a-ha結成前
◆モートンは隣に住んでいて、Heggedalの小学校で同級だった、Arild Fetveitとよく遊ぶようになったが、Arildにとって音楽と言えばブルースで、全くロックを理解出来なかった。モートンが前にいたバンドのピアニストのために、自分は弾きもしないオルガンを2万クローネも出して買った、という話を聞いたArildは、ベースプレイヤーが必要になった時に、Bondi Sykehjemの地下室でまだバンド活動をしているモートンを思い出した。モートンがRickenbacker社のベースを持っていると聞いたArildは、モートンをジャム・セッションに招待した。シンプルなブルースのリズムをモートンに聞かせると、モートンはリフ(ジャズ音楽の反復楽節)で返した。それはとても素晴らしかったが、ブルースには無用だったので、コーラを渡し、来てくれたことに感謝をして、バイバイした。
◆Arildとの出会いは、後にモートンの音楽的発達にとても重要な役割を果たした。ブルースを知っただけではなく、いかに音楽が人を感動させるかを思い出させた。Arildのレコードコレクション、特にオーティス・ラッシュや悲劇的なブルースが、モートンの心を捕らえた。
夕方になるとArildとモートンはオスロにくり出し、クラブ・シーンでは何が起こっているかを見ていた。Chipahua with Sidsel Endresenがどこで演奏していても毎回、2人はミネラル・ウォーターを飲みながら、3番目のテーブルに座っていた。Club 7のライブの後、モートンはバンドのところに行き、歌い手に話しかけた。彼女は迷惑そうにして、神経質に笑いかけると、モートンはいつか同じステージに立ちましょうと彼女に誓った。Arildでさえ、モートンはやりすぎだと思った。
帰り道、良い気分になったモートンはダッシュボードを叩き始めた。その完ぺきなリズム感覚に、Arildは打ちのめされた。ドラムの才能があると思ったが、モートンは拒否し、ボーカルを望んだ。自分の才能を生かさないなんて何て頑固者だ、とArildは思った。
◆1980年、モートンは軍隊に入った。(※ノルウェーには兵役制度があります)Arildとは良い友人となり、モートンが週末に家に戻るときは、相変わらずオスロで一緒に過ごしていた。
◆ある秋、クリスチャン青年聖歌隊だったモートンは、Ostenstad教会であるミュージカル「Vitnet(目撃者)」に参加しないかと声をかけられた。Arildは教会へ何年も足を運んでいなかったが、モートンの歌を聞くために初日にやって来た。今までは話や、リズミカルなうなり声、奇妙な遠ぼえぐらいしか聞いたことがなかったのだ。
ユダ役のモートンの出番は5分程であったが、すっかりショーを持っていった。Arildは有頂天になった。モートンのパフォーマンス、演劇的なセンス…ステージでモートンは本当に心地よさそうだった。
クリスマス前に「Vitnet(目撃者)」は、イギリスのアーティスト、Bryn Haworthのライブと共に、Neuf城で上演する機会を得た。しかし風邪をひいたモートンは喉が痛くて、声が出るか心配だった。ユダは最後の晩餐の後に出ることになっていたが、モートンは忘れてしまい、合図を逃してしまった。しかしHaworthとショービジネスについて話すことが出来た。
◆ArildとブルースギタリストEspen Farstadは、その冬に新しいバンドを始めた。Arildはモートンを仲間にしようとしたが、Espenは別のシンガーに興味があったので、モートンは歌の競争で勝たなければならなかった。以前にも別のバンドでしたことがあるので、競争はこれで2回目だった。
高いキーで声がうわずってしまったが、モートンはボーカリストの職を得た。モートンは曲を極端に高いキーにしようとするので、バンドメンバーはもっと普通のキーまで下げようとしたが、そうするとモートンは歌わなかった。この議論は、モートンが「Souldier Blue」というバンドにいる間、ずっと続いた。
初め、モートンはバンド内で異端の存在で、メンバーの誰もがブルースを歌えるとは思っていなかった。しかし初めてのショーの後、Askimの地方紙に取り上げられたことで、全てが変わった。
◆その後の数ヶ月、Souldier Blueは順調だった。毎週末、オスロのどこかのクラブでモートンの声が聞けた。モートンはボーカリストとして様々なことを学び成長した。しかしオスロのブルースミュージシャンの間では、モートンのシンガーとしてのスキルについて、意見がまっぷたつに分かれた。
Arildは、モートンが普通のボーカリストとは違っていたと語っている。モートンは誰もが期待するような「ブラック」風に歌わなかった。自分独自の声を手放さなかった。ゴスペル・シンガーのように歌うことも出来たが、それをしなかったため、多くのミュージシャンはモートンの才能に気付かなかったのだ。モートンは素晴らしいファルセット(裏声)を持っていた。
◆Souldier Blueはクラブバンドで、それ以上でもそれ以下でもなかった。レパートリーは20年前の曲、フィーリングとソウルを伝えるのが彼らの仕事だった。1年が過ぎ、Tromso、Bergen、Tronheimのクラブでのプレイも経験し、彼らはゴールが近付いていると感じた。モートンにとって重要なことは、ステージ上で自分を解放することで、ダンスフロアからの称賛の声にエクスタシーを感じていた。
ナイトクラブはモートンの活躍の場ではなかった、とArildは語る。モートンはとても遠慮がちで、自分がどんな風に立っているかを過度に気にした。しかしダンスフロアがいっぱいになると、それに励まされ、破れたTシャツやジーンズでモートンはステージに立った。モートンの理想は、ステージに立ち、フルでスポットライトを浴び、マイクと満員の客からの注目を浴びて、5分間神になることだ、とArildは語っている。
◆モートンとArildが、たまたまオスロにSidsel Endresenを聴きに行った時、ショーの後、2人はノルウェーの音楽連盟のB級名士たちとパーティで一緒になった。議論はいかに激しくブルースを歌うかであった。ある有名なノルウェーのブルース・シンガーは、白人には歌えない、10年も挑戦している、と言った。モートンはそれに反論して、6、7ヶ月もあれば自分は歌えると言った。女性は怒って、私をからかっているのね、と騒ぎ始めた。
◆しかしモートンには別の目標もあった、3フル・オクターブとフォルセットだ。ある朝、ギグの後にArildが電話をすると、モートンは自分の声と戦っていた。Arildが自分の名前を告げるより先に、モートンはlow Bに達したと言った、普通はDかCだ。目標を達成することが、モートンにとってとても重要だった。
◆同時期に、バンドはバラバラになっていった。モートンはソウルをプレイしたかったし、Espenはブルースを望んだ。モートンは先へ進まなければならなかった。
※参考『Så blåser det på jorden』『Boken om A-ha』他
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