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PAUL’S A-HA EXPERIENCE – 28/08/99

元記事:Beate Nossum and Mette Møller (photos) in the August 28th, 1999 edition of Dagbladet Lørdag

英訳:Cindy Kandolf 翻訳:Mayumi

「350万枚ものアルバムを売っておいて、それでそのことに落ち込むなんて、クレイジーだよ」とポール・ワークター・サヴォイは言う。今週、『Mountain of Times』は1万1千枚売り上げた。かなり早い売れ行きだ。

ミスター・ワークター・サヴォイは、おおむね、今年の収穫に満足しているようだ。まず、息子のトゥルー・オーガスト(サヴォイ夫妻や友人たちから『オーギー』の愛称で呼ばれている)の誕生、そしてSavoyのアルバム『Mountains of Time』 は、ノルウェー全国の批評家から総立ちで絶賛され、2つの有名紙から6点中6点満点の評価を受けた。

「ギターを始めた頃、全部の新聞をひとつひとつ広げて、『おっと、僕らここでも6点満点だよ』と言うのを夢見ていたよ。」

ポールは、Vinderen(オスロ市内の地域)にある自宅のデッキで、ネイビーブルーのパラソルの下からくすくす笑った。

「数字が意味するのは重要ではないと、自分に言い聞かせてきた。a-haは、正に、良いレビューに甘やかされてこなかったからね。高い売り上げと、ルックスで満点をもらっただけさ。」

ポール・ワークター・サヴォイは、Savoyと90年代の話をしたいときに、プレスの人間が80年代とa-haについて聞きたがるのを嫌うことが多い。過去の実績について話すことを心の奥から嫌っているのを、今日のちょっとした皮肉が物語っている。そして新たな成功についても。

再び、金切り声で叫ぶファンの前に立つのは、変な感じでしょうか?

「そう、今僕らが狙っているのはそういう(若い)マーケットなんだ。かつてステージの中央前列に陣取っていた12歳のオーディエンスの前に帰るんだ。」

ポール・ワークターがユーモアのある人だと、今まで知られてなかった。今や、ちょっとした皮肉を楽しむこともできるようである。

「最近では、悲鳴をあげるのは14歳ですらないんだよ。今では、ポップスター・ファンの女の子たちの平均年齢は7歳なんだ。もうしばらくしたら、レコード業界は新生児たちの巨大なマーケットに注目し始めるんじゃないかな。」

ポールは最後に笑い、一番長く笑うことになるだろう。現在、Savoyのニューアルバムは、爆発的に売れている。解放されたManglerud出身のソングライターは、向こう岸へ向かって高笑いできるのだ。かつて最ももどかしさを感じていたティーンアイドルが、自らの人気グループをまじめな音楽グループに変えようとしたときに、嘲った人々へ中指を立てる。大きな成功を収めること無しに。

「プロデューサーやレコード会社の人たちと議論するのに辟易していた。自分たちのスタイルを変えるために、a-haにはスピンドクター(※報道対策アドバイザー)は必要ない。僕らの音楽的な成長は、売り上げが証明するというのは、憂鬱なことだった。」

「そして、結果的にあなたとモートン・ハルケットが仲たがいすることになったのですね?」

「そうだね、僕が気を悪くしたんだ。」

「どうしてでしょう?」

「僕が不機嫌になった原因は、モートンのソロ・アルバムのことを何も聞かされてなかったからだ。a-haの中で納得できないことがあっても、僕らは一緒に続けて行くものと常に思っていたからね。」

「僕は曲を書いて、働きつづけていた。丸1年の働きが無意味になってしまったよ。10年間一緒にやってきたんだから、そういうことを話してくれてもいいんじゃないかと思ったんだ」とポール。マネージメントのひとりとのたわいないおしゃべりで、思いがけず、モートンがソロ・アーティストとしてデビューすることを知らされたのだった。

「だけど、後になって本心からそれで良かったと思えた。僕は、新しいバンドを探し始めたけれど、ヒドいもんさ、巷は、ひどいボーカリストだらけで我目を疑ったよ!そしてローレンと一緒にやりはじめた。信じられなかったよ。まるで授かりものだった。今では、Savoyとしてレコーディングした曲の数はa-haよりも多いんだ。1回につき、3回に1回の割合でね。」

ポール・ワークターは、11歳の頃から、種を蒔きつづけてきた。今では、6つの種が木に成長した。枝にSavoyとラベルがつけられているだけではない。ダーグブラーデ紙の評論家は、昨年のノーベル平和賞記念コンサートでのセンセーショナルな再結成パフォーマンスにも興奮していた。1月にa-haはアルバム『Minor Earth/Major Sky』でカムバックを果たす。アルバムは、完璧主義者の細かいドイツ人によってリリースされる。ポールはそれに対して楽観的だ。

「a-haが日中10万人もの人の前で演奏できて、Savoyが夜小さなクラブで演奏するとしたら、そうだね、僕はハッピーさ。」

「もしこけたら?」

「こけるとしたら、‘大きく’こけることになるだろうね。」

1986年6月、ダーグブラーデ:

a-haは、帯電ハンドルつきのリムジンでロンドン市内を移動していた。メンバーが車に乗ると、電流が流れて、ワイルドなファンがリムジンのドアを開けようとしたら、電気ショックを受けるようになっていた。

ポール・ワークター・サヴォイは、首を横に振りながら更に古い新聞切りぬきの束を隅々まで探した。Nork Telegram(NTBとして知られる。ノルウェー版AP通信)の記事には『Take On Me』はアメリカのシングルチャートの1位から3位に後退した、とある。彼らのデビューアルバム『Hunting High and Low』 は、7百万枚売り上げた。モートン、マグス、ポールは、1日に18本の取材をこなした。風船の空気が抜けてしまうまで、難攻不落のイギリスポップチャートに8曲のヒットソングを送りこんだ。a-haはマドンナよりもずっと人気があった。ダイア-ストレ-ツよりもビッグだったといってもいい。こんな現象はビートルズの全盛期以来だと新聞は書きたてた。モートンは、たくましい上腕をみせびらかし、マグネは曲芸飛行を披露し、ポールは静かに行動した。a-haがリオで20万人ものファンの前で演奏したときさえ、若きポール・ワークターは、きわめて弱々しく当時のことを話した。

「あれはただのゲームだった。コンサートの間、僕らはシステムにしたがって行動した。モートンは最前列の面倒を見て、マグネは大群衆をひっぱろうとし、僕は後に立っている一握りの引っ込み思案な人たちとコミュニケーションをとろうとしていた。」

「しかし、あなた自身は(リオのライブの最中)何を考えていましたか?」

「自分がミック・ジャガーだったらいいのにというような心境だった。」

「??」

「すっかり免疫がついてしまっていたんだ。起こること全て、ただの仕事—純度が高い麻薬さ。時間を費やすにはものすごく浅はかで、うすっぺらすぎた。僕らが本当に楽しめたのは、事態が収拾困難な状態に陥ったときだけだったね。」

「また同じ状態になってしまうと思いますか?」

「思わないよ。どうかな。そういうことが起こるには特定の世代のファンがいないとね。もう少し年上の人たち、音楽に関心がある人たちは、僕らが到着するのを空港で10時間も待つなんて面倒なことはしないものさ。」

「1985年の間だけで、あなた方3人は5千万ドル稼いだと新聞に書かれましたね?」

「新聞が書きたてることを読むのは面白いよ。」ポールは如才なく答える。

最近のポップスターはもっと稼いでいる、とポールは考えている。そして、ショッキングなことに、彼は正しい。ポップスターの同僚、アクアのレーネは、昨年7千万ドル稼いだ。こういう数字に、わたしたちのような賃金生活者は戸惑ってしまう。

「僕らがどれくらい稼いだのか、全然わからないよ。だけど、僕らは時々だまされた。例えば、僕らは本やポスターなどからはまったく収入を得ていなかったから、多分それだけで100万ドルくらい損したんじゃないかな。スパイスガールズは、音楽よりもバブルガムから多くの収入を得ているのは確かだね。」

「すべてが起こったときに、あなたの家族はどんな反応でしたか?」

「サイアクだったのは、ブレークする前だった。暖かい言葉で励まされて、イギリスへ行った時、家族は僕らのことを心配していた。」

1985年10月、ダーグブラーデ:

「自分の息子が、芸能界の頂点で生活していることに対して多少不安になりませんか?」

「そうだね」ポールは、ハリウッドの話をいくつかしてくれた。「いかがわしい業界だからね。(…)彼らのマネージャーが、僕らに、ほとんどのポップグループは、不安定な家庭環境で育っていると話してくれた。リバプールのスラム街とかね。彼は、3人とも安定した中流階級の家庭出身だというのはすごい利点だと思ったんだ。」

「おっと、まさしく僕は労働階級の英雄になろうとしていたんだ。そして、ある一言が僕を過去の自分に戻してくれた。それは僕の母の言葉だったんだ!」

現在、ポールは父親である。『オーギー』は、これからずっとSavoyとa-haの両サーカスについていくことになる。星空には雲ひつとつないのか、それとも…?

「a-haの問題は、みんなが他の人になりたがることさ。ポジション争いがあるんだよ。僕は歌いたいし、モートンは曲を書きたがっている。マグネ…僕らは、うまくやってきているし、違ったやりかたでできるんじゃないかということも検討している。a-haを機能させていくには、アルバムをもっと短期間で出すことだね。最終的には、プロモーションに時間をかけ過ぎて、3年に1枚しかアルバムをリリースしなかった。今度はもっと臨機応変にやっていきたいよ。全てを締めつけているものを解放しないとね。スタジオにいる間、僕が主導権を握りすぎて、そのことでモートンとマグネを怒らせたのはわかっているんだ…。」

ポールはこう考えている。

「時々、思うんだ。おい、僕には十分にお金がある。なぜただ*生きて*いたらいけないんだい?なぜ、新しい曲と悪戦苦闘する?だけど、僕の音楽との関係は、自分の子どもたちのためだけに生きる親のようなものなんだ。初めて曲を完成させたとき、背筋がぞくっとした。そう、音楽の虜になってしまったんだ。」

そして、リフレイン中毒(※音楽中毒)のポール・ワークター・サヴォイは、これから長い間、(音楽)投与量を倍にすることを計画している。

「ニューヨークのクラブで、Savoyがプレイしたのは、ほとんど自虐的といってもいいくらいだ。だけど、関心を持ってもらうためにやったんだ。a-haには、たくさんヒット曲があるから、オーディエンスの反応が鈍くなったら、古いヒット曲を2、3演奏することができる。パラシュートみたいなものだね。今では、コンサートの後に、演奏したのは何だったのか、と訊かれるんだ。そしてSavoyの曲がどのアルバムで聴けるのかとね。リオでa-haの中で演奏することとは、全然別ものだよ。*まったく*違うものだね。」

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