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a-ha結成前

◆マグスの家の地下室を借りて音楽に夢中になった。
◆ベースはHarald OdegardからViggo Andreas Bondiに替わった。Viggoの参加により、音楽にさらにのめり込み、誰もポールとマグスの情熱を止めることは出来なかった。ある日、Jan Erik Odegardがドラムセットと共に去り、代わりにViggoの友人のErik Hagelienが入った。
◆バンド名を「Bridges」とし、2本のギターとベース、ドラムだけではドアーズのような音楽を作れないため、キーボードプレイヤーを必要とした。
◆誰がグループを引っぱっていくか、マグスとポールの間の緊張は頂点に達した。マグスは長い間フロントマンであったが、マグスの声変わりを機に、もっと深くより豊かな声を持っていたポールはどんどんとヴォーカルを引き継いでいった。そしてついにマグスをヴォーカルのマイクから引き離し、ジャンボオルガンの奥へと追いやった。マグスは新しい楽器を驚くべき速さでマスターし、マグスの家の地下からは、典型的なBridgesのサウンドが流れた。
◆マグスの隣人だったSvien Erichsenは1970年にドアーズの公演を見た熱狂的な音楽愛好家で、Bridgesの音楽を初めから気に入り、レコーディングの機材を地下室に運び込んだ。
◆学校の勉強よりも音楽が生活の大半を占めていた。
◆マグスは資金調達のため、Nora Breweriesの労働者として夜の仕事をした。疲れ果てて教室の床で眠ると、友人がコートをかけてくれた。何人かの先生はマグスに同情し、マグスのカリスマは起こるだろう問題から最悪の事態になることを避けてくれた。しかし初めてのガールフレンドだったMargretheは悩み、去ってしまった。
◆1978〜79年の冬、アマチュアバンドのためにNeuf城の地下とDovrehallen(オスロの小さいコンサートホール)がコンサート会場として解放された。BridgesはDovrehallenで演奏し、自分たちの音楽を外の世界に試し始めた。
◆Erik Haglienが去り、Aftenpostenに新しいドラマーの募集を出して、Oystein Jevanordが参加した。そしてついに、アルバムという夢を実現する時がくる。レコード会社が興味を持つとは頭から思っていなかったので、バイトで稼いだお金で安いスタジオを借りた。1980年の夏、オスロのNydalen、捨てられた工場の湿っぽい地下室に作られたOctoconと呼ばれるスタジオを、Bridgesは1日500クローネで使った。
◆BridgesはVakenattという自分たちのレコード会社を作りあげ、LPは『Fakkeltog』と命名された。アマチュアバンドが自己資金でLPをリリースするというのは、それだけでセンセーションであった。さらに変わっていたのは、2つの面を、The Oncoming of Night、The Oncoming of Day、The Oncomingの3つに分けたことだった。1000枚プレスされたが、アルバムは石のように沈んだ。ノルウェーの音楽関係者は自分たちの理解できないモノには冷たく、ほとんどのロック・ジャーナリストが「Bridges」の才能を理解できなかった。
◆アルバムに興味を持ってもらうため、オスロ中に自分たちのポスターを貼った。それは余りに強いのりを使ったために、数年後まで残っていたほどだった。販売方法もまた狡猾で、あるメンバーは店に行き、積極的に店主に尋ねた。「何故あの素晴らしいBridgesのアルバムを置いてないんだい?」その10分後に、父親から借りたスーツを着た販売担当が現れ、Vakenatt社の最新リリースLP、Bridegesの『Fakkeltog』を10枚差し出す。いくつかの店が実際に騙され、その数ヶ月後にLPはセール用の大箱に入れられた。

※参考『Så blåser det på jorden』『Boken om A-ha』他

2000-05-10 | EDIT
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