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[ INTERVIEW > 2010 ]

アメリカ-Web(CNN)- 23/09/10

訳:Mayumi 文:ロバート・マイケル・プール

日本で有名になるということ:電化製品のプレゼント、献身的なファン、そして相撲に衝撃を受けたa-ha
ノルウェーのトリオ、a-haが日本の献身的なファンとの25年間の経験について語る

アルファビルが、『Big in Japan』を1984年にリリースした当時、その言葉の意味の中には、自国ではそれほど成功できないのに、日本では成功しているバンドへの皮肉も多少込められていた。今日も日本の音楽業界は、西洋諸国の音楽業界よりも持ちこたえているし、ここで成功しているミュージシャン、俳優などにとってかなりの利益を得ることができる国だ。

25年にわたるキャリアを誇るノルウェーのポップ・トリオ、a-haは、最後のツアーの一環として、最近東京で開かれる最大の音楽フェスティバル、サーソニックに出演した。日本での特別なもてなしや忠実なファンについて、宿泊先である新宿の高級ホテルで話を聞いた。

「僕らが初めて寿司を口にした当時、寿司はまだヨーロッパではすごく珍しい食べ物だったんだ」とキーボディストのマグネ・フルホルメンは、1985年の最初のプロモーションツアーの思い出を語った。

「とにかく衝撃的だった」とギタリストのポール・ワークター=サヴォイ。

「僕らが活動し始めたころは大分若かったので、その年齢で初めてノルウェーから出てきて世界を見ることになった。当時は今と大分違っていて、いったいこれからどうなってしまうんだろうという感じだったよ。ここでは僕らはかなり目立っていたし、当時はこんなに英語を街中で見ることがなかったからね。」

熱心なファンの次世代

1986年に最初のツアーのために日本に戻ってきたa-ha。そして、前回の来日は、2009年の『Foot of the Mountain』ツアーだった。このアルバムは、80年代のポップミュージックファンに訴えかけただけではなく、a-haに影響を受けたバンド - コールドプレイ、キーン、ヨナスブラザーズ - に影響を受けた新しいファンをも魅了した。

「今では3世代、4世代のファンの前で演奏しているんだ。どれくらいの割合かは、いつも違っているのではっきり言えないけれど、僕らが活動し始めた頃とはずいぶん変わったよ」とワークター=サヴォイ。

リード・シンガーのモートンは、ヒルトンでの早朝のインタビューに少々遅れて登場した。遅刻の理由は「十分に(声のために)睡眠をとらなければいけないんだ。少なくとも限界より少し多めにね。それが一番優先しないといけないことなんだ。」

日本のファンの熱心さについてはこのように説明してくれた。「最初からすごく献身的だった、そういう国民性みたいだね。西洋人は驚いてしまうんだ。ファンレターから、僕らの世話まで日本人がやってくれることすべてが、僕らには初めての経験だった。当時から今もずっとそうだね」

テレビ番組でのプレゼントがどれだけ歓迎してくれたのか証明していた

「初めてすごくエキゾチックな経験をすることができたし、この国に惚れこむきっかけになった」とフルホルメン。

「僕の子供たちにとって日本に来るのは今回で2度目なんだけれど、さっきファンから10年前に撮った写真をもらったんだ。僕らがやってきたことをファンが記録していてくれたおかげで当時の思い出がいろいろと蘇ってきた。」

「日本には以前からそういう素晴らしい伝統があるよね」とワークター=サヴォイ。「テレビ番組に出演するたびに、何かしら電化製品をプレゼントしてくれるんだ。僕らは当時そんなにお金を持っていなかったから、すごいよ、これ見てよ!という感じだった」

「今でもプレゼントをくれる習慣は続いているよ」とフルホルメン。

「恥ずかしい話だけれど、普段あまり座ってってファンレターに返事をすることはないんだ。でも、今回日本では、僕は、受け取ったすべての手紙に返事を書いたよ。みんながあまりにも寛大で、心の篭ったプレゼントをしてくれるので別の形でお礼をしなければと思ったんだ。」

日本のファンの献身ぶりはa-haを感動させたようだが、同時にワークター=サヴォイの結婚生活には面白い影響も及ぼした。

「25年経った今でも妻から「ポールゥ」と呼ばれるんだ。日本ではそう呼ばれていたから。もうそれで定着しちゃったよ!」

熱烈なファンレター

a-haのキャリアは1985年にファーストシングル『Take On Me』が世界各国で1位を獲得する大ヒットになってスタートした。『The Sun Always Shines On TV』 『Cry Wolf』、007映画『The Living Daylights』のテーマソングなど数々のナンバーワンやヒット曲をリリースした。

「当時、僕らはポップミュージック界の現象みたいなものだった」とフルホルメン。

「でも20年以上も当時のファンがまだファンでいてくれるのは、僕らの音楽がみんなの感情に強く訴えかけるから、ということがいつもファンレターに書いてある。みんなの人生の中でどれくらい僕らの音楽が影響したかということもね。今ではみんな自分の子供をファンにしようとしているよ」

「いくつかの手紙の中には、まだ自分の子供は口もきけないのに、車の中で(a-haの)曲を歌っている、と書いてあった。ということは、僕らの音楽は、最初は流行った曲だったけれど、それを超越したということなんだ。(日本の)ファンはとても忠実だよ。バンドが盛り上がっているときも、そうでないときも変わることなくずっと支持してくれた。僕らがいなくなってしまったときも、カムバックしたときも、そして今も一緒に居てくれる。」

80年代には、a-haはすごい旋風を巻き起こした。日本ではa-haはマンガ本にもなった。フルホルメンは、今でも当時の本を屋根裏部屋に取ってあると認めた。

「思い出はとても強力なもので、ひとつひとつ切り離して考えることは難しい。僕らはファンのみんなの青春時代、成長期の一部だった。いつも僕らは感じていた…どの作品も本当に手が込んでいて素晴らしい出来だと。今でもね。僕らは80年代からの写真を載せたメモリー・アルバムを受け取った。ファンは僕らを人生の一部にしてくれた。そして20年後に再会したとき、みんなは僕らの人生の一部になったんだ。」

a-haのレコード会社も、ファンの忠誠ぶりをよく認識しているようだ。今月発売されるa-haのヒット曲集『25〜コンプリート・ベスト【ジャパン・エディション】』の収録曲はファンに投票を頼んで選曲した。

音楽フェスティバルの文化

a-haの最後の日本での公演はめずらしくフェスティバルの出演だった。日本最大の音楽フェスティバル、サマーソニックのすし詰め状態のソニックステージに登場し、センスの良いライブを披露した。

「僕らも北欧人のぶっきらぼうさで(他のバンドと)ぶつかればよかったかな」と冗談を言うフルホルメン。

「でも僕らは他のバンドとも楽しくやれるし、フェスティバルの雰囲気も良いね。」

今回のフェスティバル出演のきっかけは、ツアースケジュールに組み込めなかったのだが、実は昨年の話だったことを認めた。

「あのときは、お別れツアーのことは考えてなかったのだけれど、結果的にこうなってしまった」とフルホルメン。

「僕らははこれが(日本での)最後のウィニングランだということを受け入れようとしてる。まだツアーは続けているし、この機会を思い切り楽しむことにしたんだ。今のようなステータスを築いてからこんなに高揚した良い状態で辞めることができるのは素晴らしい気分だよ。」

「フェスティバルの出演は、両刃の剣なんだ。a-haの強みのひとつは、ライブで独特の雰囲気を作り上げることだし、インドアでのフルの単独公演の方がやりやすいんだ。でもフェスティバルとなると、もうひとがんばりしなければならない。プロダクションは自分のものとは限らないし、会場の雰囲気も違う。でも、(違うことをするのは)健康的なことだよね。」

異国情緒の再発見

バンドは日本へ親近感を抱き、文化をより深く知ろうとしている。今回の旅で、フルホルメンは、コネを使って二人の伝説的な関取りの武蔵丸と小錦に会うことができた。

両者とも今は引退しているが、a-haの最初のツアーのころには現役で活躍していた。

「武蔵丸は今でもすごく大きいね。でも小錦は現役時代から340ポンド(約154キロ)も減量したんだ。それでもまだ大きいね」とフルホルメン。

「相撲部屋に行って、力士が食べるものを一緒に食べたよ。」

そしてさらに続けた。「先週、ノルウェーで、日本で食べるよりもたくさんの寿司を食べたんだ。僕らが初めてここに来た当時から大分世界は変わったよ。」

2010-09-26 | EDIT
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