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a-ha結成

◆1982年の秋にオスロのいくつかのクラブに出入りしていれば、遅かれ早かれSouldier Blueを聞くことになったろう。そして注意深く観客を見れば、いつもステージ近くのテーブルに座り、熱心に聞いている2人の若者(ポールとマグス)を見付けることが出来たろう。2人はロンドンでの6ヶ月の滞在から、失望によって出来た心の傷を癒すため、泣く泣く帰ってきたのだ。
◆2人は初めてロンドンに行く時、モートンを誘った。モートンはマグスの家の地下室にマイクを置き、一緒に行くかどうかの気持ちが決まったら取りに来る、と告げた。しかしそれはモートンのマイクではなかったので、本当の持ち主が来て持って帰ってしまった。これは手違いだったのだが、マグスとポールはひどく失礼な断り方だと思い、その後モートンに連絡を取ることなく、ロンドンに出発してしまったのだ。
◆モートンがエーゲ海で陽に焼いていた間、ポールとマグスはオスロではつらい時を過ごしていた。ロンドンからの帰国は、ポールのプライドをいたく傷つけた。出発する前、すぐにしっぽを巻いて帰ってくるさ、とさんざん聞かされていたのだ。その通りだった。祖国の土を踏んだ時、ロンドンに帰りたいと思った。しかしマグスがそれを止めた。マグスも失望したが、ポールほどにはショックを受けていなかった。しばらくHeidiと一緒にいたかったし、マグスの楽観的本能は、モートンが遅かれ早かれ一緒にやるようになると告げていた。マグスはポールにもう少し待とうと説得した。マグスの直感は正しかった。1982年の9月14日、モートンの誕生日に、2人はモートンの誕生日を祝うため、ハルケット一家の元にやって来た。そして、新しいシンガーを歓迎した。
◆バンドに持っているものの全てを注ぎ込んだ。最初のロンドンでの失敗を繰り返さないためには、良いデモテープが必要だという結論に達した。しかしロンドンへ行く前に高いスタジオを借りて、なけなしのお金を使ってしまうのは、良い考えとは言えない。自分たちが今持っているもので、何とかしなくてはならない。
レコーディングの場所はすぐに見付かった。ポールの両親がDrammenから遠くないNærsnesの森に小さな小屋を買っていた。そこに3人は家とスタジオを準備した。モートンが古い4トラックTeac(※レコーディング用の機械?)を持ち込み、マグスはどうにかしてジュピター・シンセサイザーを借りてきた。これ以外は、ポールのギター・シンセサイザーといくつかのアコースティック・ギターだけだった。ドラムはDr. Rhythmというドラム・マシーンに任せた−唯一の利点は、本物のドラマーよりも食費が安上がりということだけだったが。
こうして録音された歌は、以前ポール、マグスそしてモートンがやっていたものとは異なっていた。キャッチーなメロディーで親しみやすく、しかし独創的な歌詞を持った純粋なポップス。Bridgesの混沌としたミニ・シンフォニーと詞は姿を消し、モートンのソウル・サウンドももうなかった。この新しいミュージックを直感的にお互いに見つけだした3人の喜びは、デモ・テープに素晴らしい力を与えた。ポール、マグス、モートンが一緒に作った曲は、予言的なタイトルの『Så blåser det på jorden(※だから地球に風は吹く)』である。
◆3人はとても上手くやっていたが、実世界に向き合わなければならない時、意欲的な音楽のアイデアはひどく妥協されていた。ある日、ポールとモートンが『Presenting Lily Mars』という悲劇的なバラードに取り組んでいた時、ポールは突然素晴らしいアレンジを思いついた。モートンがバイオリン奏者を探しに出掛けている間、ポールは熱心に自分のアイデアを紙に書き留めた。ところがモートンが連れてきたアマチュア・ミュージシャンたちは、ポールのなぐり書きを何も理解することが出来なかった。バイオリンは酢のように酸っぱい音を奏でた。ポールは自分の美しいアレンジが全く理解されないのを見て、すっかり落ち込み、部屋の隅に引きこもった。しかしモートンは方法を見付けた。自分の耳と感覚を使って、バイオリン奏者たちの正しい右の指ポジションをみつけ、フェルトペンで印をつけたのだ。もしこれで上手く出来なかったら、指を印に糊付けしてしまうぞ、とまでミュージシャンたちは言われた。それは悪ふざけだったが。
◆秋、a-haというグループ名が決まった。3人は誰もが簡単に分かってくれる国際的な名前が欲しかった。モートンがahaというまで、全く良い名前を思いつかなかった。モートンはポールのノートでこの言葉を見付け、バンド名に提案した。実際、これは歌詞の1部だったのだが、これは誰もが探していた名前だった。それでahaと決めた、発音問題の心配から、最終的な書き方は後で決めた。「モートンが僕のノートをあさっていたとは知らなかったな」ポールは名前の選択について、こんなドライなコメントをしている。
◆ロンドンへの旅費をかき集めるため、マグスは既に学校で働いていた。Heggedal小学校で代用教員をし、Drammenの学校では木工を教えた。モートンはDikemark病院で看護人としてシフト制で働いた。一方、ポールは自分の音楽と本に没頭し、Nærsnesの森の小屋でほとんど世捨て人のような生活をしていた。どんな家事1つするのも嫌悪した。もしあなたがそこで1杯のミルクを飲んだなら、1週間後に戻って来たとき、それは手つかずのまま置いてあったろう。皿を洗うことが絶対的に必要なことではないのに、何故洗うのか?
◆旅立ちの時が来た。8つの曲が最終的にレコーディングされていた。その中の1つは『Lesson One』で、3年後には『Take on Me』で世界中のチャートでトップとなる曲だった。

※参考『Så blåser det på jorden』『Boken om A-ha』他

2000-05-10 | EDIT
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