました。例えば、ノーベル平和賞の時期、そしてあなた自身が関わっていることで報道されたこともありました。あなた自身が東ティモール問題について知るきっかけは何だったのでしょうか?
モートン:(ある人から)コンタクトされたんだ…93年の初めに、音楽関係でモンテカルロにいた。そこで、人権問題について詳しいカナダ人の大学教授からのコンタクトだった。彼女は東ティモールに長年手をさしのべてきた。そして行き詰まりを感じていたんだ。世界中の国際政治家にあたってもどこも扉を開けてくれなかった。そして最後の手段としてアーティストや俳優にアプローチを始めたんだ。
AME:彼女も多少ロビー活動をしていたのですね。あなたが後にやったように?
モートン:そうだね、まったくその通り。彼女にとっては不慣れなやりかただったけれど、運動をはじめたんだ。それによって東ティモール情勢に気付かされたけれど、そのときの僕にはできない相談だった。ティモールの状態については学習したけれど、手だしをしないでおくことにした。そして、帰ってからいろいろ調査を始めた…。その後僕も関わるようになったんだよ。
AME:最後に東ティモールを訪れたのはいつですか?
モートン:行ったことはないよ。
AME:一度も行ったことが無いんですか?
EW:行ったことないのですか???てっきり行ったことがあると思っていましたよ!行ったことがあるのだと思いこんでいました。
モートン:うーん…そう思うのは…なんでそう思ったの?
EW:ええと、遥か彼方で起こっていることへ関わっているいうことで、どうしてそんなに遠くで起こっていることに関わることができるのかと思ったからです。
モートン:現地に行くことは問題はないよ。個人的にね。だけど行ったからといって何も変えられるわけではない。そこで監視する役目すら果たすことができないよ。むしろ他の人の方が何かできるだろうから、(行った行かないは)大して関係ないと思う。国際的なキャンペーンが計画されていたから僕らも実際行ったように思われているのかもしれないね…。ティモールへ実際に行っても…何が起こっているのか知るために現地へ行く必要はないんだ。侵略が始まって以来、僕らの政治家たちがいつでも見られるように、情報はたくさんあるんだからね。
AME:現地に友達や仲間はいますか?
モートン:しばらく活動しているともちろん知り合うことになるよ。なんといっても一番は(ノーベル平和賞受賞者の)ホルタ自身だよ。彼とは一番コンタクトを取った。(これに関して)仕事をしている間それとも仕事になったことをしているというべきか…北欧人の視点から見た東ティモールについてドキュメンタリーを制作しようという役目を引きうけた。(この問題について)西側の人間がどれだけ無関心でいるのかというのを見るのは興味深いよ。
EW:ドキュメンタリーを製作しようとしていたということですが、結果は何もできなかったのですか?
モートン:むろん、ドキュメンタリーは作ったよ。だけど、僕の役割はむしろ末端の部分だった。自分にできるだけのことはしたつもりだけど、メインの仕事は他の人たちがやった…重要な部分はほとんどね。その後、仕事のひとつとしてティモールから来た難民に取材するためにポルトガルへ行ったんだ。そして人々と知り合った。
EW:現在どんなことをしていますか?今はここで、東ティモールについて話をしてもらっていますね。この場で再び、世間に向かってあなたの関わりについてお話頂いたわけですが、すでに東ティモールの情勢に対して具体的なプランはありますか?
モートン:うーん、今僕ができることはあまりないんだ。自分の目で見た現実に怒りを感じるくらいだよ。僕は…、ティモールの歴史について知っているし、今起こっていることは僕にとって新しいことではないんだ。今変わったことは、西側の人間が監視している事実にも関わらず、西側諸国全体がそこで起こっていることを目撃しているのにも関わらず、インドネシアは同じことをやりつづけているということだ。以前は…ノーベル賞まで、他の国々は注意を払ってこなかった。そして今、何百人も殺されているというニュースが入ってくる。すでに何十万もの人々が殺されているのだから、全く新しい事件ではないんだ!
AME:長い間、起こっていたのですね。
モートン:そう、長い間ね。25年間もね。
AME:怒りを覚える以外に、あなたができることはあまりないとおっしゃいましたね。だけど、まだ(悲劇が)起こっているときにあなたがこれからすることはありますか?
モートン:この場でそのことを話すことによって、できるなら…僕はこの件から身を引いている(過去3年間)。なぜかというと、僕は活動の表看板になりたくないんだ。それは正しいことではないよ。
EW:しかし、われわれノルウェー人として、どうしたらよいのでしょう?資金を集めたらいいのか、それとも現地に軍隊を送りこむべきでしょうか?国としてどうするべきでしょう?
モートン:国として?政治家たちがという意味?まず最初に僕らは国連の活動的なメンバーにならなければならない。そして国連ができるだけ強力に反応するか確かめなければね。問題は、国連が軍事力でなければならないかということだね。
EW:Volleb'k(ノルウェーの外務大臣)が昨日、国際的な軍隊を送りこむべきだと話していましたね。
モートン:インドネシアが本当のことを言っているのだったら、彼らは国連の軍隊を迎え入れるべきだね。彼らは明かに法と秩序を保つことができないんだからね。東ティモール情勢に多少詳しい何人かの人々によると、インドネシアは現在われわれが目撃していることとは違うものを求めているということだったけれどね。
AME:最近ホルタと連絡を取りましたか?
モートン:いや、最近は連絡とってないよ。彼の邪魔はしたくないからね。その必要もないし…。
EW:今日は来てくれてありがとう。最近は他の活動もしていますね。新しいアルバムをレコーディングしているということですが、リリースするまで話したくないそうですね。
モートン:この話題とは関係ないからね。
EW:だめですか?
モートン:だめだよ。
EW:ありがとうございました。モートン・ハルケットでした。
(転載許可確認済)英訳&書き起こし:Jakob Sekse From memorialbeach.com
1999/09/08
ノルウェーで放送された『God Kveld Norge』という番組で、モートンは新曲を歌いました。その曲は、1997年にボルネオでホーバート・ラムと共に書いたものでタイトルは未定。歌詞は、
You know I always had the strength to fight
But I could tired of the wars at night
Thinking they would end if I gave in
But I wasn't strong enough
To let you win 〜♪
そう、a-haの6枚目のアルバムに収録されている to let you win です。
1999/09/16
ノルウェーは手を血に染めている (記事:トミー・フォッスム 訳:kyebi)
モートン・ハルケット(40)は、ノルウェーは威信にかけて東ティモールの悲劇に対する自らの役割を模索するべきだと述べた。今日彼は、インドネシア大使館の前でデモを行うことで、ジェノサイド(集団殺害)に対する憎悪をあらわにした。
「ノルウェーは手を血に染めている」と、ハルケットは言う。
「東ティモールの悲劇は、ノルウェーやその他の西側諸国間の問題ではないと考えられてきた。ノルウェーは、世界的にもっとも高い人類価値を持った民主主義国家なのに、ジェノサイド(集団殺害)には目をつむっている。今後、僕らがこの国で実際に何を信じるか、再びはっきりさせなければならない」と、ボーカリストはダーグブラーデ紙に語った。
今日ハルケットは、オスロにあるインドネシア大使館の前で行われるノルウェー・アムネスティ・インターナショナルのデモに参加する。ここで、a-haのボーカリストも訴えを主張する。
調査するべきこと
モートン・ハルケットは、現在東ティモールで起こっていることを強く訴えている。彼が失望しているのは、ノルウェーと西側諸国が、25年もの間(続いている)残忍な侵略を認識していたということだ。
ハルケット自身、東ティモール住民に対するインドネシアの弾圧に対し、長年情熱を注いできた。今日は東ティモールの誰もが発言する機会を得たのだ。
ハルケットは、東ティモールの悲劇に関して調査すべきことはたくさんあるという。それはインドネシアからの窃盗による殺人犯だけでなく、政治家およびその他母国ノルウェーについてだという。
「国民は、ノルウェーがどれだけの政策を怠っているのか知るべきだ。ノルウェーや他の西側諸国の支援なくして、インドネシアが今日のようなモンスターに成長するわけないんだから。このことは、政治的終局を迎えるべきだと思う」とハルケット。
憤り
ハルケットは、1993年に東ティモール住民に対するインドネシアの弾圧を知った。カナダの人類学教授、モーリーン・デーヴィスはハルケットにコンタクトをとり、悲惨な歴史を伝える書物の多くを彼に薦めた。彼はそれらを読んで、憤りを覚えた。
1996年にカルロス・ベロとホセ・ラモス・ホルタが東ティモールの人々への弾圧と戦った(功績から)ノーベル平和賞を受賞し、東ティモールに関する公式宣言の採択がなされたにも関わらず、今日彼はデモを行おうというのだ。
「僕らが自分の国の政治に対してあれこれ批判することなんて、根が深い性質の弾圧的国家権力に比べたらたいしたことじゃない。自分たちが行動し、自分たちに干渉することなんだから」
(写真下の文)抗議デモ:モートン・ハルケットは長年、インドネシアによる東ティモール住民への弾圧反対の活動に関わっている。写真:ヘイコ・ユンゲ
From Dagbladet(写真付き)
人殺しは自らの報いを受けるべきだ (記事:トーニェ・メレーテ・ヴィーケン 訳:kyebi)
今日モートン・ハルケットは、インドネシア大使館の前で、アムネスティの抗議を支持するためデモに参加した。彼は長年、東ティモールの命運に関わる熱心な活動をしてきた。「人殺しは自らの報いを受けるべきだ」とハルケットは言う。
活動家、ジャーナリスト、そして少数のファンたちが、大使館建物の前でハルケットの主張を聞くために今日インドネシア大使館に集まった。
「チャンスだったんだ」とハルケットはネット上でダーグブラーデ紙に語った。
デモは、東ティモールのジェノサイド(大量虐殺)に対するインドネシア大使館への抗議文書を通したいアムネスティ側が準備したものだった。
迅速な対応
ハルケットは訴えを主張するために一日デモに参加した。彼は長年東ティモールの運命にかかわる活動をしてきたのだ。1993年、彼は東ティモール問題への支持を得るため、ノルウェー外務省との会合で、ノーベル平和賞受賞者のホセ・ラモス・ホルタと知り合う。
─ハビビとアラタス─お前たちはもう諦める時だ、と大使館の閉ざされた扉の前でアムネスティの活動家が叫んだ。しばらくして、2階の窓の一つが片手でバタンと大きく開かれた(のが見えた)が、デモの間誰一人として姿を現さなかった。
西側のモンスター
「僕らが見ているのは、自分たちのモンスターだ」と、ハルケット。
彼は、インドネシア政府に充分な経済的・軍事的支援をしようという西側(諸国)を非難している。
「東ティモールは自由を取り戻すべきだし、人殺しは自らの報いを受けるべきだ」
穏やかな口調だったが、ハルケットはやはりデモは有益だという。
「僕がここで耳を貸さない人間に向けて訴えていれば、このことがノルウェーの権威に立ち向かうための指標になる。でも、まったくゾッとするね。民主主義国家になるには、こうしたデモが必要不可欠だと言われているんだから」と、ハルケットは語った。
(写真下のコメント)力強いメッセージ:「人殺しは自らの報いを受けるべきだ」と、モートン・ハルケットは今日インドネシア大使館前で訴えた。写真:トーニェ・メレーテ・ヴィーケン
(記事右側の文章「FOELG SAKEN(問題情勢)」)
東ティモールの大虐殺
今年8月30日ティモールで、地方自治体(制)か1975年東ティモールを侵略したインドネシアからの完全なる独立かを選ぶ住民投票が行われた。78.5%の有権者が独立に票を投じた。
インドネシア市民軍勢は住民投票を否認、東ティモールをインドネシア統治下に置こうと戦闘を続けた。住民投票の結果、インドネシア市民軍勢は数え切れないほどの人々を殺し、10万人が紛争によって殺害された。解放運動では、インドネシアが大量虐殺を傍観できぬよう、東ティモールが立証不可能な暴力に屈することのないよう宣言がなされた。
9月12日、インドネシア大統領ハビビは、国連による多国籍軍の介入に同意した。情勢はなおも緊迫。インドネシア市民軍勢はオーストラリア率いる多国籍軍に武力で対抗している。
From Dagbladet(写真付き)
1999/12/25
ノルウェーで放送した『モートン・ハルケット:私のクリスマス』というドキュメンタリー番組で、モートンは1999年終わりに訪問した、東ティモール、ビルマの話をしました。
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