ポーランド-音楽雑誌(Teraz Rock)- 9月号
訳:Mayumi Thanks to Gosia
パートII
ポール・ワークター=サヴォイ
マグネはこういうシンセ・ポップアルバムをレコーディングするまでかなり熟慮したと語っていました。あなたから観てどうでしたか?
2つの理由からそうなったんだ。良いアルバムを作るために、まず曲を集めた。シーケンサーやオーマティックのパーカッションを使ったので、時間をたっぷりかけられると思った。そして、これまでのアルバムは、僕らがライブで演奏するサウンドに近くなっていたから、もう一度シーケンサーなどを使う方法に戻ろうと思った。よりオーガニックなものになっていたんだ。だから、今回は原点に帰ることにした。でも僕はいかにも80年代のようなサウンドにしたくはなかった。現代風に感じてもらえたらよいなと思う。
最近のモートンのコメントで、このアルバムでは何種類もの違うバージョンを試してみたけれど、結局シンセサウンドに落ち着いた、ということでした。これは本当ですか?
本当だよ。だけど、どのアルバムでも僕らは4、5種類のバージョンを用意しているんだ。テンポを早くしたり、遅くしてみて、どうなるか試してみる。音程を変えてみて、どの高さがモートンの声に一番合うのか
探ったりもする。それぞれの曲でいろんな試みをしている。こうしようと白黒はっきりつけられるものではないんだ。昔、シンセサウンドを主に使っていた時代でも、『Hunting High And Low』 『I've Been Losing You』『The Living Daylights』など、シンセ以外の楽器も基調になっている曲も作ってきた。僕にとっては、曲が醸し出す雰囲気やムードの方が、どの楽器を使うかということよりも重要なんだ。
『Riding The Crest』は、「エレクトロ・ブルース」と表現していましたね。どういうことなのか説明をお願いします。
Arcade Fireの『Neon Bible』というアルバムを気に入っていてね。その中の数曲はブルースのコードを使っている。a-ha用の曲にも使えると思った。もっとシンプルなやりかたで、もっとエレクトロバージョンで。それがこの曲を書くことになったきっかけだよ。最初の試みよりももっとポップに仕上がったけれどね。
『Real Meaning』は、ロシアから自宅に電話をかけたときに思いついた曲だと読みました。
どこから曲のアイデアを思いつくかなんてわからないものなんだよ。いつも衝動的にはじまるんだ。TVで天気予報を見ているとき、にいきなりアイデアを思いついたりね。『Real Meaning』の場合はこんな風だったんだ。どこの町にいたのか忘れちゃったけれど、ホテルの部屋でギターを抱えて座っていた。そしてNYの自宅に電話をしたんだ。誰も居なくて、留守番電話のメッセージが回り始めた。それで、歌い始めたんだ。冗談のつもりだった。でも、突然思いついたんだ。「おい、これは良い曲になりそうだ」って。そこから『Real Meaning』が生まれた。僕の思いつきはそんな風に衝動的なんだ。誰かに話しかけられただけで、それが突然曲を書こうという刺激になったりする。
『Start the Simulator』で技術用語を使うことを思いついたきっかけは何だったのでしょう?
これは悲しい話なんだ。僕らにとってとても近い人が亡くなった。この気持ちを表現するために書き始めたんだけど、何を書いてもとても薄っぺらいものに感じられてしまった。そこで、この技術用語を使うことで、ありきたりな言い回しから脱出できたんだ。とても個人的なことを、アポロのマニュアルに載っているアメリカの宇宙用語で表現してみた。アルバムの中でも気に入っている曲だよ。少なくとも、好きな曲の1つだね。『I
Sing the Body Electric(ミュージカル『Fame』の中の曲)という曲をすごく気に入っているんだけど、これに近いスタイルでやってみようと思ったんだ。どこか宇宙的なものをね。
『Shadowside』は、すごくノルウェー的だと言っていましたね。メロディー、それともコードでしょうか?または雰囲気ですか?
ノルウェーで生まれて、この地独特の音楽を聞きながら育ったら、何か影響が残るはずだよね。どうしてこうなったかということを説明するのは難しいよ。海側のノルウェー人はとてもメランコリックなんだ。『Shadowside』ではその雰囲気を出したいと思った。コード進行に関しては、そこにギリシャ音楽の要素も盛り込んだ。曲を聴いていて、次はこのコードでくるか!と驚かせるのが好きなんだ。だから、いつも違ったヘンなコードを使おうと努力してる。
『The Bandstand』では、有名になる前にアメリカへ初めて行ったときの経験を思い出すものになっているということですね。なぜでしょうか?
この曲を書き始めたときは、まったく違う歌詞だった。でも、キャッチーなシンセ・リフができあがったとき、僕の気持ちは80年代へ戻っていた。歌詞を変えて、あの時代の僕らにリンクさせる価値があると感じたんだ。それで、最終的に僕らのNYへの最初の旅を思い出す作品になった。ポケットに40ドルだけ入れて、大きなバス停から4時間かけて大学のキャンパスに行き、演奏した頃の自分を思い出すよ。あの時代の思い出の歌なんだ。
現在はアメリカで暮らしていますよね。今でも自分はヨーロッパ人だと思っていますか、それともすっかりアメリカ人なのですか?
アメリカで1993年から暮らしているから、この地により親しみは感じているけれど、心の底ではまだノルウェー人なんだ。ニューヨークは、暮らしていくのには大変な場所だよ。ここでは退屈することは無い。何かしらやることがある。だから、ニューヨークにいるとときどき頭がおかしくなりそうになるんだ。そういう時は、ノルウェーの気楽で退屈な暮らしが懐かしくなる。
オスロとロンドンで去年ソロ・ライブをやったときの感想を教えてください。
あれはとても良い試みだったと思うよ。まず、ノルウェーで3公演行った。最初は、ヨーロッパの首都を回る計画だった。サーカスみたいにね。でも、このプロジェクトにかかわる人の数が多すぎる気づいた。そこで、ロイヤル・アルバートホールを借りて、一夜限りの特別なコンサートをすることにしたんだ。僕ら3人ともそれぞれソロ作品をたくさん作っているし、a-haにも大きな影響を与えているからね。その多くがa-haの作品ともなっている。今回のアルバムでもだよ。シンセリフの多くは、ソロ作品から持ってきたものだ。それに、ファンにソロ活動がどんな風にa-ha、3人で作る曲に影響しているのか見てもらいたかった。
a-haの前作『Analogue』は4年前にリリースされていますね。長い間バンドは沈黙していたということになりますが、これで終わってしまった可能性というのもあったのですか?
アルバム制作は僕らにとってはかなり時間がかかる作業なんだ。もちろん、ソロの仕事をするために休止することもある。a-haのアルバムに2年かかったら、翌年は自分たちのソロをやる、という具合にね。でも、いつも計画してそうなっているわけではないんだ。良い曲が集まったら、レコーディングを開始する、というだけのことだよ。もし、アルバム作りに必要な数の曲が生まれなかったら、アルバムはできないからね。大々的にカムバックしたつもりではないんだ。僕らのやり方がそうだというだけのことだよ。
今回のアルバム制作は、前回とは違っていたと感じますか?
今回のアルバム制作で楽しかったのは、ニューヨークのスタジオの一室に全員集まって、7週間一緒に作業をしたことだよ。他のミュージシャンは居なかった。僕らのルーツに帰ったんだ。全員それぞれ自宅にスタジオやコンピュータを完備している。個人的に作業をしがちになるんだ。だけど、他のメンバーの意見を聞いたり、それぞれアイデアを持ち寄ったことは素晴らしい経験だった。そういう環境では、(一人で作るのとは)違う音楽が生まれるからね。
たくさんの古い楽器を使ったと聞きました。
50%は、新しい仮想楽器を使ったんだ。その他は、古いものを使った。NYで集まったとき、自分の古いシンセサイザーなどを持ち込んだんだ。だから自由に使うことができた。古い楽器は特殊な雰囲気を醸し出す。他の楽器では再現することができない独特な音を出すんだ。全部古い楽器でやってみようとしたけれど、いつもうまくいくわけでもなかった。でも、他の楽器にはできない音を出せるんだよ。
今回のアルバムでは、あなたが作詞・作曲の中心になっていますね。いくつかの曲ではマグネと共同で書いています。今回モートンの役割はどんなものだったのでしょう。
モートンの役割は各アルバムで違うんだ。たとえば、『Lifelines』では、彼が指導した曲もたくさんある。最新作では、久しぶりに僕が初めて大きな影響力になってる。a-haが行きたい方向に合う曲を指摘したんだ。でも、モートンもバンドのメンバーの一員だからね。彼もそれぞれの曲に対して意見を持っているし、a-haの曲らしくなるように気を配っている。それぞれまったく違う風に演奏することもできるわけだから。
最近こんな風に言っていましたね。「曲を作ることはとても大変なことだけれど、最大の喜びをもたらす」と。これについて説明してくれますか?
曲が使い物になるかもわからないんだから大変だよ。どこから生まれてくるかもわからないしね。いま書いている曲がすごく良いものにになるか、それとも他に行ったほうが良いのかわからないからね。
a-haの歴史は80年代初頭に始まりました。しばらく活動を休止した時期もありました。バンドのハイライトをげるとしたらどれでしょうか。
確かなものとしては、アメリカでの初のヒット曲(『Take On Me』)を出したときだね。これによって、物事が大きく変わったし、バンドが初めてブレークするきっかけにもなった。それから、アルバム『Scoundrel
DayS』。すごく良いアルバムで、あちこちですごい勢いで聴かれるようになった。007映画のテーマソング『The Living Daylights』をレコーディングしたことも助けになったね。それ以外には、4枚目のアルバム以降、僕らはライブ・バンドとしての自分たちを発見したんだ。『East of the Sun West of the Moon』が出るまでは、自分たちは良いライブバンドではなかったと思う。対照的に『Memorial Beach』では、大きなアメリカのクラブで演奏するようになった。それから数年間の活動休止期間があった。実はとても重要な期間になった。すごく生産的だったし、音楽に対して違うアプローチをするようになったんだ。活動を再開したときに、これが大きな助けとなった。25年もやっているというよりも、新しく生まれ変わった気分になれたからね。特に重要なのは前作『Analogue』だよ。このアルバムのおかげで全英で久しぶりにヒットを飛ばすことが出来た。それにたくさんのアーティストが僕らがやってきたことをどれだけ好きか言ってくれたことも素晴らしかった。誰かが自分の作った音楽を聴いてくれて、気に入って注目してくれることはとても大事なことだからね。
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