カーネギー芸術賞のエキシビション−01/12/01
今晩早く、モートンはオスロのKunstnernes Husでのプライベートパーティでとても驚くようなパフォーマンスをしました。彼がマイクを取りクィーンのカルト人物フレディ・マーキュリーによる曲を歌った時、モートンの登場は明らかにカーネギー芸術賞のエキシビションのグランド・オープニングのクライマックスとなっていました。
カーネギー芸術賞は北欧のアートを支援、激励するために作られた有名な賞です。HRH Haakon Magnus皇太子が出席により開会の名誉を与えられ、公式開会のテープを切りました。
セレモニー:
16時45分、Kunstnernes Hus(House of Artists)の入り口の前に赤のカーペットが敷かれました。建物の外には花が芸術的にアレンジされていて、松明に火が点りました。芸術界からの人々と同様に上流社会からの著名なゲストもいるオーディエンスが、ワインを片手に入場しました。期待の雰囲気と、階段を上る高価な芳香の微かなとばりがありました。
15時ぴったりに黒く輝く車が建物の前に停まり、HRH Haakon Magnus皇太子が現れ、赤のカーペットの上を歩きました。
ノルウェーの審査員メンバーであるAmund Thorkildsenがエキシビションを紹介する前に、Kunstnernes Husとカーネギー芸術賞の代表が皆に歓迎の挨拶をしました。ノルウェーの芸術家たちがステージに上がり、花束と拍手喝采を受けました。HRH Haakon Magnus皇太子がセレモニーの赤い紐を切ると、今晩のサプライズ・タイム、モートンによるパフォーマンスが発表され、誰もが明らかに嬉しそうでした。
モートンはピアノ奏者と3人のバック・ヴォーカリストと共にステージに現れ、オーディエンスにこの晩のための彼の計画について語り始めました。
「僕がここで歌う申し出を受けたのは、芸術界の重要な機会だからです。しかしイエスと返事をした時、何を歌うかは決めていませんでした。今年の秋はとても忙しく、時間は瞬く間に過ぎ去り、気が付いた時には後2週間でした。まだ何をやるか分からなかったので、マグネにこの話をして言いました。『キミは芸術関係の仕事をしているから、今回のオーディエンスはキミと関係のある人々だろう。何をやったら良いか決めてくれよ』『ちょっと考えさせて』とマグネは答えました。ある晩、真夜中に電話をしてきて、彼はこう言いました。『そういう威厳あるオーディエンスの前では、キッチュなものから何か選んだ方が良い。それだけの価値がある。クィーンから何か歌えよ』とマグネは言いました。そんな訳で僕が何を歌うかを決めました。フレディ・マーキュリーが亡くなってから10年になります、これは彼への敬意の気持ちでもあります」とモートンは彼のスピーチを終えました。
おそらくホールはある期待でいっぱいだったでしょう。フレディ・マーキュリーを聞いたことのある誰もが何故かを理解しています…。
モートンはクィーンの『Killer Queen』と『Love of my Life』という2曲を歌いました。
パフォーマンスはオーディエンスにとても好評で、技術面の責任者だったa-haのレギュラーサウンドエンジニア、Sven Perssonは全てが終了した時、太陽のように微笑んでいました。
バックステージ:
ショーの後、ミュージシャン達は数人の親しい友人と一緒にバックステージに集まりました。私たちはモートンに、クィーンの音楽との関わりについて尋ねました。
モートンは16〜17歳の頃、フレディ・マーキュリーの大ファンだったと説明しました。
「フレディ・マーキュリーは僕の声の開発にとても影響を与えたんだ。彼の表現力豊かな歌い方は、僕にはとても魅力的で、自分の声を探求し続けるように僕を励ましてくれた」
「まだクィーンのアルバムを聞いていますか?」と私たちは尋ねました。
「全然どんな音楽も聞いてない」とモートン。
「多分それがa-haの歌詞を思い出せない理由ですね」とa-haネットワークの常務取締役であるSverre Flatbyがさらっと言うと、誰もが(モートンも一緒に)大笑いしました。
「ほんと、冗談は抜きにして、音楽は十分すぎるほど聞いちゃったから、むしろトラックが通り過ぎるのを聞きたいね」
今夜モートンと一緒にパフォーマンスをしたミュージシャン達が、特別にこの場に集められました。
Marian Lisland、Kristin F. PedersenとMarianne Bondevikは、有名なオスロ福音聖歌隊にいた経歴を持つフリーランスのヴォーカリストです。ピアノの後にいるのはOyvind Kristiansen、ミュージシャンでありプロデューサー、CarolaとD'Soundと一緒に仕事をしたこともあります。
モートンは続けて、バック・ヴォーカリスト達を称賛しました。「フレディ・マーキュリーをやる何が大変って、歌う時に非常に正確に、絶対にちょっとの誤差も許されないということだね。これくらい近くないといけないんだよ」とモートンは言い、2本の指(※親指と人差し指?)をきつく押しつけて見せました。「オーディエンスに薬を盛るか、非常に優れたバック・ヴォーカリスト達と一緒するかの2つに1つだね」とモートンは彼女たちを誉めました。
「本当にとっても信じられないくらい楽しかったわ」と彼女たちは笑いました。「そうだね」とモートンは同意しました。
カーネギー芸術賞2001:
カーネギー芸術賞は、北欧の熟練した芸術家たちのサポートと、現代絵画促進のために設立されました。この例年行事は1998年の秋に始まり、3部構成になっています。選ばれた作品の巡回エキシビション、本の形でのエキシビション資料、そして参加芸術家のうち4人への賞。
今年の優勝者は、スウェーデンのJan Hafstrimでした。『通告者』は彼の絵画の1つです。
毎年北欧の現代絵画の30人のエキスパートが各々、この名誉に5人までの才能ある芸術家達をノミネートします。エキスパートの中には、美術館、美術学校の代表の他、批評家、北欧の芸術の他のスペシャリストがいます。
カーネギー芸術賞は北欧の市民か、居住者である芸術家達が対象です。ノミネートされた全ての芸術家達がカーネギー芸術賞への5作品までの寄与を依頼されました。2001年は119名の芸術家がノミネートされ、22名の芸術家が最終的に今年のエキシビションでの展示に選ばれました。
エキシビション:
エキシビションはIshoj/コペンハーゲンにある現代芸術のためのARKENミュージアムで、11月4日に始まりました。デンマークの妃殿下アレクサンドラ王女がエキシビションを開会し、受賞者に賞を与えました。一等賞はスウェーデンのJan Hafstrimで、SEK 500,000を受け取りました。他の受賞者は、フィンランドのCarolus Enckell(SEK 300,000)、フィンランドのJohan Scott(SEK 200,000) 、そして最後にスウェーデンのJens Fangeで、SEK 50,000の若い芸術家への奨学金が与えられました。
エキシビションの日程は以下です。
ARKENミュージアム、Ishoj/コペンハーゲン、2001年11月6〜25日
Kunstnernes Hus、オスロ、2001年12月1〜21日
Victoria Miroギャラリー、ロンドン、2002年1月9〜20日
Listasafn Kopavogs、Reykjavik、2002年2月9日〜3月3日
Konstakademien、ストックホルム、2002年3月22日〜4月14日
Kunsthalle、ヘルシンキ、2002年4月23日〜5月12日
参加アーティスト2001:
ノルウェー/Hedevig Anker、Katrine Giセver、Kjell Torriset、Dag Erik Elgin、Harald Fenn
スウェーデン/Lars Arrhenius、Hakan Bengtsson、Jens Fange、Jan Hafstrom、Rita Lundqvist、Linn Fernstrom
フィンランド/Juhana Blomstedt、Matti Kujasalo、Sami Lukkarinen、Carolus Enckell、Janne Raisanen、Johan Scott
デンマーク/Kaspar Bonnen、Peter Carlsen、Kehnet Nielsen、Christian Schmidt-Rasmussen
アイランド/Kristjan Gudmundsson
カーネギー芸術賞に関する詳細はhttp://www.carnegieartaward.com.
クィーンの詳細はhttp://www.queen-fip.com/index.html
From a-ha.com
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